こちらに。
http://www.berliner-morgenpost.de/archiv2001/010530/feuilleton/story426284.html
最上さん、こんにちは。
私信でお伝えしていたように、来週末からベルリンに行きますが、ザンデルリンクの指揮が
予定されていた6月7、8、9日はハイティンクに変更(彼は翌週も登場)になり、曲目も
チェロ協奏曲(シューマン)以外は、マンフレート序曲とブラームスの2番となりました。
予定のスケジュールの空き日だったので、とりあえず昨年末に予約を入れたら取れたもので
すが、さすがに世の中は甘くはありませんでした。まあ、元来が長老主義の体質ではないの
で、ショックはさほどではありませんが、ザンデルリンク目当てでベルリンに来たものの、
チケットのキャンセルもままならずに憮然とした表情の愛好家を見かけるフィルハーモニー
になりそうな予感が・・・。
オットー・ゲルデスの録音、手元にあるのはチャイコフスキー
「エフゲニー・オネーギン」のドイツ語版抜粋のCD(DG 447 818-2)です。
歌手がこれまた超豪華でディースカウ、ヴンダーリヒ、
タルヴェラ、リアー、ファスベンダーが出演しています。
67年頃の録音で、バイエルン歌劇場管弦楽団・合唱団との共演です。
これは、当時DGが色々出していたドイツ語版オペラ抜粋シリーズの
一つだと思います。
菅野さん、ズーンのリサイタル情報をありがとうございました。
関西には来てくださらないんですね。
無伴奏フルートリサイタル、ぜひ聴いてみたかったのですが、平日の夜、名古屋には
ちょっと行けそうもありません。残念です。
6月にはディベルディメント・ベルリン、ベルリン8重奏団などベルリンフィルメンバー
が室内楽でたくさん来日されますね。こちらは関西でもコンサートを聴くことができるので
楽しみにしています。
Mikanさん
ズーンは、確か名古屋までで関西はなかったような気が。。。
無伴奏フルート・リサイタル 2001/06/21(木)
名古屋/スタジオ・ルンデ 19:00
曲/バッハ:無伴奏パルティータBWV.1013/オネゲル:牝山羊の踊り/福島和夫:冥/ズーン:ピエゴナードュ/ドビュッシー:シランクス/
C.P.E.バッハ:無伴奏ソナタWq.132/エッシャー:モノローグ/クーラウ:ファンタジー
\4500 学\2000 問/ルンデ052−203−4188
なかむらさん、はじめまして。
2月のBPOのツアーのエキストラはなかむらさんの推測通りジャック・ゾーン(ズーン?)
だったと、このツアーに参加していた団員の方から聞きました。
私自身はこの方のフルートを聴いたことがないのですが、どんな音色なのか聴いてみたい
です。6月は関西地方にも来られるのでしょうか?
このツアーに関する記事を「音楽の友5月号」で読みましたが、ピアノ協奏曲のピアニスト
の豪華な事!これを聴くことが出来た方が羨ましいです。
(この記事に書いてあったアルゲリッチの行動は面白かった(^^;)・・・。)
最上さんいつも貴重な情報ありがとうございます
雑感のページでローマのフルートのトラにふれらていますが、誰も書き込まれていませんね。
私のみたところでは、木管フルートを使っていることとヘアースタイルからジャック・ズーンではないかと思うのですが。
ズーンは6月に来日します。
どなたかご意見をお願いします。
ヘボレッチェさん、レスありがとうございました。
味のある文言をこのタイトルにお借りしました。(_ _)
うかつでしたが、その「新世界より」は、カラヤンの録音の半年後だけに、
気鋭の若手が同じオーケストラで同じレーベルで間を置かずに出すというのは、
カラヤンが一言二言何か言いそうで(^^;、その可能性はあるかも…。
最上さん、そのタンホイザーは臭いますね。
調べてみたら、1968年12月後半のカラヤンはレコーディングもコンサートも
記録がなく、まっさらのようです(この時期が空いているのはこの年に限らず
ですから勘繰り過ぎかも知れませんが…(^^;)。年明け後の録音日は他の
スケジュールとダブっていますから、これはあり得ません。となると、前半の
セッションまではやったのだけど、例えば歌手と衝突して(ありそう…(^^;;)、
投げ出したということも? 残りの仕上げだけ1969年にゲルデスが振って
なんとか形にしたとか??(この推論だと1969年のカラヤンのスケジュールの
どこかにポッカリまとまった空白があるはずだけど…)
いけませんね。無責任な想像ってのはどんどん広がってしまいます。失礼しました。
ゲルデスという人は、私も名前だけは昔から知ってましたが、不思議な?人ですね。
ニルソンら豪華メンバーを揃えた「タンホイザー」の全曲録音も知られています。
この録音、本来は、カラヤンだったか誰だったか、別の指揮者が録音するために
せっかくスケジュールを組んだのに、その指揮者が降りたために、ゲルデス自身が
指揮をしたのでは?、というような推測を、雑誌か何かで読んだ記憶もあるのですが。
実際は、どうだったんでしょうかね。
ちなみに、下記ページの情報によると、この録音は、1968年12月14〜20日。
カラヤンだったら、1968年12月2〜12日に「ジークフリート」を録音しているので、
続けてすぐ「タンホイザー」というのは、どうだったんでしょうね。
必ずしも無理というわけでもないようが気もしますが。
ところで、カラヤンのワーグナーというと、ワーグナーを上演した年の
イースター音楽祭のプログラムに、カラヤンの自筆サイン入りのものが
売られているようですが、1000マルクも出すのは、ちょっと......
