>fortuneさま
あの放送後、どうしてもあの映像を手に入れたくて、翌年だったか、リリースされた
LD(なつかしい!)を購入したものです。
思えば、私のベルリンフィル熱はその時から始まったような気がします。
クラシックで、こんなにオープンな、しかも尋常ではない盛り上がりを体験できる
コンサートなんてあったのか!という驚きとシェレンベルガー氏のソロにすっかり
魅了され、興奮したのを覚えています。
最近の小澤には物足りないものを感じていますが、やはりこの人にはベリリンフィルが
似合います。昨年のヴァルトビューネは10年ぶりに小澤でしたが、ベルリンフィルの
良さを引き出すプログラムだったかどうかは別として、非常に好ましいライヴでした。
さて、シェレンベルガーの変な髪とはちょいと失礼な言い方でした。
若かりし頃の素敵なお姿と言っておきましょう。
20年前、83年のジルヴェスターコンサートの映像で、彼の若い頃の姿をご覧いただけます。
はアンネ・シュヴァネヴィルムスが来日するようですね。彼女、来日経験はあったかな?ゼンタや第9のソリストなどで何度か聴いておりますが、なかなか良い歌手です。
いよいよ 音楽監督との本拠地公演です 聴いてきてから書き込もうと思いましたが 期待が大きいだけに行く前に少し 皆様のご意見もお伺いできればと思い書き込みます 今回の座席は右側のEブロックとF ブロックです どちらも一列目の舞台から離れた方の座席です このホール正面ではどうしても よい音で聴けないため(というか小生の好きな音にならないため いつもEかFブロックを指定しています 同じ場所で聴く方が他の指揮者との比較もしやすいのでは? という考えもあります 前回は昨年10月の小澤でのブルックナー7番 今回は音楽監督のラトルのブルックナー4番 1月にウィーン・フィルで同演目でありましたが こちらはよく響くホール 今回はそうでもないホールと それだけに細かなアプローチがよくわかると思います ブルックナーの4番は今まででも50回以上の演奏会に行ってますので かなり比較がしやすいと思います 現時点でのラトルのブルックナー評価は 恰幅は良いけれど・・・ というところで止まっています 今年はウィーンやアテネでも同演目が披露されるので かなり気合が入っているとみております
たけやんさま
こんばんは、fortuneと申します。「ダッタン人」のソロで私もK.O.くらいました。色っぽいというか艶かしいというか・・・安っぽい表現になってしまいますけれど、本当に背中がぞくぞくするほどの衝撃と感動でした。実は小澤氏目当てで夜更かししてましたが、思わぬ収穫!という感じでした。
その小澤氏天衣無縫ワールドも炸裂しまくっていましたよね。「火の鳥」なんかは今DVDで見返しても名演だと思います。(音響がちょっと・・・ぶーん、とか入っちゃってて残念。)いつか小澤氏×ベルリンフィル、生で聴きたいです。
ところで!シェレンベルガー氏の「変な髪形時代」っていつ頃なんですか?ちょっと・・・興味あり(笑)。
当時BSで観て、「ダッタン人の踊り」でのシェレンベルガーのソロに驚いたものです。
あんなに「歌」に満ち溢れた「ダッタン人」のソロを聴くことがそれまで無かったんで…。
シェレンベルガーの映像は、昔の変な髪型時代がおもしろいですね。しかし演奏は立派。
最近リリースされた2001年のヨーロッパコンサートではベルリンフィル時代の最後の
勇姿?も拝めますね。
それにしても93年のヴァルトビューネ聴いてますと、小澤のベルリンフィルとの相性の
良さを感じます。ウィーンでいろいろと物議を醸す小澤ですが、ベルリンフィルにもうちょい
呼んであげてもよいのでは…などと思ったりします。
サイトウキネンではなかなか見れない、燃える小澤がベルリンフィルでは見れそうな気がします。
teruyukiさま
こんにちは、fortuneでございます。
早速の情報、本当にありがとうございました!あの後わたしも検索エンジンを駆使し、シェレンベルガー氏まで辿り着きましたが、ここまで詳細な情報は得られませんでした、本当に感謝しております。これから音源などをさがし、いろいろと購入したいと思います。次の来日&日本公演はいつになるかな〜、とってもわくわくします。本当に本当にありがとうございました!!
