T. 「妖精」とその原作
ワーグナー(1813〜83)の「妖精」(Die Feen)は、完成された彼のオペラとしては、最初の作品である。作曲家が20歳の1833年から1834年にかけて作曲されたが、生前には上演される機会がなく、作曲家の死後、1888年にミュンヘンで初演された(1)。 その後のオペラと同様、台本もワーグナー自身によるもので、イタリアのコメディア・デ・ラルテの劇作家ゴッツィ(1720〜1806)の「蛇女」(La donna serpente)を題材として作られている。 ワーグナーが愛読していたE.T.A.ホフマン(1776〜1822)は、1819年に出版された『セラーピオン朋友会員物語』第1巻所収の「詩人と作曲家」で、ゴッツィについて次のように書いている。 「あの壮麗なるゴッツィを考えてもみたまえ。戯曲形式のメールヒェンで、ぼくがオペラ作曲家にのぞんでいるものを完全にみたしているじゃないか。それなのに、ああいう秀れたオペラにむく題材の豊かな宝庫がこれまですこしも活用されてこなかったなんて、理解に苦しむよ。」(2) このあと、ゴッツィの「カラス」の内容を詳細に紹介して、ゴッツィの素晴らしさを具体的に述べている。このホフマンのゴッツィ賞賛から、ワーグナーが強い影響を受けたことは、容易に想像できる。 また、ワーグナーの叔父アードルフ・ワーグナー(1774〜1835)は、1804年にこの「カラス」を独訳しており、十代のワーグナーが多大の文学的影響を受けたこの叔父に負うところも大きいと考えられる。 なお、コジマの日記によると、ワーグナーは1882年4月16日、旅先のヴェネツィアのホテルに滞在中、ゴッツィの「カラス」を朗読して、満足したという(3)。晩年になっても、ゴッツィを高く評価していたことがうかがえる。
ゴッツィの劇は、20世紀に入ってから、「トゥーランドット」がブゾーニやプッチーニにより、「三つのオレンジの恋」がプロコフィエフにより、それぞれオペラ化されたことでも知られている。 ワーグナーが、結果として、ゴッツィを題材としたオペラ創作の先鞭をつけた点は、高く評価されてもよかろう(4)。 ゴッツィの劇は、このように後世のオペラ創作に影響を与えてはいるものの、内容はすべてゴッツィ自身の創作によるものではなく、他の作品を下敷きにして書かれている。 「三つのオレンジの恋」(1761)は、バジーレの『ペンタメローネ』に含まれる「三つのシトロン」など、イタリアにおける伝承をもとに作られている。 東洋的な雰囲気の濃厚な「トゥーランドット」(1762)と「蛇女」(1762)は、どちらも『千一日物語』(1710〜12)というペルシアの物語集によって書かれている。 フランス人ペティ・ド・ラ・クロワが、中近東から持ち帰った写本をもと翻訳・出版した物語集で、「トゥーランドット」は「カラフ王子とシナの王女の物語」、「蛇女」は「ルズヴァンシャド王とシェーリスタニ王女の物語」を原作としている(5)。
ワーグナーの「妖精」に関しては、従来、作曲家自身も含め、ゴッツィとの比較において語られることはあっても、ゴッツィの作品の源泉となった『千一日物語』にまで言及されることは、ほとんどなかったように思われる。 ワーグナーが実際に参照したゴッツィの原作の独訳(1777年出版)をはじめ、作品の成立に関する資料や、初演前後の作品評なども収録されている、ゾーデン/レッシュ編纂のドキュメント集(6)をみても、『千一日物語』にまで言及してある個所は一つもない。 また、ワーグナー自身が「妖精」について書いている文章を見る限りにおいては、『千一日物語』を知らなかった可能性の方が高そうではある(7)。