というわけで、300マルクのサイン入り写真は注文してみたのですが(^_^;)
宮武さん,初めまして。 よろしくお願いします。
ガセネタ> いえいえ、火のないところに・・・という感じで
書き込みを読ませていただいて そのお話にはなんとなく信憑性を感じてしまいました。
その上、だんだんと想像をふくらませてしまっております。
最初 中古レコード屋で「ブラ4」を見つけた時 指揮「オットー・ゲルデス」ということに
「?????」な気持ちで買ったものですが、意気込みも感じられる かなりの名演の上に
アーベントロート、クナッパーツブッシュの弟子とのライナーノートを読んで納得してました。
出来ることなら「ブラ4」はホンモノであってほしいものです、個人的には・・・
で、アヤシイ?のは「新世界より」で、これは最初 「何故 新世界??」と思ったものでした。
何で この曲をそういう時期に録音しなければならないのか?というのはちょっと感じたのですが
ここからは全く個人的な想像の世界なのですが、
「別の指揮者」「何かの事情(契約等)というところから思いを巡らせているうちに
「若き日のマゼール」などという考えなど浮んできてしまっています。> 全くの想像ですが。
何故なら 当時彼は まだベルリン放送響の指揮者で、既にクリーブランドの監督にもなっていて
’58〜59年に ベルリンフィルとグラモフォンに「ローマの松」などの録音をしてから
グラモフォンには登場せず(してるのですか?)ベルリンフィルとの録音も確かCBSだけで
・・・とこれも確信はないのですが、契約とか「何かの事情」(どんな事情かはわかりませんが)
を考えた上で 改めて 「新世界より」を聴いてみると「何となく・・」という気になったのです。
それから「ローマの松」のレコードを聞き比べてみたりして共通点を探してみたり・・・で。
ちょっと「ブラ4」とは芸風は違い、かなり野心的なところも感じられ、低音の鳴らし方等・・
もしホントのことをご存知の方がおられたら 笑われるかもしれませんが 想像とはそんなもので、
ぜひともお許し下さい。
「グルデス話」をますます発展させてしまい申し訳ないのですが
十分な演奏をしてるのに、その他のレコードに登場することもなく(他にあるのですか?)
風格のある人で さほど歳でもないのにレコーディング・プローデューサーをしなくなってからも
どこの指揮者に就任したというハナシも聞かなかったことを常々不思議に思ってたもので・・・
というところです。
ヘボモンケさん間もなく到着しますので少々お待ちを・・・
真面目な書き込み満載のここにガセくさいネタを書くのは気が引けたのですが、
ちょっとだけお許しいただくとして…(^^;。
オットー・ゲルデス指揮の録音というのは実際には別の指揮者によるものも
混じっているという話を、どこかで読んだ記憶があります。その指揮者が
カラヤンだったこともあるとか? 遥か昔のことで出典は不明なのですが…。
録音はしたものの何かの事情(契約等)で出せない場合に、プロデューサーで
あり指揮者であったゲルデスの名で出したという話でしたが、具体的に
どれがどうという話だったら検証のしようもありそうなものの…。
その「新世界より」については、その半年ほど前にカラヤンの正規盤が出て
いるのですから、このガセかもしれない情報には該当しないでしょうね。
もしかしてガセではなくて本当のことだったとしたら、事情に詳しい方は
いらっしゃいませんか?
ヘボモンケさん、お返事遅くなりました。
了解です、「ゲルデスの新世界」も送らせていただきます。
でも こんなことをあまりオープンに書かない方がいいですよね・・・
今回だけ許していただきましょう。
あまり真剣に聴くことがなかった「新世界より」という曲でしたが
この演奏には引き込まれました。いや〜ええ時代だな〜と改めて聴いておりました。
Masさん、レコーディング・データありがとうございます!
実は「Nippon Gramophon」時代のレコードなのに
録音日が書いてなくて知りたかったのです!
で、いつか改めて「質問書き込み」をしようと思っていたのですが
ベルリン(ダーレム)でイエス・キリスト教会というのを地図で探しても見つからず
「あれはフリーデンス教会という名前だ」と言われたことがあったのですが
これもホントのところはどうなんでしょう? 一度は訪れてみたいと思っているのですが
どなたかご存知の方はおられないでしょうか?
・・・と、いつも厚かましく質問させていただいて申し訳ありません。
ではヘボモンケさん、お楽しみに。
Otto Gerdesは確かDGで60年代にプロデューサーとして活躍していたひとでしたよね。彼の指揮した新世界は私も持っています。手元の資料では1964年10月4日、イエス・キリスト教会での録音ということです。
>ヘボレッチェ(?)さん
「うなぎバーガー」ですか?いかがでした?
(何やら美味しそうな?怪しそうな?)
ゲルテスの新世界は聴いたことがありません。
ブラ1ともども、一度お聴かせ願えればうれしいです。
昔の録音がCDで再販されたものの中には、ミキシングの仕方の
違いのせいか、バランスや音色が全く異なるものもあって、
がっかりさせられることもありますが、本当のところは、
いったいどんな音をしていたのでしょうね。
初めて投稿いたします、thomasと申します。はじめまして
ブランディス教授に肖って命名しました。
私は学生の時からBPOを追っているアマチュアオーボエ吹きです。
ところで、私の好きなハウプトマン氏の主な録音の中で、モーツァルトのホルン協奏曲集だけ持っていないため数年前から色々と探し回ってはいるのですが、何しろ廃盤になって結構たっているようなのでその音を未だに耳に出来ないでいます。
ひょっとして、皆さんの中でどなたかこのCDをお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか?
もしお持ちでしたら、ご一報頂けると大変嬉しいです。
なお詳細は、、、
ホルン:ノルベルト・ハウプトマン
指揮 :トマス・ヴィルブラント
管弦楽:ベルリンフィル・カンマーアカデミー
1981年録音、1989年RCAよりリリース (国内版もあり)
です。
よろしくお願いします。
皆様、こんばんは。
>ヘボモンケさん、「ヘボレッチェ」です。
いえいえこちらこそ突然の提案で申し訳なかったです。
それでもお電話でお話できてよかったです。
ご在住ではサービスエリアで休憩をして
ウナ丼の代わりに「うなぎバーガー」なるものを食べました。
カラヤンの’55年アメリカ旅行のブラ1は送らせていただきます。
で、’63年グラモフォン版は持ってる人間を見つけたました。
またひょっとしたら私からお願いするかもしれないので その節にはまたよろしくお願いします。
それにしてもいろんな演奏を聴かれているようで驚きました。
ベーム、カラヤンのコラールについては、一般的には「否定派」の方が絶対多いと思うのですが
なんせあんな吹き方をしてる人はいないし、またそれを許してる指揮者もいる、という点で
大変オモシロイと思っているわけです。(たぶんブラームスもビックリでしょう・・・)
さて、ゲルデスのブラ4をご存知ということは大変うれしいことでありました。
そのレコードは針が飛ぶ状態まで反ってしまっている現状ですが、
「新世界より」の方は生きています。よければそれも録音して送らせていただきましょうか?