1993年ならばオーボエ主席はシェレンベルガーだと思います。シェレンベルガーは残念ながら2001年に退団してしまいました。私が所蔵している1993年のハイティンク/BPOのヨーロッパコンサートのDVDではシェレンベルガーが主席オーボエ奏者です。シェレンベルガーについては、学生時代衛星放送でアバドがシェフになって間もない時のブラームスの交響曲第1番を視聴したのが初めてでした。なんとうまいオーボエ奏者なんだろうと思い感心した記憶があります。シェレンベルガーは下記の通り、ソロ活動などをされているようです。
ハンスイェルク・シェレンベルガー(オーボエ) Hansjorg Schellenberger, oboe
1948年、ミュンヘンに生まれる。6才でリコーダーを、13才よりオーボエを習い初め、1967年にミュンヘン高等音楽院に入学、マンフレッド・クレメントの下で学んだ。彼はミュンヘンの「現代の音楽」シリーズの創設者の一人で、現代音楽の豊かな知識と経験を持ち、現代音楽は今日でも彼が深く関わっている分野の一つである。1970年試験に合格し、1971年ケルン放送交響楽団の副首席オーボエ奏者、1975年に首席となった。1977年秋からカラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の代理奏者として定期的に演奏活動を始め、1980年秋に首席オーボエ奏者に就任。1971年ドイツ音楽院コンクール第1位、1972年ミュンヘン国際ARDコンクール第2位、ババリア文化振興賞受賞。1981年から91年の間、ベルリン高等芸術院で教師として精力的に活動する一方、室内楽奏者、ソリストとしても活動の場を広げた。
現在ベルリン・ハイドン・アンサンブルの創立者、監督の他、ベルリン・フィルハーモニック管楽アンサンブルとアンサンブル・ウィーン=ベルリンのメンバーをつとめる。ロルフ・クーネン(ピアノ)、ヴォルフガング・シュルツ(フルート)、マルギット=アナ・シュース(ハープ)らとは永年のデュオのパートナーであり、ソリストとしてクラウディオ・アバド、カルロ・マリア・ジュリーニ、リッカルド・ムーティ、ジェームス・レヴァイン等の指揮者や多くのオーケストラと共演。1989年以来シエナのキジアーナ音楽院、1986年からはフィエソレの音楽学校のマスタークラスで教鞭を執っている。CDはデンオン、ドイツ・グラモフォン、オルフェオ、ソニー・クラシカルに録音してきた。
1998年には“カンパネラ・ムジカ”レーベルを設立。演奏される機会の少ない名曲の音源化をテーマに掲げたリリースは、各方面から注目を集めている。
はじめて投稿致しますfortuneと申します。先ほど検索エンジンから参りました。どうぞよろしくお願い致します。
ご存知の方がいらっしゃいましたらぜひお伺いしたいのですが、1993年の野外コンサート(ロシアン・ナイト 小澤征爾氏指揮)で、オーボエの主席奏者でいらした方の情報をご存知の方はいらっしゃいますか?現在でもベルリンフィルに在籍されていらっしゃるのでしょうか?まだ学生だった頃、眠い目をこすりながら衛星生中継を見、あのオーボエにぞくぞくと感動を覚えたことを思い出します。日本公演などを行っていらっしゃればぜひ聴きに行きたいと思っております。
どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらぜひ情報をお願い致します。
以前ウィーン・フイルの公演にてメンバーが宿泊するホテルでききましたのですが、高くなるのは指揮者が高く取るためであると云って云っていました。よくはわかりませんが日本は外国の演奏家にとって美味しい市場であるようです。不況となりましてコンサート会場は観客が少なくなってきましたがここで名前だけでは駄目で値段に会う演奏でないと駄目であることを示すよき機会となればいいのですが。
もう一つ思い出しました。去年11月のアメリカ演奏旅行、飛行機貸し切りでした。
チャーター機での移動だったようです。WPhのように、3グループに分かれて来る、
という方法を彼らはとっていなかったようです。WPhはオペラを演奏するのがメインなので、
1度に全員が移動すると、万が一のことがあった場合オペラの演奏が維持できなくなる
ことがあるのかな? と勝手に想像しています。BPhは普段はオペラをやらないので、
一度に全員移動するのが普通でしょう。そうすると飛行機を1機チャーターした方が
何かと困らないのかもしれません。BPhに限ったことではなく、外来オケの日本公演、
金がかかるのが「当たり前」なんでしょうね。岩城さんの本なんかを読むと、
演奏旅行のために音楽監督が地元企業に頭を下げて寄付をお願いする、なんてことが
当たり前のように行なわれているというのですから…。
ベルリン以外では、どうも最高席がEUR100.-を下回ることがないようです。
BPhのwebページからKonzertreiseで調べてみると、たとえば5月12&13日に
ウィーン楽友協会での演奏会、第2ランクでEUR100.-、ケルンのフィルハーモニーでも
第3ランクで確かEUR110.-ですから、当地にあるオケよりもかなり値段が張るのだけは
間違いないようです。日本の場合、招待客に対する負担は問題外としても、100人近くの
旅費と宿泊費、楽器運搬料、公演料、一人あたりのギャラ等を考えれば、S席で
3万円が超えてしまうのは、もしかすると宜なるかな、なのかもしれません。
せめて今噂に出ている金額がガセネタであることを信じています。
でも、カラヤンと最後に来た1988年、日本での3回の公演料とカラヤンの
ギャラが同金額だったらしい、と聞いたことがあります。え? いくらって?