しかし、個々のエピソードには優れたものをたくさん含みながら、全体としてみると、いささか冗長な感じをも与える「妖精」というオペラへの理解を深めるためには、ゴッツィが典拠とした原作にまでさかのぼって内容の比較考察を試みることも、意義があるのではなかろうか。 ペルシア起源の『千一日物語』の「ルズヴァンシャド王とシェーリスタニ王女の物語」(以下、Rと略記する)、 ゴッツィの「蛇女」(以下、Dと略記)、 そしてワーグナーの「妖精」(以下、Fと略記)の内容を比較検討しながら、三つの作品の共通点や相違点を考察し、作品への理解を深めることが、この小論の目的である(8)。
U. 物語の分析
ここで扱う物語の概要を一言でまとめると、次の通りである。 「人間の王が妖精の王女と恋におちいり(最初は王女が鹿に変身した姿に魅了される)、子供も得て幸福な生活を送るものの、妖精の王女から課された試練に耐え切れず、王女と離れ離れになってしまう。その後、新たな試練を経て、またもとの幸福な生活を取り戻す。」 三つの物語での彼ら二人の名前は次のようになっている。
人間の王 | 妖精の王女 | |
ペティ(R) | ルズヴァンシャド Ruzvanschad (シナ) | シェーリスタニ Scheheristany (シェーリスタン島) |
ゴッツィ(D) | ファルスカド
Farruscad (テフリス) | ケレスタニ Cherestani (エルドラド) |
ワーグナー(F) |
アーリンダル Arindal (トラモント) |
アーダ Ada (妖精の国) |
妖精の王女の名前が、RとDとでよく似ていることがわかる。 Fのアーリンダルとアーダという名前は、ワーグナーの破棄されたオペラ「婚礼」でのカップルの名前である(9)。 DもFも、全3幕構成となっているので、以下、それぞれの幕ごとの内容を比較検討しながら、原作のRとの関連を考察したいと思う。
1. 第1幕
DもFも、王女の仲間の妖精による対話で始まる。 二人の妖精の名前は、どちらもファルツァーナとツェミーナ(ワーグナーは、ゴッツィの名前をそのまま用いている)で、人間と結婚した妖精の王女が、妖精としての不死性を失い、自分たちから去ってしまうことを嘆き悲しんでいる場面である。 こうした導入的な場面は、Rには存在しない。 Rでは、鹿を追いかけるという物語の発端から話が始まっているが、DもFも、こうした物語の本来の発端は、次の場で、王と狩りに同行した家臣により、劇の前史という形で説明される。
(1) 物語の発端
DもFも、失踪した王を探す家臣と王に同行した狩人とが出会う場面で、王の失踪の理由が述べられている。 王と狩りに同行したのは、Dではトルファルディーノとパンタローネの二人だが、Fではゲールノート一人である。 失踪した王を探すのは、Dでは王の忠臣トグルールの他、ブリゲルラとタルタリアと三人いるが、Fでは家臣のモーラルトとグンターの二人である。 Dではトルファルディーノが、再会したブリゲルラに王の失踪の経緯を説明する。
ファルスカド王とパンタローネと私と三人での狩りの最中、雌の鹿を発見した。 ファルスカド王は、その鹿にすっかり惚れ込んでしまい、あとを追った。 つかまえようとすると、川に飛び込んでしまった。 一日中、その川で鹿を捜したが見つからなかった。 やがて、川の中から「ファルスカド、私についてきなさい」という甘い声が聞こえた。 王は川の中に飛び込み、パンタローネも私もあとに続いて飛び込んだ。 川底では、鹿が美しい王女の姿になっていた。 「決して私の素性を尋ねてはいけない」と彼女は言った。 二人は結婚して幸福な生活を送り、双子の子供も生まれた。 そのうち、王は彼女の素性を知りたいという想いがつのり、ある日、王女の机の引出しを開け て調べようとした。 すると王女がその場にやってきて激怒した。 そして、彼女も子供も側近も宮殿も消え、こんな荒野に変わってしまった。Fでは、モーラルトとグンターが、出会ったゲールノートから話を聞く。