世に「ケルテス・ウィーンの新世界は名演」と言われてる中で
「ぼくはゲルデス・ベルリンが好き」と言って「???」と思われたものですが
これもホントに名演だと思っています。たぶん60年代前半でしょう。
(きっと「お好み」だと思われるTp.サウンドが鳴り響いていますよ。)
きっと弦・木管を聴きたい方々はウルサイTp・Trbの時代と思われるでしょうか
何せ録音に拾いやすい音なもので、実際はもっと溶け合っていたと信じてる私なのですが・・・
さてどうだったのでしょうか。
毎度金管系の話で申し訳ありませんでした。(と言いながらまた書きますが)
皆様、こんばんは。
>中橋さん
昨夜は申し訳ありませんでした。またチャンスがありましたら是非!
57年のアメリカ旅行のブラ1、是非お聴かせください。
この休みに、手持ちのCDから50〜60年代のブラ1のTbコラールを聴き比べてみたのですが、
・フルヴェン(52年ライブ)
・カイルベルト(50年代後半〜60年代前半?)
・ヨッフム(57年)
・ベーム(59年)
・カラヤン(63年)
で、録音の影響もあるかもしれませんが、1stTbは、やはりベームのとカラヤンのが、
特に素晴らしいですね。どちらも良いのですが、テンポが少し速く、音楽が
前に進む感じ(1stが少しずつフライングしているところがたまらない)の
ベーム盤は絶妙ですね。
改めて聴くと、カラヤン盤もドムスなんですかね?良く分かりません。
83年夏のザルツブルクでのカラヤンのライブも聴いてみましたが、やはり、
これらには適いませんね・・・
「ケッタイな組み合わせ」のオットー・ゲルデスBPOのブラ4は、学生時代に聴きました。
オケの同僚が見つけてきて、「どんな演奏?」と聴いてみたら予想外(?)にまともだった
ことを記憶してます。どんな演奏かまた聴いてみたくなりますね。今となっては貴重な音源
でしょうから、そのレコード無事復活すると良いですね。
以前にオーボエのリーバーマンの話を書いたときと同じく,FLの吉田雅夫先生が面白い
逸話を紹介していました。テーマは「上がる」ことなのですが,上がりまくって開き直り
名演奏をするカラヤンを例にあげ,そこでシュヒターとの話が出ています。
(吉田氏は戦中からシュヒター時代のN響の首席FL奏者で,在任中カラヤンに認められて渡欧し
た方です)
シュヒターはカラヤンの副指揮者として常にベルリンフィルの旅行に同行していて,
午後11時ごろホテルのシュヒターの部屋にカラヤンから「心配で眠れない」と電話が入る・・・
S「まだ大丈夫,ゆっくり寝てください」
午前1時ごろ
K「どうしても眠れない」S「いよいよとなったら私がやりますからお休みください」
午前3時ごろ
K「駄目だ明日は頼む」S「承知しました」
いよいよ翌日の本番になると,昨夜のことはどこへやら,ゆうゆうとして本番を指揮してしまう。
これは上がりを通り越した,開き直りの状態です。
(村松楽器:季刊「ムラマツ」1991春号)
カラヤンはかなり気が小さいところもあったらしく,アーヘン時代は誰もいないピットで
頭を抱えてうずくまっているのだが,楽員が入ってくる時間になると指揮椅子にデンと座り
指揮台の上に足をのせ腕組みをして偉そうな態度をしていたといいます。
自分が気が小さいことを悟られたくなくてそうしたのでしょう。
となると来日中仙台行きを断ったのも飛行機ではなくて(その頃は飛行機マニアではなかった?)
単純にやりたくなかったのかもしれません。
ちなみにシュヒターの録音で吉田先生の独奏をバックにN響を振ったモーツァルトのD−dur
の協奏曲があって,CDにもなっています。どなたか書かれたかもしれませんが。
は一般の音楽ファンからは割と高く評価されていたようですが、
なぜなのか、ずっと疑問に思ってきました。私などは、80年
以降のカラヤンはほとんどS氏が吹いているという理由だけで
敬遠してしまいます。
実際に、オーボエを専門とする人の話を総合すると、同業者の
評価は全く芳しくありません。
理由は簡単で、戦後シュタインス氏とコッホ氏が作り上げてきた
派手なビブラートを伴った、厚いオケを突き抜けてくる
華麗なBPOオーボエサウンドに慣れた耳で聞くと、
S氏の演奏はまず音色に特別な魅力がなく、また吹き方も
あっさりしすぎて物足りないのです。
それでもデビュー直後の1,2年は(カラヤンのブランデンブ
ルクやパルジファルを入れた頃)まだ比較的厚みのある音を
出していましたが、年々音が薄くなり、最近のヨーロッパ
コンサート2000などでは、蚊の鳴くような音で吹いて
いましたね。
次にどういう新人が入ってくるのか楽しみです。
個人的には、ベルリンドイツオペラ主席の我が渡辺克也氏
あたりに期待していますが。
と、変な題名から始めさせていただきますが
まず、ヘボモンケさん ,
メール読んでいただけましたか? 打ち終わったあと力尽きて寝てしまいました・・・
突然の提案でもうしわけないですが とにかく今晩にでもお電話させていただきます。
*******************************************
ベームのプローベでの指摘がイヤミだった、というハナシは
’70〜73年とベルリンに留学してウテッシュの弟子だったヒトに聞きました。
でも仮にそうであったとしても、FMで放送されたライブ演奏はバツグンのバランスで
ベルリンフィルもノッてるとしか思えないので、
なんだかんだ言いながらも 皆ベームのことを気に入っていたのではないかと思ったりしてます。
あと、’60年代で私の持ってるレコードで気に入ってる「ケッタイな組み合わせ」は
オットー・ゲルデスというカラヤンのグラモフォンのレコーディングプロデューサーの指揮する
「新世界より」」と「ブラ4」なのですが、当然グラモフォンから発売されていたものですが
ブラ4を人に貸したら 返ってきたらレコードが反ってしまって聴けなくなり泣いています。
どなたかご存知の方はおられませんか? もしおられたらその演奏の感想など聞かせてもらえたら
聴けなくなった今となっては、せめて思い返すことができるもので・・・
それと レコードのかなりの反りを効果的に治す方法をご存知の方はおられませんか?