今発売中の宝くじ1等金額の半分だったと記憶しています。
ベルリンフィルの来日公演やCDを聴いて楽しんでいるオケファンです。
単純な質問ですが、ウィーンフィル友の会があるのに、なぜベルリンフィル友の会が
無いのか不思議に思っておりました。過去の来日回数やカラヤン等のファン層を考えると
あっても・・・というのが主因です。
アバドの功罪についてツェッペリッツ先生のことが書かれていましたが、私が現役メンバーとしてツェッペリッツ先生の最後の日本公演の時に、大阪でのコンサート後にお会いしましてすこし話ししました。カラヤンの時代はストロング・コントラバスが求められたので、一生懸命に作り上げたがアバドになってから何も云われなくて寂しい想いであることを話されておりました。その時にアバドーベルリンフィルの写真集を頂きましたが、その時にツェッペリッツ先生が写されているものでモスクワの公演の時、三楽章でソロをしなければならないマーラーの交響曲第一番の前の休憩時間に一人舞台でうずくまって座っているものでした。音がでかくてやかましいと存在を失ったことがわかります。カラヤンの時代はコントラバス奏者も身体を動かして演奏されていましたのは懐かしく思います。
「音楽の友」3月号によれば岡山はマラ5のBプロだそうです。
BPOとWPh両方出ていたので記しておきます。
11/2 BPO札幌Cプロ
11/4 BPO岡山Bプロ
11/6 BPO金沢未定
11/7 BPO川崎Aプロ
11/11WPh富山Jシュトラウスワルツ、悲愴
11/12WPh大阪Jシュトラウスワルツ、悲愴
11/13WPh三重Jシュトラウスワルツ、チャイ4
11/14BPO東京未定
11/15BPOフィデリオ、WPh福岡チャイ4&5
11/16BPO東京未定、WPh東京Jシュトラウスワルツ、チャイ5
11/17WPh東京タンホイザー序曲、プフィッツナーVn協、悲愴
11/18BPO東京フィデリオ
11/19BPO東京未定
11/20BPO東京未定、WPh静岡Jシュトラウスワルツ、悲愴
11/21BPO東京フィデリオ、WPh東京ラフマニノフP協bR、チャイ4
BPOチケット代がガセネタであればいいのですが・・・
ベルリンフィルの招聘先はフジテレビジョンです。ベルリンフィルが来日する情報を知ったのは2年前 ボローニャ歌劇場びわこ公演の初日「清教徒」の公演の時 びわこホールで音楽関係者の方がフジTVが主催者になると話していたのを聞きました。
ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。
今秋来日するベルリンフィル日本公演の招聘元はどこなんでしょうか?
神原音楽事務所はもうなくなってしまったし。。。
ベルリンフィル来日公演料金 コンサートのS席が39,000円 オペラのS席が80,000円どうしてこのような料金になったのか理解ができない。おそらくこの高額料金にしても招聘元は全席完売になると確信しているに違いない。これで日本のクラシック音楽界のチケットの値上げが怖い。便乗値上げを阻止するためにもこのようなベルリンフィルチケットの不買運動を起こすべきだ。音楽ファンの心理に漬け込んだ販売方法・・・ いつまでもうまくいくとは思わないが・・
秋のウィーンフィル ウィーン国立歌劇場の来日公演 相当高くなるのではと心配しています。
企業のスタッフの人たち いつリストラになるか分らないからくれぐれも資金計画は十分にしましょう
3)人格面に対して
この観点は、芸術面の成否とは直接関係しませんが、あえて言わせていただきたいと思います。
先にも言及したように、最終的な真実は関わっていた当事者でないとわからない、とは思いますが、彼ほど「民主的」とか「人格者」とかいう言葉が(私にとっては)偽善に響く人もいません。
彼が主席、監督を務めてきたところは、BPOを除き(あくまで表向きはですが)すべてけんか別れをしてきているのです。また、管理人さんが引用されたツェッペリッツやフォーグラーの言動ではないですが、あれのどこが「民主的」なのでしょうか?逆に私は、指揮者はある種独裁的であるくらいのほうが結果としてはいいとは思いますが、その独裁を覆い隠すかのようにことさらに「民主的」というイメージつくりをしているのが胡散臭さを感じます。また、政治的発言についても同様で、しかもそれが芸術とはまた離れたところにある点で、「芸術家」としての評価はともかく、人間的には信用おけないタイプです(マズアと同タイプ?)。むしろいろいろ毀誉褒貶はありますものの、まだマゼールやバレンボイムなどのほうが芸術家としての自己の意思に正直かつ率直ではないかと思いますね。数々の訴訟(ウィーンを離れる際にも争いがあったと聞いてます)沙汰はカラヤン以上ではないかと思えます。
4)業界に対して
これもある種うわさや又聞きの域を超えないのですが、彼がBPOの監督となってからレコード会社はずいぶん振り回されて疲弊したのではないかという気がします。一番被害を蒙ったのは、たぶんソニーでしょう。芸術的には一番残す価値があるものではありますが、コストがかかる大作、マイナー曲ばかり録音させられ、かといって売上はさほど期待できないものばかり。売上が期待出来る曲はDGやEMIに持っていかれて、いまやソニーはほとんど新作録音ができなくなっているのではないでしょうか(むろんこれはアバドの問題ではなく、レコード会社の見識の問題でもあるでしょうが)。一方のDGも、訴訟でどういう和解をしたのか知りませんが、「なぜこの時期にこういう録音を?」というくらい不思議なリリースをしてますよね。最近のマーラー3作なども、特に3番はDGの録音ではない音源(イースターの特典盤でしたよね)を入手してまで、しかも同時期にブーレーズ・ウィーンフィルの同曲の録音を遅らせてまでリリースする意味がどれだけあったのか。
日本のマスコミ、特に某レコード評論雑誌も、ここ数年(大病以来?)は不思議なくらい批判的内容をみませんよね(これまた悪名高きU氏はともかく)。夏ごろに掲載される名曲名盤選も、鼎談出席者は、上位でもなければそもそも自分でも票を入れていない、それどころかまだ録音すらない(笑)アバド・BPOを引合いに出して誉めるような記述がやたら目につき、その当否はともかくとしてなんだか鼻白む思いをしました。
ファンの方には気に障るような記述もあるでしょうが、これでもかつてのアバドの演奏そのものは評価しているほうなんですよ(^^)。BPOを離れて時間も経過した今、いろんな意見をたたかわせてみてもいいのではないでしょうか?異論、反論、補足その他、期待しています。
2)聴衆に対して
i)狭義の定期会員