八年前、王と狩りに来たとき、夕暮れ時に、立派な雌の鹿を発見した。 森の奥深く追っていくと、鹿は川の中に消えてしまった。 美しい声が聞こえたので、王は不思議に思って川の中に入り、自分もあとを追った。 水にのまれて気を失ったが、気がつくと、美しい別世界に来ていた。 王は美しい女と恋におちいった。 女は八年間、自分が誰であるかを絶対に尋ねなければ、永遠に彼のものになると言い、王はそれを約束して、幸福な結婚生活を送った。 二人の子供も生まれたが、約束の八年目が過ぎようとした最後の日に、禁じられた問いを発してしまった。 すると、大音響とともに、宮殿も侍女も消え、こんな荒野に変わってしまった。
このように、DでもFでも、王との体験を同行した家臣が物語る。 鹿を追って川に飛び込み、鹿に変身していた王女の宮殿で、幸福な結婚生活を送る。 ところが、王女から禁じられた行為をうっかり実行してしまうという内容も共通している。 ただし、王女の机の引出しを捜すDと、禁問を発してしまうFと、細部での違いはある。 この禁問の誓いを破るというモティーフは、後年の「ローエングリン」の先駆けとも言えるであろう(男女の違いはあるが)。
さて、劇とは違って、物語の体裁をとっている原作のRでは、冒頭ですぐ王の体験が語られている。物語としては当然の書き出しといえよう。この原作は、次のような内容になっている。
ルズヴァンシャドというシナの若い王は、狩りをしていたある日、白い雌の鹿を目撃した。 この鹿は青と黒の斑点があり、足に黄金のリングをつけ、背中には銀の刺しゅうのある黄色いサテンの敷物を載せていた。 この美しい獲物を一目見た王は、自分のものにしようと全速力で追いかけた。 鹿は追跡を逃れ、ほこりも立たないような軽快な足取りで逃走し、水の中に飛び込んだ。 シナの王は、馬から飛び降りて、素早くかけより、泉の周囲を回り、水をかき回し、獲物を捜そうとした。 しかし、まったくその痕跡する見つからなかった。 あの鹿は狩人たちを惑わすために、姿を変えて楽しんでいる乙女であろうと、王は言った。 同行の一同も同感だった。 ルズヴァンシャドは、絶えず水の方を注視していた。 王は、夜も、この泉を見張ることにした。大臣一人を残し、他の者たちは帰らせた。 やがて狩りで疲れた王は、見張りを大臣に任せ、眠り込むが、大臣も睡魔には勝てず、寝入ってしまった。彼らは、素晴らしいメロディーで目を覚ました。 明るく輝く美しい宮殿が目の前にあった。王は大臣と宮殿に入った。 奥の広間に行くと、若く美しい女主人が黄金の玉座の上に座っているのが見えた。 彼女は、五〜六十人の乙女たちが、歌を歌ったりリュートを弾いたりしているのに耳を傾けていた。 王は彼女に言った。「あなたは、シナの王である私を、即座に奴隷にしてしまった。 私を哀れんで、どうか名前をおっしゃてください。」すると彼女は答えた。 「私はあなたが追ってきた雌の鹿です。」 彼女は王と大臣を食事の部屋に案内し、食事と酒をふるまった。 それから、王は王女に情熱的に話かけた。王女は心を動かされ、彼に言った。 「王よ、あなたは私より素性は低いが、私はあなたへの愛を抑えることができなかったのです。あなたが得た獲物がいかに大きいか、ここでお話することにしましょう。 シェーリスタンという島があり、妖精たちが住んでいます。 王はメヌジャールといい、私はその娘でシェーリスタニという名前です。 三ヶ月前、初めて父の宮廷を離れ、人間の住む国々を知るために世界中を回りました。 島に帰ろうとした今日、私は狩りをしているあなたを見たのです。 あなたにすっかり魅せられた私は、鹿の姿になって、あなたをおびき寄せようとしたのです。」