「2枚のガラスで挟んでクリップで止めて、?度のお湯に?時間浸ける」などという方法を
聞いたことがあるのですが、?度と?時間を忘れたのでコワくて試すことができないでいます。
・・どうも書き込みの内容が厚かましくなりつつあって申し訳ないとはおもいつつも
書いてしまって申し訳ありません。 何せ周りにそんな話題に乗ってくれる人がいないもので・・
では、失礼します。
ヘボモンケさん、お会いすることが出来ましたら・・・
中橋さん、こんばんは。
ベームに関する裏話、面白いですね。私も意外な感じがいたしますが、
実際はそんなものだったんでしょうかね。でも、おっしゃる通りベームBPO
の当時の演奏、良いですよね。
7月のBPOBEの来日公演、当方浜松在住ですので名古屋公演のチケットを
入手しました。実はBPOBEのコンサートは81年(でしたか?)のTp4、Tb4
の8重奏での初来日の時に行ったきりなんですが、当時、本当にあの
アンサンブルには皆度肝を抜かれましたね。Tpのグロート、クレッツアー、
アイヒラー、ヒルザー、Tbのドムス、ウテシュ、シュヴァルツ、チェスリク
の8名が、今から思うと皆現役バリバリの頃で、当時のあのメンバーでの
最盛期だったのではないかと思います。20年の月日が経ち、もう半数以上
のメンバーがいなくなっているんですね。(当時は学生で名古屋在住でした
ので、やはり名古屋公演を聴きにいったのですが、その頃は未だ、今の立派
なコンサートホールの建物などはなく、ステージ上に金屏風が置いてある
ヘンテコリンなホールが会場でした。)特に、クレッツアー氏のヘッケルC管の
輝かしい立ちの良い音、グロート氏のセルマーG管のピッコロTpの流麗な音、
は大変印象的で、現在の彼らの音とは一味違う非常に若々しいものだった
と思います。(現在とは使用楽器も違いますが・・・)
今回、Tpはグロート氏に代わってヴェレンツエイ氏がどのような演奏を
されるか(特にピッコロ)が興味深いです。(その旨をヴェレンツエイ氏に
メールでお伝えしたところ、「では名古屋公演が楽しみだ」という旨の返事も
いただいていますので、とても楽しみにしています。)
の名前が既にBPOのホームページ内のメンバー表から消えていたことに気が付きました。
不思議なことに英語バージョンの方が更新が早くてヴィオラパートのソロのメンバーも
ちゃんと更新されているのです。何でドイツ語のオリジナル版はいつまでたっても
更新しないんでしょう???
非常に遅れ馳せながらやっと’57年のビデオを借りて見ることのできた中橋です。
多忙であったこともありますが 書き込ませていただこうとする度 次々と現れる情報におののき
なかなか書き込むことが出来ませんでした。
最上様、
シュヒターさんが(後にN響の指揮者になったヒトですね。)代わりに振ったというハナシ
そういう裏話があるとは思いませんが納得できるような気もします。
ワタシは ただただフルトヴェングラーの影を引きずってるベルリンフィルが言うことを聞かず
「もう振れない」と弱音を吐いたのかという理解の仕方をしていました。
何せカラヤンの振り方が どう考えてもぎこちなく、’59年のウィーン・フィルの時と比べても
硬すぎるし暗すぎるので そんな状況を考えていました。
ワタシはカラヤンのベルリン・フィルでの演奏はいくらスゴクても 明るかったことはない、
と考えています。 (あまり幸せな気分で指揮できてなかったのではないか、と思ったりで)
それから、どんどんメンバーが去っていくベルリンフィルはどうなって行くのでしょう。
おととし「Das Orchestra」での募集パートを見て驚いたものです。
******************************************
ヘボモンケさん、お返事遅くなりました。(ちょっと長くなりますが・・・)
ベームとの組み合わせはどれを聴いてもホントにスバラシイと思っているのですが
練習の段階で「あんなイヤミなオッサンはいない」というメンバーの意見だったそうで
だいたいみんな腹を立てながら演奏してた・・という裏話を聞いたことがあります。
ホントでしょうか・・・? それでも聴く限りバツグンの相性としか思えないのですが・・・
実は’63年の演奏はちゃんと聴いたことがないので 持ってるヒトを今探してるところです。
それから「ちょっと異常なコラール」は フルトヴェングラーの代役でのアメリカ演奏旅行です。
レコードで持ってるので もしよければMDに落として送らせていただきます。(遠慮なく)
ヘボモンケさんはどこにお住まいでしょうか? 私は大阪です。
7月にベルリンフィル・ブラスアンサンブルがきますね。(明日がチケット発売日で)
20年間に来た時のプログラムを読んでみてたのですが アイヒラーさんも来てて
今考えれば すごいメンバーだったなー、と思います。
演奏が始まった途端 観客が後ろを振返ったくらい音がホールの後ろから跳ね返ってくる
すごいアンサンブルでした。 カラヤンに異常なまでに鍛えられてるという感じでした。
と、金管系中心の話になってしまって・・・ もしよろしければメールでもお話ししませんか?