企画自体はそれなりに評価できますが、定期会員がそれを聞きたいと思っているか?たまには毛色の違ったものでもいいものの、ドイツの古典ものできちんとした演奏を聞かせてもらいたい、と思っているのではないか、という気がします。(少なくとも私の知人はそうです)ドイツ本流、という言い方は適切ではないかもしれませんが、その方面で欲求不満を募らせているようでは、プラス、とはいえないでしょう。
ii)CD購入者を含めた広い意味の聴衆
逆にこちらは、これまでの演奏家が成し遂げていないことに対する貢献があるか、ということがメインになるかと思います。彼のスカラ時代のロッシーニ、ウィーンでのフィエラブラス等の復活蘇演や、有名曲に対する斬新な解釈などを評価することには人後に落ちませんが、彼がBPOの音楽監督になってからそういう意味では何をしたでしょう?私が知らないだけかもしれませんが、正直何もありません。企画ものにしても、企画が斬新なだけであって、とりあげる音楽・演奏そのものには斬新さはありません。(最近、その企画ものに関してのアバドのインタビューの邦訳本が出ました。訳はなかなかしっかりとしているな、と感心しましたが、あの「知性派」といわれるアバドの発言内容のあまりの薄さにかえって驚いてしまいました。ほとんどが歴史的背景、どこかで見ればわかる文献的知識を並べているだけ(もし何も資料を手に持たずに記憶でしゃべっていたのだとすれば、それはそれでスゴイですが、それは芸術家としては何の価値もないことです。)で、彼がそれを音楽にどう生かしたかがまるで出てこない。もしかしてゴーストライターがでっちあげた代物ではないか?と返って訝ったくらいです。)いわゆる名曲群の演奏に至っては、特にベートーヴェンをはじめとして、まさに「砂を噛む思い」。たとえていえば、学者がいろんな論文を引用して自分の論文を「一丁上がり」とでっちあげたかのような演奏ばかりを聞かされてきた、という印象です。それでも、スカラ、ウィーン時代の解釈の先進性からすれば「今度こそは」と思って何度も期待してはいたのですが・・・。まあいつまでも時代の最先端を走るというのは難しいのはそうなのですが、たとえばベートーヴェンの第9やトリスタンなどでも、ほぼ同時期に取り上げたラトルと系統は似ていても、その斬新さ、徹底振りにおいて、明らかに中途半端で色あせて聞こえます。特にこういった名曲群については、いみじくもフルトヴェングラーが言うように「同じ曲であっても初めてであるかのような」演奏であるべきだというのが私の持論で、聞き飽きた曲であっても「こんないい曲だったんだ」とか演奏会の後に「また聞いてみよう」と聴衆に思わせてなんぼだと思いますが、彼がBPOと演奏した曲は、得意のマーラーも含めて(それでもマーラーはまだマシなほうですが)「もう結構、退屈で聞き飽きた」と思わずにいられないことがたびたび。少なくとも演奏会、CDも含めてそう思ったことのほうが明らかに多いです。演奏史を汚した、ということまではないにしても、付け加えるものもなかった、という意味では、その辺のマイナーオケならともかく、世界に冠たるBPOの音楽監督としてはマイナスと言い切っても言い過ぎではないのではないでしょうか。
欧州文化云々という趣旨ではいわんやをやで、ユースとの活動はともかく、BPOの監督としては何の貢献もないと思います。これもマイナスとはいわないまでも、少なくともプラスはないでしょう。
管理人さんとはなんだか意見が一致する部分が多いようですね(^^)
前回あまり具体的な記述をしなかったのですが、Das Posauneさんの投稿を見て、もう少しきちんと私の意見をまとめたいという気になりました。
>功罪といった場合、だれに対してかを明確にする必要がありますね。
おっしゃる通りですね。以下、それぞれについて私見をまとめてみました。いろいろ思い込みその他あると思いますが、現在の正直な気持ち、認識です。忌憚ないご意見をお聞かせください。
1)オケに対して
i)技術水準
これは個々の奏者の問題もあるし、時期の問題もあるでしょうから、ユースならともかく、特にBPOクラスになった場合、指揮者の力量がどれほど影響するかは未知数ですが、オケの技術水準が劣化した、ということはないでしょう。但し、いみじくも管理人さんがおっしゃられるように、「彼らの力量を生かせなかった」という意味では、たとえ個々の技術水準が向上していたとしてもまったく意味がないと思います。ここではとりあえずプラスマイナスゼロとしておきましょう。
ii)収入を含めた待遇
これは誰がなんといおうと、明らかにマイナスですね。むろん、指揮者だけのせいではないでしょうが、彼はそれに対して何の手も打たなかったのみならず、むしろ極論すればほとんど私物化に近かったように思えます。そういう意味では「音楽を商売にした」と言われるカラヤン以上に問題があったように思えます。
予想はついていました。フィデリオは最高でも7万は超えるだろう、と。
それなりの歌手を呼んでくるわけでしょうから(ただ、デノーケは来ません。
昨年9月、ヴィーンで会ったときに確認しました。4月もヴィーンでパルジファルを
聴く予定なので再確認しますし、来週ラトルと会うので、確認可能かと)、
その歌手のギャラも入って来るのでしょう。装置の移動費等々、オペラそのものを
ザルツブルクと同様に上演するのでしょうから、かなり金額は上がると思っていました。
それにしてもSで8万というのは本当ならちょっと異常ですね。
私の記憶が確かなら、2000年のトリスタンは最高額65000円だったと思います。
オケの39000円はなんだかなぁ、です。
また何もわからない招待客にチケットをばらまくんでしょうか。
あるいは、オケがStiftung化され、ベルリン市からの補助がなくなったとか、
スポンサーがなかなかつかなくてそうなったのか、もちろん一般聴衆にとって
その真相は知るよしもないですが。
シスコでの最高額$195も高い方だったんです。シスコ響の定期が最高で&97、
外来オケ、ブロムシュテット指揮コンセルトヘボウや
バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレで最高額$82ですから。
もちろんこれは、BPhの海外公演をマネジメントしている会社(今でもCAMI?)の
売り方の問題なんだろうと思いますが、それにしてもひでぇなぁ。
この金額、本当だとしたらきちんとした説明が欲しいですね。
いくら何でも酷すぎる。ザルツブルクもそのくらい高いと思うのですが、
尚更日本でBPhを聴きたくなくなります。
某所からの受け売りです。
ベルリン・フィル東京公演のチケット代は
オーケストラコンサートS席39000円、フィデリオS席80000円だそうです。
フィデリオの席割は、文化会館の1〜2階の全部と3階センターがS席、
3階LRと4階センターがA席とのこと。
トリスタンの時よりも高いと思いますが、あの時のS席最高額はいくらでしたでしょうか?