このように妖精の王女は、鹿に変身して、王を呼び寄せた経緯を知らせるのである。 DやFの内容と異なるのは、王女が最初から自分が妖精であることを、自分の名前と一緒に明かしていることである。 「素性を尋ねてはならない」という禁問のモティーフは、原作には存在しないことがわかる。
このあと、Rでは、妖精の王女シェーリスタニの父王が亡くなったとの報せが王女のもとに届けられ、王女が妖精の国の支配者となるために、ルズヴァンシャド王と一旦別れることになる(こういう設定は、DとFでも第1幕の最後で出てくる)。 王はシナに帰国するが、その後、王女のことが気にかかり、一人で旅に出る。
(2) 魔女のエピソード
Rでは、この王が旅の途中で見聞した出来事として、「チベットの若き王とナイマンの王女の物語」という別の物語が挿入される。 分量的にはRとほぼ同じか、それよりもやや長い位の物語である。この物語の概要が、DでもFでも魔女ディルノヴァツ(Dilnovaz)の話として利用されているのが注目される。
《魔法の指輪》という、後年のワーグナーの楽劇を暗示するようなモティーフが登場するエピソードでもある。 妖精の王女に夢中になっている王に対して、家臣が、王の熱を冷まそうとして語る魔女の話である。 Fでは、あっさり触れられるだけであるが、この部分のロマンツェは、音楽的にも優れていて、後年のライトモティーフの萌芽とも見られる旋律が使われているのも興味深い(10)。 Fでは、ゲールノートが次のように歌う。
昔、ディルノヴァツという名の悪い魔女がいた。 年老いて醜悪だったが、指に指輪をはめ、若くて美しい姿となっていた。 まさに絶世の美女の姿で、ある王の王妃となった。 ある日、王は彼女が他の男に抱かれているのを目撃した。 激怒した王は、剣で彼女に切りかかり、指輪をはめていた指を切り落とした。 すると、王妃はもとの醜い魔女の姿に戻ってしまった。Dでは、もう少し情報が多く、王もチベットの王と特定されている。 魔女の名前は同じディルノヴァツで、パンタローネが語る。
ディルノヴァツという年老いた醜い魔女がいた。 魔法の指輪の力で、チベットの美しい王妃に姿を変えた。 本物の王妃を追い出し、自分が王妃の座についた。 ある日、王は、彼女が別の男とベットにいるのを目撃した。 激怒した王は、剣をとって彼女に切りかかり、指輪をはめていた指を切り落とした。 すると、彼女はもとの醜い姿に戻ってしまった。 チベットの王は、本物の王妃を探しに出かけ、物乞いまでしていた彼女を見つけ出し、その後は幸福に暮らした。FもDも、魔女が魔法の指輪で変身して王妃になりすますが、不貞を目撃され、指を切られて、もとの醜い姿に戻るという点では共通している。 ただし、Dの方は、本物の王妃とそっくりの姿になりすまし、本物の王妃と入れ替わるというように、話がやや複雑である。
Rに挿入された物語を参照すると、Dがこのもとの物語を忠実にまとめていたことがわかる。 Rでは、王はシナの国に帰ったあと、密かに一人で旅に出る。チベットの国境を越えると、木の下に若い女性がいるのを見つける。衣服は破れていたが、布地からそう身分の低からぬ者であることがわかったので、彼女に近づいて、声をかける。彼女は、王に自分の身の上話を始める。内容は以下のようなものである。
私はナイマン王の娘、他に兄弟がいなかったので、王の死後、私が王女となった。 ところが、ある日、モンゴルとの戦いで戦死したはずの叔父ムアファク王子がやってきて、王座を奪い、私の命まで奪おうとした。 命からがら、大臣と一緒に国を脱出し、チベットに移り住んだ。 大臣は、画家として生計をたて、私を娘として養ってくれた。 二年が過ぎ、彼の絵がチベットで評判となり、若い王まで、画家の家を見学にやってきた。 そこで、王は私を一目惚れし、画家と私は王宮に住むことになった。 やがて、チベットの王と結婚することになり、私はこれまでの経緯をすべて王に話した。 王は復讐を約束してくれた。 ナイマンに使者を送ると、ムアファクは死んだとの報せが届いた。 その後、私とまったく同じ姿をした女性がやってきた。 この女は、自分が本物の王妃であることを王に信じ込ませ、私を追い出してしまい、私はこうして哀れな物乞いをしている。