7日のマーラー7番を聴きました。毎度のことですが、興奮と感激の一夜でし
た。終演後シェレンベルガーに花束が贈られました。恐らくこの日が最後の出
番だったのだと思います。カラヤン時代から素晴らしい演奏を聴いてきた者に
とっては、彼の退団は本当に淋しいの一言です。
ちなみに7日は録画されていましたので、日本でもテレビで放映されるかもし
れません。
BPOのHPでは、もう来シーズンのプログラムが発表になっているようですが、
Vorschau を手にとって眺めるのが楽しみな私としては、まだよく見ていません(^_^;)。
さて、5月5〜7日のマーラー7番(アバド指揮)の批評も出ているようですが、
なかなかの熱気だったようですね。
冒頭のテナーホルンのゲスリング、安永さんのヴァイオリン・ソロ、
ドーアのホルン、シェレンベルガーとヴィットマンのオーボエなど、
どれも絶品だったようで。
ダヌータ女史のソロ・ヴィオラ就任を歓迎する一方で、
最後に、シェレンベルガーの退団にも言及されていますね。
どうやら、フリーの演奏家になるようです。
パイパーズに連載されている宮崎さんの文章は、かなり誇張されている部分もあるものの
(もちろん、それが面白いのですが)、1980年代に、最終的な衝突もあったのでしょうかね。
1972年のヴェルレクや1973年の「ツァラトゥストラ」のレコーディングに参加されている
トランペット奏者の田宮さんからお聞きしたお話では、
「カラヤンはテーリヒェンが嫌いで、レコーディングのときのティンパニは、
いつもフォーグラーだったね」
とのことで、1970年頃から既に、カラヤンの指揮の下でのテーリヒェンの出番は、
あまり多くはなかったと思ってはいましたが。
中橋さん
いろいろ貴重な情報、ありがとうごさいます。
ところで、シュヒターが一日だけ代役で振ったという件ですが、
MARIさんからご教示いただいている、最終日の合同演奏会の前日、
11月21日の仙台公演です。
羽田─仙台空港間のプロペラ機に乗りたくなかったからだとか、
シュヒターにも一回、振らせてあげたかったからではないかとか、
いろいろ言われているようですね。
確か、大町陽一郎氏が、何かに書いていたはずなのですが。
N-MALさん、Masさん
フルート奏者に関する貴重な情報、ありがとうございました。
やはり、不完全なメンバー表でもアップしておいた甲斐があったと、うれしく思っています。
その後、細野達也「ブラボ!あの頃のN響」(三省堂教育開発)を取り出してみたのですが、
以下のような記載もありました。
羽田空港に到着した一行の中に、われわれが入手した来日メンバー表に載っていない
三人の人物がいた。
その一人は当時、ウィーン交響楽団の首席フルート奏者のカミロ・ワナウゼクである。
実は、ベルリン・フィルハーモニーのフルート奏者の中にオーレル・ニコレがいたが、
たまたま香港風邪にかかったために来日ができなくなり、そこで急遽、違うオーケストラ
の彼がピンチヒッターとして参加したのである。ブラームスの「交響曲第一番」のフィナーレ
の序奏で、フルート・ソロの厳しく、美しい音色に加えて、なんとピッチの高かったことよ。
この「三人の人物」うちの、残りの二人は、大町陽一郎とシュヒターとのこと。
その他、「火の鳥」でファゴットのローテンシュタイナーがピアノのパートも担当した話など、
57年の来日公演のエピソードもいろいろ書かれていて、興味深い本です。
皆さん、いろいろと貴重な情報、ありがとうございます。
5月3日から上京して、東京ドームで巨人=中日戦などを見たりしてきたので、
お礼が遅くなってしまいました。
生で巨人戦を見るのは初めてだったのですが(席はネット裏やや3塁よりの前方)、
試合開始前の緊張に満ちた雰囲気は、BPOのコンサートの開演前とも似てますね(^_^)。
有名な選手を生で見るのも、有名な奏者たちを生で見るのと、同じような心理でしょうか。
あと、5月5日朝、コインロッカーに荷物を置きに、東京駅へ行ったのですが、
田中真紀子が車を降り、目の前を通っていくのを見たと、家族が喜んでいました。
私は切符の自動販売機で運賃などを確認していたので、
新幹線の改札口に向かっていく後姿しか見れなかったのですが。
などと書いていると、田舎者にしか思えませんね(^_^;)。
さて、57年アンコールですが、ヘボモンケさんご指摘のテーリヒェンの本を
さっそく確認してみましたところ、次のように書かれていました。
旅行に出てフルトヴェングラーが指揮した演奏会のあと、バスクラリネット奏者、
トロンボーン奏者と打楽器奏者は、演奏会プログラムに出番がなくても、アンコール
のためだけに燕尾服を着なければならなかったのだが、カラヤンはこのアンコールの
やり方は当座は受け継いだものの、大がかりな『タンホイザー』序曲からずっと短い
バッハの弦楽のための『エアー』に切りかえた。しかし、この好意的なポーズものち
には省略されるようになったが、それはプログラムが骨が折れるものだったためでは
ない。演奏会自体もしだいに短くなっていた。
(『フルトヴェングラーかカラヤンか』 高辻知義訳 148頁)
ということで、日本公演でのアンコール、当初は「タンホイザー」序曲が予定されていた
ものの、途中からバッハのアリアに変わったのでしょうか。ちなみに、名古屋で演奏された
バッハのアリアの一部は、以前、放送されてましたよね(名古屋公演は 11月7〜8日)。
問題は、初日11月3日に、「タンホイザー」序曲が実際に演奏されたのか否かですが、
ちょっと気になるところですね。
中橋さん、こんばんは。
当方、ヘボな素人モンケ吹きです。横巻きらっぱオンリーのオケで学生時代を
過ごして以来モンケを吹いてます。(その後も社会人オケで続けていますが、
なかなか独管主体でセクションを揃えるのは難しく実は”細々と”吹き続けてます。)
レッチェ良いですねえ。Tp同様Tbも独管は独特の良さがありますね。
でもTbとなると、なおさら独管で揃えるのは難しいのですかね。来年こちらの
オケの演奏会でブルックナーをやる時に「Tpに合わせて、Tbも独管で揃えようか
と思う」などとTbのメンバーが先日言ってましたので、少し楽しみです。
> 実はベーム・ベルリンフィルのブラ1は私にとっても最高の演奏であります!