私はトリスタンの時C席かD席で、3階か4階に座り、35000円位だった記憶があります。
いずれにせよ目の玉が飛び出るような額ですね。
お台場住人様には申し訳ありませんが、ハッキリ言って酷すぎると思います。
ラトルも金額を知ったら眉をひそめるでは?
ベルリン・フィルの音と言うとフルトヴェングラーとのシューベルトの
グレートやシューマンの4番が真っ先に思い浮かびます。
モノラルながら,こんなに生き生きとした音って他にあるのだろうか?
とさえ思います。当時の音は血の匂いがすると私は感じています。
カラヤンのスタジオ録音は,リズムが鈍く聞こえるものが多くちょっと苦手です(汗)
昨今のベルリン・フィルがどうかと言われると,よくわかりません。
日本公演は結構聴いているのですが,日格差が激しいのかホールとの相性なのか
一定した印象がありません。昔と違うという不満の声が出るのも無理はないとは思います。
でも96年に大阪で演奏された「復活」は,冒頭からバスが堂々と主張し,それは見事でした。
マーラーは管楽器のソロが重要な部分が多いのですが,そういったところで
主席奏者たちが繰り広げる音楽に他の奏者が触発されて燃えていく様子は鳥肌もので
まさにオーケストラを聴く醍醐味,ここにありです。
このオケが燃えると手が付けられないですね。
でも東京公演の方はかなり穏和なテンポの演奏であれれ・・・?って感じでした。
同じ時に大阪で「第9」もあったけど,そちらは穏やかなもの。
98年のマーラーも日によって全然テンションが違うように感じました。
保守的だと言われるだろうけど,やはりレパートリーのコアにベートーヴェンから
R・シュトラウスに至るドイツ物をしっかり据えて,ワンパターンと言われても
毎年同じ曲を演奏し続けながら,新しいレパートリーも発表していくという王道がいいですね。
フルトヴェングラーの演奏記録はそういう意味で今でも模範だと思います。
小編成のベートーヴェンはヨーロッパ室内管弦楽団にお任せして,
我らは倍管で行く!ってノリ,私は大好きです(笑)
高さんへ。
こんばんは。
大阪のローマの松、ビデオご覧になりましたでしょうか。
バンダはアイヒラー氏と松田先生で、オケがグロート、ヒルザー、プラットの
各氏でした。(TV局の用意したカメラ数が足りず、クレッツアー氏のカタコンブの
舞台裏ソロが映せず、代わりにプラット氏が舞台上で口パクをさせられた件は、
以前こちらで話題になりました。)
松田先生の秘蔵の映像、貴重そうなものばかりですね。
機会がありましたら、是非一度拝聴させていただきたいです。
ベルリンの歴代のラッパ吹きの件、私も非常に興味がありますが、
残念ながらお教えできるような情報はあまり持っていません。
個人的には、ベゼニック・アイヒラー時代、あるいはそれ以前の時代のメンバーに
ついて興味があるのですが、流石にどこにも話題に上がらないのは残念です。
私も、是非、お詳しい方にご教示をいただきたいところです。
こちらには、ラッパ関係は、かなりディープな方々が立ち寄られてますので、
また色々と情報をいただけると良いですね。
小澤&ベルリン・フィルの実演経験は昨年のブルックナー7番しかありませんが 20年以上前に小澤が悲愴を振ったことがありました これが凄い演奏でカラヤン顔負けの大迫力 当時まだハイティーンだった私は分不相応のステレオのボリュームを上げて聴き入りました 聴衆もそうだったのでしょう 3楽章が終わった瞬間に拍手が沸き起こりました さすがにすぐにやみましたが その時の演奏はベルリン・フィル!! という感じでした その後このコンビでチャイコフスキーの4番もライヴ放送されましたが これも終楽章がすさまじかったです(これはレコーディングもされたのですが 録音は普通のつまらない演奏でした) その 再現を少しでも味わおうとサイトウ・キネンにも出かけたのですが その時は実演なのに ベルリン・フィルのステレオによるライヴ放送の方が凄い熱気がありました 小澤の演奏はたくさん聴いてきましたが 実演を凌ぐ ライヴ放送経験というのは未だ小澤だけです 通常ライヴ録音がいくら凄いといったって 実演を上回るということは少ないと思います(もちろん録音されてこそ聴ける個所も多いと思いますが 実際現在の楽器に近づきすぎた録音では 弱音をホールトーンと溶け合わせて また強奏音をヒステリックにならずに録音することはかなり難しくまた その再生も極めて困難でしょう しかし小生 録音された音楽を否定する気は微塵もありません コンサートの傍らせっせと LPやCDを購入して聴いています 今やその総数はLP2万 CD5千枚を越えるようになりました)
さて 小澤&ベルリン・フィルについて 小澤との相性はウィーン・フィルよりもベルリン・フィルの方が合っているという ローエングリンさんのご意見に小生も同感であります
10年ぐらい前だったか、FM放送で、メンデルスーンの「フィンガルの洞窟」が
ながれていてついつい、重厚な響き、力強さに引き込まれました。
曲が終わり指揮してたのが小澤だと知って、
なかなか「すごい」と思ったことがありました。
ウィーンフィルよりベルリンフィルのほうが相性は良いのかも。
ツェペリッツがサイトウ・キネンで松本に来ていた時の話ですが 小澤はしっかりと弾かせてくれると喜んでました(サイトウ・キネンだけでなくベルリン・フィルでも) しかし 生意気にも小生 小澤の音では カラヤン時代のベルリン・フィルにはまだまだ及ばないでしょう という意味のことを言うと 彼は「そんなことはない!」と ベルリンに来て聴いてみろ! カラヤン時代の凄ーい音が聴けるぞ! と 結局 ツェペリッツが在籍している間には小澤で聴く機会は持てず 彼の言ったことを確認できずじまいでした
ヤンソンスやラトルでは聴く機会がありましたけど やはり カラヤン時代には程遠かったです(小生 ヤンソンスのアプローチをとっても面白いと感じており 鬼才!という称号をヤンソンスに与えていますがいかがでしょうか? 昔のマゼールよりも凄い!) しかし これからは違うのではないでしょうか?