彼女がこのように語り終えると、チベットの王が裸同然の姿のまま馬に乗って、猛スピードで走り過ぎた。 すると今度は、豪華な服を着たチベットの王がそのあとを全速力で追いかけて行った。 シナの王とチベットの王妃は、この様子を目撃して驚くが、この事情は次のようである。 この日、王は狩りに出かけたが、王妃に大事なことを言い忘れて、途中で王宮に戻った。 秘密の階段を使って王妃の部屋に入ると、自分とそっくりの姿をした男が王妃と一緒にいるのを目撃した。 王はベットにいる二人に切りかかったが、男はさっとかわして逃げ去った。偽の王妃の手を切り落とすと、醜い老婆の姿になった。 だまされたことを知った王は、老婆の首も切り落とした。 そして、逃げた男を急いで追いかけていたのだった。 逃げた男を取り押さえたチベットの王は、この男にこれまでの経緯を語らせた。
私の名前はムクビル。父はダマスカスの裕福な織工で、莫大な遺産はすべて相続した。 しかしディルヌアザ(Dilnuaza)という名の女性を愛してしまい、毎日、彼女に高価な贈物を貢ぎ、そのうち財産もすっかり失ってしまった。 それでも、彼女は私を見捨てることなく、面倒をみてくれた。 ディルヌアザがだんだんと年をとるにつれ、愛人の数も減り、やがて誰にも相手にされないほど年老いてしまった。 彼女は苦しみに耐えられず、私と一緒に、ベドラという名の魔女を探しに荒野に旅立った。 この魔女から、彼女も私も魔法の指輪をもらった。 私たちはダマスカスで生活したあと、ナイマンの国に出かけた。 ナイマンでは、若い王女が王座につくことになったが、モンゴルとの戦いで亡くなったとされた叔父のムアファクを王座に望む声があることも耳にしたからだった。 彼のことをよく知る人たちから話を聞き、魔法の指輪で彼の姿になりすまし、王女を追い出した。 その後、彼女を王妃としたチベットの王が、王妃の仇をとるために攻めてくるという話を耳にした。 私は死んだことにしようと思い、墓に入れられたあと、ディルヌアザにこっそり墓から出してもらった。 以前の姿でその国から逃走し、チベットに向かった。 今度は、ディルヌアザが王妃の姿になりすまし、本物の王妃を追い出した。 今日、あなたが外出すると、私は宦官の姿になって、王妃の寝室に入り込んだ。 彼女は私に、服を脱いで、王の姿になるようにと言った。 私は彼女の望んだようにして、彼女のそばに横になっていたら、突然、秘密の階段の扉が 開いて、あなたが部屋に入ってきた。 それで、急いで逃走したのだ。この話を聞き終えたチベットの王のところに、あとを追いかけてきたルズヴァンシャドがたどり着き、本物の王妃がまだ生きていることを知らせる。 彼女と再会させたあと、ルズヴァンシャドは、チベットの王宮で数日過ごし、シナの国に戻る。 国に戻ると、自分の経験を部下に語って聞かせるが、皆口々に、シェーリスタニもこうした魔女に違いないと王に語り、王もその気になる。
以上が原作の概要であるが、DやFでは簡単に触れられるだけのエピソードが、元来はこのように複雑な物語であったことがわかる。 王妃になりすます女性の名前も、ディルヌアザからディルノヴァツになるだけで、よく似ている。 ただし、オペラの大半の登場人物の名前をゲルマン風に変えたワーグナーとしては、チベットという地名は残したくなかったのであろう。
DとFでは、王女も同じような指輪をした魔女だといって、王に王女を諦めさようとするが、効果がないので、家臣が神父に変装したり(パンタローネ、グンター)、王の父に変装してたり(トグルール、モーラルト)して、帰国を促がすシーンが続く。 こういう場面はRにはなく、ゴッツィが劇作化にあたって、創案したシーンである。 変装という舞台上での効果を考えてのことであろう。