そうですよね!あの演奏は素晴らしいですよね!(賛同者がお見えでうれしい・・・)
> 1st.がアイヒラー氏であったということは初めて知りました、ありがとうございます。
いえ、と申しましても確認を取っている訳ではないのですが・・・
ただし、当時の首席のアイヒラー・ベゼニックの両氏の演奏スタイルの違いは
非常に大きい(いずれも素晴らしいのですけど)その次の世代のグロート・クレッツアー両氏
の演奏を聴き分けるのに比べれば大変簡単ですので、「これは明らかにアイヒラー氏」
というようにほぼ断定ができると思います。
> で、Trb.コラールは素晴らしいですよね。
はいはい!!
> ワタシの考えてはこのときの1st.はドムス氏ではないかと思うのです。
やはり、そのようにお考えですか。
> カラヤンのアメリカ旅行の際のブラ1もビックリするようなコラールなのですが
> こちらはウテッシュ氏でないかと思っています。
> 2人のタイミングの取り方とビブラートのかけ方の違いによってそう判断してるのですが
アメリカ旅行の際のブラ1は聴いたことがありませんが、録音がCD化とか
されているのでしょうか?
63年のカラヤンのDGの全集のブラ1の1stTbもまた素晴らしいのですが、
ベーム盤と吹き方や音色が違う気がするので「こちらはウテシュ氏?」
とか思っていたのですがどうでしょう?
> ホントにその当時の人たちに直接会って聞きたいことは山ほどあるという
> のが正直なところで、 是非とも実現させたいと思っております。
いや、本当にそうですよね。そのようなコネクションがおありならば
素晴らしいですね。また、情報等是非お教えください。
書き落としました。そのときの曲目は、ウェーバー「魔弾の射手」序曲、モーツァルトの
35番「ハフナー」、R・シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な
いたずら」、ベートーヴェン5番「運命」です。日付は1957年11月22日。
いつも興味深く拝見させていただいています。N響とBPOの合同演奏については、以前に確か
「超・音楽伝説 カラヤンの謎」安斎浩市著 コアラブックス という本で読んだ覚えがあった
ので、今開いてみました。それによりますと、1957年の冬、カラヤンが初めてBPOを率いて
来日した際、日本全国で14回の演奏会を開き、その最後の演奏会がN響との合同だったそう
です。二つのオケをあわせると約200人にもなるので、当時の東京にはそんな大きなステージ
を持つホールはなく、苦肉の策として、千駄ヶ谷の体育館に特設の大ステージを造って、そこを
日独合同演奏会の会場にしたそうです。そのゲネプロの際に、指揮者の岩城宏之氏がN響の
アシスタント指揮者として、音量のバランスを聴く役目をされていたそうですが、そのとき
突然カラヤンが指揮を中断して、こうどなったそうです。
「うるさい!こんなにうるさくて練習ができるか。あの電車を止めてくれ。
イワキ、電話をかけて止めさせろ!」
その体育館はJR中央線のすぐ横だったそうです。
そのとき、岩城氏がどのように機転をきかせたか、またそのとき怒鳴ったカラヤンの
真意は何であったか、岩城氏の著書「棒ふりのカフェテラス」に、詳しく書いてありますよっ。
いつのまにか厚かましく参加させていただいて申しわけありません。
実は今日、全く偶然に小学館の子供用の「音楽の図鑑」という本を見ることがあったのですが
何とそこに「N響とベルリンフィルとの合同演奏」という写真が載っていて
ものすごく広い会場・舞台でまぎれもなくN響とベルリンフィルの2つのオケがフルで演奏してて
指揮台ではカラヤンが腕を大きく広げてエキサイティングに指揮してるのです。
一体どこで・どんな曲が演奏されてるときの写真なのでしょうか??
もしご存知の方がおられたらゼヒトモ教えていただけないでしょうか?
それから確か’57の来日でカラヤンが弱気になって(?)「明日は振れない」と言って
一度だけシュヒターという人が代役で振ったというエピソードを聞いたような気がしますが
とてもカラヤンとも思えない発言なので真偽のほどはどうなのでしょうか?
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ヘボモンケさん、(スゴイ名前ですね・・)
こちらこそ初めまして、よろしくお願いします。
モンケを吹いてられるのですか? ワタシはレッチェを吹いております。
実はベーム・ベルリンフィルのブラ1は私にとっても最高の演奏であります!
1st.がアイヒラー氏であったということは初めて知りました、ありがとうございます。
で、Trb.コラールは素晴らしいですよね。
ワタシの考えてはこのときの1st.はドムス氏ではないかと思うのです。
カラヤンのアメリカ旅行の際のブラ1もビックリするようなコラールなのですが
こちらはウテッシュ氏でないかと思っています。
2人のタイミングの取り方とビブラートのかけ方の違いによってそう判断してるのですが
実は去年ドイツでウテッシュ氏と電話で話をして(彼は今、南ドイツの田舎で住んでいます)
「次に来たら一緒に練習しよう」とおそろしいことを言われてビビっています。
ドムス氏にも手紙やFAXで質問したことがある、というバチ当たりなことをしております。
そのことは私も知りたいことなので 機会を見つけて質問して ご報告させていただきます。
と、まるで自慢げな書き方になってしまっているようですが
ホントにその当時の人たちに直接会って聞きたいことは山ほどあるというのが正直なところで、
是非とも実現させたいと思っております。
皆さん、こんばんは。
57年11月の来日公演のもう1曲(?)のマイスターの録画テープを
改めて見てみたのですが、Tpセクションはベト5、ドンファンと
同じ4名が座ってるようで、吹いている様子があまり映ってはいない
のですが、1st,2nd倍管で4名で吹いているようです。1stソロは
ドンファンと同じく知らない方で、アシをベゼニック氏が吹いて
いました。
ところで、この日のプログラムは、どのような順番だったのでしょうか?