「世界最強のバス集団として驚嘆されるようになる (中略) ところが時代は変わり、現在のシェフ、アバドは重心を下に置いた音楽を嫌い、むしろ軽み、透明感といったことに関心を向けている。バス・セクションは「デカい!、弱くしろ!」と注意され、かっての影もなく、みるみる衰退してしまった。栄光の一時代を築いたバス集団を、かくも無惨に萎縮させたことに対するツェペリッツの憤りは察するに余りある。そして、失意のうちに定年」
山崎睦 「サイトウ・キネンの成功の一面をツェペリッツの活躍に聴く」
Mostly Classic Vol.3 (97年6月)
「カラヤンのころにベルリン・フィルの十八番だった低音がずいぶんと影をひそめています。コントラバス、チェロ、低音域が鳴ってこない。響きが軽くて明るくなった。あれはやっぱりアバドのキャラクターです。フォーグラー先生なんて、カラヤンの時の三分の一の音量で叩いている」
近藤高顕「オケ・マンから見たカラヤン」
『対決!カラヤン vs バーンスタイン CDジャーナル ムック』 (97年3月)
フォーグラーというと,アバドのドキュメンタリーの中の《田園》のプローべで,
嵐のティンパニをディミヌエンドしろと言われたあと,譜面を高々と上に差し出して
アバドに食ってかかるという、象徴的な一幕が収録されていましたね。
ツェペリッツやフォーグラーの能力を,どうして自分の音楽作りに生かせなかったのでしょうか。
貴重なご意見,ありがとうございます。
Das Posauneさんの書かれている通り,アバドにとって,ベルリン・フィルの音楽監督は,
かなりの激務だったのでしょうね。音楽監督就任直後の若々しいアバドの姿と,
その10年後のやつれた姿とを見比べると,本当に気の毒になります。
アバドにとって,ベルリン・フィルの音楽監督になったことはよかったのだろうかと。
Berlinerさんの表現は,実に言い得て妙ですね。1+1が2にもならなかった。
私が常々思っていたことをバッチリ表現してくれています。
やはり,ベルリン・フィルの魅力の一部を損ねたことは許しがたいものがあります。
私のHPは,1998年2月に開設したのですが,その直後の雑感で引用した文章を再掲しておきます。
初めて投稿します。功罪といった場合、だれに対してかを明確にする必要がありますね。オケに対して(これも技術水準、収入を含めた待遇といった複数の要素がありますが)、あるいは聴衆に対して(狭義の定期会員、あるいはCD購入者を含めた広い意味の聴衆)、もっと大きくはドイツ、欧州の音楽文化・・・。こういったすべての要素にまんべんくプラスになるというのは、現代では極めて難しく、カラヤンの時代にはある程度それができたという点で、彼は時代と個人の成功が一致できた、幸運な指揮者だったと思います。逆にアバドの直面した困難はまさにこの点で、彼の音楽的な才能は別にして、統一ドイツという時代状況に「物を言う」という現代を生きる芸術家としての真摯さと、生身のオケ、しかも超A級のオケを運営するシェフというポジションの両立は、本当に心身をすり減らすものだったろうと思います。最後に私個人のアバド評ですが、一番好きのは若いころのロッシーニなどで、どうも今日にいたるまで「やりたいこと」と「むいていること」が乖離しているのでは・・・という感を否めません。もっとも最近テレビでみたルツェルンのマーラーは見事な演奏で、自由な立場で新境地を開いたのかなとも感じました。長文、本当に失礼しました。
私が少し真面目な投稿をしましたが、これまで通り、皆様気軽に対話をなさってください。私の意見に対して、ご指摘ご感想などありましたら、参考にさせていただきます。
Berlinerさん、拙い私の文を読んでくださりありがとうございます。アバドに対しては、様々な意見が皆様にあると思います。アバドによりベルリンフィルはプラスされたかマイナスされたかは、考えが分かれるところであり、アバドが率直に好きだった方はファンであれば良いし、もうひとひねり考えている方は、Berlinerさんを始め深い視点で見られるのも興味深いです。この掲示板を皆様が意見や情報を交わす建設的な場として使われるのを、一利用者である私も願います。
ビーナスさん、
小市民ケーンです。私はビーナスさんのおっしゃることももっともだと思います。あまり贅沢しなくても音楽を満喫する方法というのは、一人一人の価値観により、いろいろあると思います。来日する一流アーティストの演奏会は比較的高めですが、安くて良いものを探すよう私は心がけています。
それでは、失礼いたしました。
小市民ケーンさん。
貴投稿、興味深く拝読しました。アバドへの愛が感じられる力作ですね。
これまでもいろんな意見は散見しましたが、もうそろそろ、「BPOにおけるアバドの功罪」を真面目に議論してもよい頃かとも思います。