(3) 王女との再会と試練の予告
さてRでは、王女の父王が亡くなったあと、王と王女は離れることになったが、妖精の国の支配も軌道にのったある日、突然、王が妖精の国に連れて行かれるという設定になっている。 王が急に姿を消したので、残された人々は驚く。 しかし、王は妖精の国で王女と幸せな生活を送っている。 王女との結婚に際して、王に課せられた条件は、妖精と人間とは習慣が違うのだから、王女が何をしても、絶対に非難したり叱ったりしてはいけないということだけである。
このような条件は、DとFでも、王への試練として、このあとの主要なモティーフとなる。 DとFでは、禁問の誓いを破った王は、王女と離れ離れになるが、第1幕の最後で再会する。 王の睡眠中、荒野に王宮が姿を現し、王女が登場する。そして、翌日の試練について予告して幕となる。 ここで、何があろうとも、絶対に王女を呪ってはならないという誓いを立てさせられるのである。 なおこの時、王女は、父王(人間なので、死ぬ定めになっている)の死去の報せを受け、自分が即位するために、一旦、王のもとを離れる。
2. 第2幕
DもFも、第2幕の主要なモティーフは、妖精の国の掟に基づく人間の王への試練であるが、第2幕の構成に関しては、DとFとでは、いくつかの違いが見られる。 Dでは、第2幕の前半は、第1幕と同じ荒野が舞台で、最初の子供の試練は、ここで演じられる。 その後、王の故国に舞台が変わり、王の帰郷のあと、次の戦いの試練となる。 一方、Fの方では、第2幕の冒頭に王の帰郷の場面がおかれ、子供と戦いの二つの試練は、すべて王の故国で立て続けに起こるように変更されている。 これは、劇的緊迫感を高め、一気にクライマックスを築き上げようとするワーグナーの意図によるものであろう(11)。
他にDと比較すると、王の妹のカンツァーデと、侍女のスメラルディーネという二人の戦乙女(guerriera)が、Fではローラ一人になっている。 また、アーリンダル王と妖精アーダの悲劇的カップル、王の友人モーラルトとローラの英雄的カップル、この二つに対処する形で、Fでは、ゲールノートとドロッラというコミカルな第三のカップルも登場する。 このドロッラがスメラルディーネに対応するともいえるが、この第三のカップルは、「魔笛」のパパゲーノとパパゲーナのカップルともよく比較される。
次に、第2幕の試練の場について話を進めたいと思う。
(1) 子供の試練
王が王女と子供との再会を果たすものの、王の目の前で、王女が子供二人をを火に投げ入れるという、この物語でもっとも衝撃的な出来事が子供の試練である。 一同は驚愕し、ファルスカドもアーリンダルも怒るが、誓いの通りに黙っているようにと注意を受ける。 これも、Rに、その起源があり、以下のような内容になっている。
自分の国から連れ去られたルズヴァンシャド王は、妖精の国で王女と結婚した。 その際、「何を見ても、絶対に私をしかってはいけない」と王女に誓わされた。 王は自分の国のことも忘れてしまいそうになるほど、妖精の国で幸福に暮らした。 一年後、男の子が生まれた。狩りの最中に子供が生まれたとの報せを受け、急いで宮殿に戻ると、母は大きな炎の前で子供を抱いていた。 王は生まれたばかりの王子を抱き、キスをして、また王女に返した。 すると、王女は子供を炎の中に投げ入れてしまった。 炎は子供とともに消えてなくなった。 王は心を痛めたが、王女との約束を思い出し、じっとがまんし、怒りをおさえた。 黙って部屋に戻り、一人で涙を流したのだった。 その一年後、女の子が生まれた。島の妖精たちは、三日間お祝いをした。 王は娘の美しさにうっとしり、息子を失ったつらさをも忘れた。 ところが、白い雌犬がやってきて、王女は娘を与えた。雌犬は娘を口でくわえて、消え去った。 この時の王の苦しみは、筆舌に尽くしがたかった。 王は、自分は果たして幸福なのかどうか疑問に思い、シナの国に帰国することにした。