マイスター、ドンファン、休憩、ベト5、の順だとしたら、アンコールに
タンホイザーでもやらなければ、ベト5でTpのアシの2名やTubが座っている
のはおかしいですよね。テーリヒェンの著書には「就任当初、タンホイザーを
アンコールとして取り上げていたのが、G線上のアリアになり、やがてアンコール
をしなくなった・・・」というようなことも書かれていた気がしますが、
奇しくもこの時の2曲と同じなんですね。
> そのとき、ドムス氏はウォームアップもなしにアンコールに参加したそうですが
> 居並ぶスゴ腕の「現役」の弟子たちとは全く別次元で鳴っているスバラシイ音だったらしく
> 実際 その音はCDで聴くことが出来ます。
中橋さん、初めまして。
60〜70年代のTbセクション良いですね。今回の映像では、Tbがあまり映って
いないようでしたが、1stはドムス氏なんですね。Timがアップになった時に
待っている2ndのウテッシュ氏はよく映っていました。
>Tp.ヴェゼニック&アイヒラーの音も 大好きで、何より聴いていてオモシロイです。
> 何でも当時ベルリン・フィル内で「土方(どかた)」と呼ばれていたそうで・・・
> どんな曲もB管で吹いていたというハナシを聞きましたが、確かにそれっぽい音ですね。
土方ですか?確かに当時はほとんどの曲をB管で吹いていました。
57年の放送には乗っていなかったようですが、当時の首席Tpのもう一人の
アイヒラー氏が吹いているベームBPOのブラ1の録音が個人的に好きなのですが、
この演奏の4楽章のtbのコラールの1stの音色・吹き方が非常に素晴らしい
のですが、このTbを吹かれているのはドムス氏でしょうか?
ご存知でしたら御教示下さい。
N-MALさん、皆さん、こんにちは。
57年のBPO来日公演にはニコレも来る予定でしたが、病気で来れなくなり急遽ワナウゼクがトラとして呼ばれた、という話を私も以前に聞いたことがあります。なんでも脳腫瘍で手術したとかいうことでしたが、もしそうだとしたら、その後ずっと演奏活動を続けていることからみて、小さな良性腫瘍で後遺症もなく手術できたということなのでしょうか。
デムラーは、記憶に間違いがなければユニテルのカラヤン/BPOのベートーベン全集の中のどれかで、少しだけですが映っていたはずです。
いつ頃のことなのでしょうか?
「カラヤンの就任以来25年の長きをともにした」と書かれてあったので、
1980年から数年の間のことと思われますが。
演奏会記録をさらっと見た限りでは80年〜84年頃までは
ブル8の演奏会は5回以下のように見えました。
ザビーネ・マイヤー事件で相当にイラついていたのでしょうか?
それともずっと昔からのことなのでしょうか?
イースター音楽祭のドイツ・レクイエムのLDのティンパニなど
気に入っているのでちょっと残念なお話ではあります。
まず、実はあれほど楽しみにして、録画するように宣伝してたワタシですが
何故か本人が録画をするのを忘れて出ていってしまい、貸してもらうよう頼んでる次第です。
それにしても最上さんはじめ、皆さんよくそこまで把握できるものと鳥肌が立つ思いであります。
ということでまだビデオは見ていないのですが
デムラーは確かフリッツ・デムラーというフルネームですね。
名前だけ先行して どんな人なのかは実際は見たことはないので楽しみです。
それから、宣伝したヨハン・ドムスの弟子の人が録画を本人に送りたいと言っていました。
ドムス氏は今77歳で、去年ベルリンで彼の門下20数人が集まってのコンサートを開き
その際CDも作られ それこそ鳥肌の立つような音を全員が鳴らしています。
で、コンサートの最後に弟子全員からのプレゼントとして師匠に彼の愛用の楽器の工房である
「レッチェ」のマイスターが彼の名前の彫刻入りの新しい楽器を作り直々に手渡したそうです。
そのとき、ドムス氏はウォームアップもなしにアンコールに参加したそうですが
居並ぶスゴ腕の「現役」の弟子たちとは全く別次元で鳴っているスバラシイ音だったらしく
実際 その音はCDで聴くことが出来ます。
Tp.ヴェゼニック&アイヒラーの音も 大好きで、何より聴いていてオモシロイです。
何でも当時ベルリン・フィル内で「土方(どかた)」と呼ばれていたそうで・・・
どんな曲もB管で吹いていたというハナシを聞きましたが、確かにそれっぽい音ですね。
ではでは早くビデオを貸してもらってまた感想を書かせていただきます。
>最上様
千葉県のアマオケFL奏者N-MALです。
57年の放送は録画して,それほどカラヤンがすきではない(^^ゞ私も圧倒されました。
音質が驚くほどよくて,運命の提示部繰返しだけいきなりモノラルで音がひずみ,
展開部のHrの咆哮でまた鮮明なステレオに戻るのは,白黒フィルムの画質とあわせ
違和感ありありでしたが,そうまでして演奏を完璧に復元したNHKの執念はすごいと思いました。
たしかにBPO関係の中継が激減したのは私も日ごろ残念に思いますが,見放してはなりませんね。
運命はオケがかなり自由に弾いているイメージですが,カラヤン流の流麗な音楽の進め方が
もう顕れているのが面白く,またドンファンは非常に興奮させられました。
ところでこの放送でのメンバーもアップなさったのは驚きました。
ドンファンの1番がデムラーだったのですね。名前は聞くものの,ツェラーやゴールウェイの
陰に隠れた首席で興味はあったのですが。
運命ですが,57年の来日でフルート関連のこういう話があります。
本来,当時の首席はデムラーのほか,著名なオーレル・ニコレでしたが,彼は怪我だか病気だか
(氏は後年ソロの初来日も同じようなアクシデントでドタキャンしたそうです)
でツアーに参加できず,カラヤンの「勅命」でウィーン交響楽団の首席,カミロ・ヴァナウゼック
が代吹きしたそうです。
前回の今年1月のヴィーゼのように,専門誌などで顔を照合したのではありませんが,
運命の1番はヴァナウゼックで間違いないと思います。
カラヤンはヴァナウゼックに「飛行機を用意してあるからすぐに日本に来てほしい。断ったら
今後おたくのオケは指揮しない」といったそうだから,このころからすごい政治力だったのです
ね。(参考資料:アルソ出版『The Flute』掲載号は忘れました_(._.)_)
それは初めて知りました。もし映像・音声が残っていたら、喉から手が出るほど見たいです。
アンコールの時にアヴゲリノスが交替して初日にティンパニを叩いた可能もありますね。
タンホイザー序曲は名古屋公演が放送されたものと考えていましたが、
もう一度縮刷版を確かめてくる必要が出てきました。
なお、JOHN HUNTの「PHILHARMONIC AUTOCRAT」には、この日本ツアーでのアンコール曲は
「G線上のアリア」と「マイスタージンガー前奏曲」と記載されていましたので、
アンコールがあったとすれば「G線上のアリア」だと私は思っていました。
主要演奏メンバーについては、はっきりいって、ほとんどお手上げなのですが、
一応、叩き台として、アップだけはしておきましょう。
なお、木管楽器については、パートの番号ではなく、座っている順番ということで。
Fl) 1:デムラー、2:?、3:?、4:プリル(Picc)
(デムラーは前半のみ1番、「運命」は3人目の人と交替)
Ob) 1:コッホ、2:シュレーフォークト、3:シュテムプニク (EH)
Cl) 1:ビュルクナー?、2:?、3:?