小市民ケーンさんには申し訳けないのですが、私はどちらかというと功よりも罪の方が大きかった(罪というと語弊があるかもしれませんが)と感じている方で、小市民ケーンさんのせっかくの力作ではありますが、楽譜の扱いも含めてちょっと誤解されている部分があるようにも思います。まあ事実はどうであるかというのは最終的には関係者でもなければわからないでしょうけど、人格的な面についても少々過大評価のような気がしないではありません。
彼のBPO時代の功と言えるのは、私はまあ、「ランスへの旅」くらいのもので、他はせいぜい参考程度に聴いてみてもよいか、というくらいです。スカラ時代を考えれば、BPOも彼を選んだ時はもっと別の期待を持っていたのではないかと思うのです。1+1=2以上のものを期待していたのが、残念ながら2未満、場合によってはマイナスとなって少なくとも音楽面では2以上のものが結果的に生まれなかった、互いに必ずしもハッピーではなかった組み合わせだったかな、というところです。
異論も含めて、皆さんの真面目な意見を期待します。
もし、アバドとベルリンフィルの残した録音に魅力を感じていない人がいるならば、(マーラー以外を選ぶなら)ヴェルディの「前奏曲と序曲集」や「ファルスタッフ全曲」といったスタジオ録音を薦めてみたい。グラモフォンからリリースされているが、最新の録音技術を駆使して素晴らしい音響のある秀逸の出来栄えである。「序曲集」の方は、手ごろな価格で入手できる。アバドは折を見て、たびたび得意のヴェルディを取り上げた。ドイツ・オーストリア系のレパートリーでキャリアを築いたアバドだが、ヴェルディもイタリア人の彼にとっては欠かせない作曲家だ。
2000年夏、アバドは病に倒れた。しかし、その後驚くほど短期間で復帰した。あれほどの大病にもかかわらず、日本公演にも登場し、やつれてはいたが一生懸命日本の聴衆のために最善を尽くそうとした。その後のアバドは、病前と劣らぬほどの見事な演奏会を幾つも成功させ、退任までよくやったと私は思う。
ベルリンフィルの音楽監督というポストは、指揮者にとって魅力的なものではあるが実際非常に重い任務であると思う。アバドは退任時「もうあと4年で辞めます」と楽団員と世間に伝え、当初は私たちをがっかりさせたが、むしろその時の身の引き方は、音楽家である以前に一人の人間として正しい振る舞いであった。退任前に楽団員に後任を選ぶのに十分な時間を作り、後任に決まったラトルにも3年間の準備期間を提供した。その結果、ベルリンフィルは新しい監督との活動にスムーズに移ることが出来たのだ。アバドのこのような優等生的振る舞いには、彼の謙虚さや真面目さという人格が表れていた。アバドは、ベルリンフィルの20世紀最後の10年間の活動に相応しい立派な指揮者であった。
2004年6月、アバドは2年ぶりにベルリンに帰ってくる。マーラーの6番を振るそうだ。その他、マーラーの4番の録音も行う予定で、これでアバドとベルリンフィルによる新しい全集が完成する。私は現地まで駆けつけることは出来ないが、無事録音が行われ、数年後に発表されるのを心待ちにしている。
そして現在、ベルリンフィルはラトルの新時代となった。私は、こちらの活動も長い目で見てあげる必要があると思っている。ラトルの活動もまだまだこれからである。どうなるかは予想がつかないが、ラトルの目指すことは今後3年目、4年目を迎えていくにつれ、徐々に出来上がっていくであろう。ベルリンフィルの未来は明るい。私はそう信じてみたい。
思えば、アバドがベルリンフィルの音楽監督のポストを離れてから、もうそろそろ2年が経とうとしている。アバドはカラヤンの後任として12年もの長きに渡り音楽監督を務め果たした。この12年という月日はカラヤン在任の30年余りという期間に比べたら、随分短すぎるとも感じられるかもしれない。しかし、アバドは12年間ではあったものの、その間ベルリンフィルの監督として相応しい業績を残したと私は思っている。私から見ると、カラヤンの後であったからこそ、その仕事はむしろ大変難しいものであったのだと思う。カラヤンはその巨大なカリスマから帝王とも呼ばれ、ベルリンフィルの名声をドイツだけでなくヨーロッパ、そして世界各地、遠く日本までも親しまれるほどに広め続けた。カラヤンはとてつもなく大きな存在だった。その活動を時に音楽を売り込むセールスマンと批判する者もいた。確かに音楽家も食べていくには、自分たちを売り込むことも不可欠になってしまうことは仕方がない。しかし、アバドは少し商売し過ぎた感もあったベルリンフィルに就任後、原点に戻るかのように、あくまで音楽のために音楽をするという、芸術家にとって純粋な目的を楽団に提示し新しい試みを数多く取り入れた。例えば、アバド時代ベルリンフィルは毎年「プロメテウス」や「ファウスト」、「愛と死」などのテーマを設けて、他の文化活動も活性化させながらより深みのあるテーマについて取り組むことを提案した。実際、ベルリンの壁崩壊後の激動するベルリンの街の中で、東西ベルリン市民のふれあいの場を作るということにおいても、それは意味のあるものだったと思う。しかし、アバド退任頃のベルリンフィルの事情はチケットの売り上げが芳しくなく、厳しい状況になっていた話を知った。私も、例えば2000年5月1日に行われたヨーロッパ・コンサートの放送を見た時、あのフィルハーモニーホールであまり客入りが良くなかったことに驚いた。これには一つ、アバドの選曲にはどちらかというと通好みのものが多く、音楽をそれほど聴いたことのない聴衆にとっては難しすぎる内容が多かったことも考えられるだろう。