Fg) 1:ローテンシュタイナー、2:?、3:ブラウン、4:ピースク (Cfg)
(「運命」では、ローテンシュタイナーとブラウンが交替)
Hrn) 不詳
Trp) 不詳
Trb) 1:ドムス、2:ドゥーゼ=ウテシュ、3:ハイドリヒ?
Tub) ユルゲンス
Timp) テーリヒェン
Perc) シメル(マイスタージンガーのシンバル)、?
Hrp) ハルトマン
1stVn) シュヴァルベ、ギーゼラー
2ndVn) クラプカ、シェーンガルト
Va) キルヒナー、ゲアハルト?
Vc) フィンケ、ポゼッガ?
Cb) ツェペリッツ、メンツェル
このハープ奏者は、フリッツ・ハルトマンという名前で、1894年ベルリン生まれの人。
BPOには1936年入団なので、戦前からずっとハープの使われる曲を演奏してきたのでしょう。
残念ながら、日本公演の翌年、1958年8月、まだ退団前の63才でベルリンで亡くなっています。
ベートーヴェンでは出番のないハープ奏者がステージ上にいることは、
番組でも話題になっていましたが、他に、チューバ奏者や打楽器奏者も。
BPO100年史に、1957年の日本公演に関する資料も掲載されているのですが、それによると、
アンコールとして、ワーグナーの「タイホイザー」序曲が用意されてはいたようです。
実際に、何回か演奏されたのでしょうか。
ちなみに、11月3日は、皇族や政治家も多数招待されたようで(岸総理も行ったらしい。
天皇が列席したかどうかは不詳ですが、たぶん会場にいたのではないでしょうか)、
初日の特別演奏会ということで、気合いを入れて、ずっとステージ上にいたのでしょうかね。
もし、アンコールも演奏されたとして、これの録画も残っていれば.......
と言ってみてもしょうがないのですが、でも、「タンホイザー」序曲ですからねぇ。
確かにアヴゲリノスですね。
でも11/3の旧NHKホールのプログラム3曲は演奏していないです。
国歌演奏の時だけ出てきたのでしょうか?
あの映像の会場は日比谷公会堂でしょうか?
どなたかお分かりになる方いらっしゃいませんでしょうか?
最上さん、マラドーナさん、こんばんは。
昨夜の放送を見ましたが、本当に貴重なものですね。
とりあえず、ビデオに録っておきました。
金管セクションのメンバーはまだ良くチェックしていませんが、
Tpはベト5では、首席のベゼニック氏が彼らしい音でトップを
ガンガン吹いていたのが印象的でした。彼の演奏中の映像も
あまり多く放送されてはいないと思いますので、興味深かった
です。ところで、Tpは4名並んでいましたが、二人だけで吹いて
いたように思います。Tubも座ってましたので、このまま出入りなし
でアンコールかなにかで別の3管編成の曲でもやっていたのでしょうか?
また、ドンファンの方はベゼニック氏とは音色の違うソロでしたので、
こちらはもう一人の首席のアイヒラー氏かと思いましたが、1アシは
ベゼニック氏でしたが、ソロはアイヒラー氏ではありませんでした。
あのソロを吹いていたのはどなただったのでしょうか?
最上さん、こんばんは。
>ところで、アブゲリノスさんのベルリン滞在日は、ひょっとして、
>シノーポリがドイツオペラの指揮台で倒れた日なのでは。
20日の昼過ぎにテーゲル空港からミュンヒェンに向かいましたので、
残念ながらシノーポリの死に目には会えませんでした。
シノーポリの急死は翌日の朝刊で知った次第です。
当日の夜は Nationaltheater で、ペーター・コンヴィチュニー演出の
「パルジファル」を鑑賞していました。
ヴァルトラウト・マイヤーのクンドリーが素晴らしかった、、、
>私は、1989年5月29日、ミュンヘンでの「セヴィリアの理髪師」の上演中、
>パターネの指揮が途中で止まり、上演が中断して、指揮台から
>運ばれていくのを見たことがあるのですが、あれも衝撃的でした。
パターネは日本ではあまり知られていませんが、
イタリアものには定評のある指揮者でしたね。
そう言えばカラヤンがベルリン・フィルと「トスカ」をレコーディングしたとき、
練習の下振りをさせたのも彼でした。
私は1987年の6月に同じくバイエルン国立歌劇場でプッチーニの「トゥーランドット」を
観たのが最後です。
演出、ジャンピエール・ポネル。トゥーランドット、ゲーナ・ディミトローヴァ。
カラフ、ニコラ・マルティヌッチ。リュー、ミレッラ・フレーニ。
ティムール、ニコライ・ギャウロフ。と言う強力な布陣でした。