確かに、アバドがベルリンフィルと残した録音だけを見ても、落ち穂拾い的と言うか、地味な印象のディスコグラフィとなっている。しかし、このような一般にあまり知られていない作品に果敢に挑んだアバドの功績を私は称えたい。アバドは「この曲、なかなか素敵でしょう。」と時に厳しく、時に笑顔で私たちに伝えてくれた。例を挙げると、シューマンの「《ファウスト》からの情景」の録音は貴重な記録の一つだ。アバドはベートーヴェンのシンフォニーもベルリンフィルと残した。こちらは「迫力がない」「室内楽のような交響曲」などとの不評の声を私は聞いた。しかし、私なりに調べたところ、これは単にアバドの演奏の良し悪しの前にスコアに起因する問題があると思う。カラヤンやバーンスタイン時代のベートーヴェンは、楽譜は恐らくその当時よく使われていたブライトコプフ社のものだったと思われる。少なくとも、アバドのベートーヴェン録音に使われた楽譜は、新しいベーレンライター社のジョナサン・デル・マール版だということは確かだ。この楽譜を使用した指揮者は、他にガーディナーを始め、バレンボイムやラトルがいる。私も録音を聴きながら気づいたことがある。例えば第3交響曲の第1楽章はどうだろうか。冒頭の主題でホルンのダイナミクスが随分変化しているのに気づく。私は、アバドだけでなくバレンボイム、ラトルの新録音も聴き比べたが、3者ともこの部分の解釈には共通点があるようだ。これは、カラヤン時代に活躍した指揮者たちの解釈とはまた別のものだと思う。このように、アバドのベートーヴェンは単に演奏が悪かったのではなく、楽譜による解釈の違いや編成が小規模な事だと私は考えている。私の視点では、アバドなりの古い解釈の中に新しい解釈も取り入れられていることを興味深く感じている。
Schonefeld様へ
羨ましいですねー。
私も是非聞いてみたいです。
シューさんは、オケのラッパ吹きとして素晴らしいですよね。
ブーレーズ指揮のマラ5など最高です。
2年ほど前にPMFで札幌に来ましたが、
ハイドンのTrp協奏曲をレヒナーのC管(珍しい)で演奏したのですが、
音色や奏法・正確な吹き方など、感動しました!
個人的な意見ですが、録音ではハンス・ガンシュよりオケの演奏は良いのではと思います。
(ガンシュのマラ5やシベ2などオケ全体とブレンドされていない録音も多々あります。
もちろんアルペンンシンフォニーのように伝説化されている名演もありますけど。)
もちろんソロやアンサンブルの活動では、ガンシュは素晴らしくて憧れの奏者ではありますが。
ウイーンフィルも、また札幌に来てもらいたいものです!
ラトルが振った1月のウィーン・フィルでのブルックナーの感想は 雄大だけれども今一歩と言う感じでした トランペットのシュー氏の演奏が素晴らしかったのが印象的でした それよりも シマノフスキーのスターバトマーテルがとても良かったです 今月末もベルリンまで行きますが 今回は土曜日に日本を出ると夜のコンサートに間に合います また日曜日は同演目をインバルがベルリン放送響でやるので 1回のベルリン行きで3回ブルックナーの4番が聴けます ついでに 夜にはベルリン・ドイツ響でベルティーニがマーラーの4番をやります(これもついでですから行ってきます)
今回のベルリン・フィルも前半にシマノフスキーのスターバトマーテルがあり 後半がブルックナー4番ということで 前回のウィーン・フィルとほぼ同じ演目なのが良いですね そんな大化けはないと思いますが ベルリン・フィルの華麗なサウンドが再現されれば 今回はそれで良し としたいところです
ラトルは凄い勉強家なので(私はそう思っています) もしかすると凄いブルックナーが聴けるかもしれません それでは3月に報告いたします
私も数年前,倉敷でウィーン・フィルとのベートーヴェン(4番,7番)を聞いたときは,
ここにも書いたように,「感心はすれど,感動なし」という印象でした。
しかし,少し前,ウィーンから生中継されたブルックナー4番は,すごかったですね。
まるで,チェリビダッケのような息づかいを彷彿させる悠然たるテンポでの堂々たる演奏。
すっかりラトルを見直してしまいました(^_^)。
Schonefeldさんは,生で聞かれたのですか。うらやましいです。
ベルリン・フィルとは,同じブルックナー4番を,今月の下旬に演奏するようですが,
これもFMで生中継してくれないもんでしょうかね。
実演を聞かれる方は,どうか,ぜひご感想を!