以上が、Rでの子供の試練の内容であるが、DやFでの子供二人を一度に火中に投げ入れるという設定は、原作を簡略にしていることがわかる。 原作では、火中に投げ入れるのは男の子だけで、女の子は雌犬に連れていかせるという設定になっている。 また、時期的にも一年の間があり、どちらも妖精の国での出来事になっている。
(2) 戦いの試練
DとFでは、王が失踪して不在中に、父王が亡くなり、敵が王の妹(Dではカンツァーデ、Fではローラ)を妻にして、国を乗っ取ろうとたくらんでいる事情が、第1幕の最初の方で語られる。 Dでは、ムーア人の王である巨人モルゴンが攻めてくるという設定、Fでは、単に敵のムーロルトが攻めてくるという設定である。 Dでは、カンツァーデの恋人がトグルール、Fでは、ローラの恋人がモーラルトであるが、トグルールまたはモーラルトが、魔術師(Dではゲオンカ、Fではグローマ(12))のところに出かけて、失踪した王子の消息を尋ねる。 この魔術師の助言によって、第1幕の王子探しが行われることになったのである。
第2幕で、攻め込んでくる敵との戦いが語られるが、この戦いの場で、妖精の王女が不可解な振る舞いをする。 これが、次の戦いの試練である。Dでは、国を乗っ取ろうと攻めてきたモルゴンの軍に街は包囲され、街の食料も底をついてしまい、馬や犬まで食べ尽くされ、死人の肉まで食される状況となる。 その窮状を救うため、バドゥールという名の大臣が食料品を調達するのだが、バドゥールが運んできた食料は、途中ですべて奪われてしまう。残ったのは二本のビンだけである。 ケレスタニ王女を先頭とする軍勢に襲われ、食料がすべて川の中に投げ捨てられたのである。 「私のしたことを、夫のファルスカドに伝えなさい」とバドゥールに言い残して王女は姿を消す。 この話を聞いたファルスカドは、大いに激怒して、とうとう王女に呪いの言葉を吐いてしまう。
Fでは、モーラルトが戦死したらしいとの悲報がもたらされ、兵士たちが戦いから逃げ帰ってくる。 戦場に突然アーダと名乗る女性の率いる軍勢が現れ、攻撃を受け、味方が総崩れになってしまったとハーラルトが語る。 アーリンダルがアーダの方を指して確認を求めると、ハーラルトは確かにこの女だと言う。 怒り狂ったアーリンダルは、アーダを呪ってしまうことになる。 Rでは、次のような内容になっている。
モンゴル軍が強力な軍勢を率いてシナに攻めてくることになった。 ルズヴァンシャドは集められる限りの軍勢を集めて、モンゴル軍に立ち向かった。 敵のいる広大な平原に陣地を設営することにした。この陣地に大臣のワーリが食料を調達することになった。 様々な食物や飲物がラクダやラバによって運ばれていた時、シェーリスタニと妖精の一群が現れて、ラクダから荷物を降ろし、食物をこなごなにし、飲物も空にしてしまった。 ワーリが事情を王に報告すると、食料がなくなり絶望的な状況になったことに激怒した王は、 王女に対する怒りを、ついに爆発させてしまう。このように、戦場で王の軍勢に不利になるような奇妙な振る舞いを王女がするという点では、どれも共通している。
(3) 王女の真相告白と変身
このあと、事の真相が王女によって説明される。 DとFでは、戦いの試練の真相が先に説明されるが、Dでは、「バドゥールは裏切者である。 食料には毒が盛られている。彼は敵と通じていたのだ」とケレスタニが語る。 バドゥールがビンの残りを飲むように命令されると、自ら短刀を刺して自害する。 Fでは、「私が倒したのは敵の軍勢である。 ハーラルトが敵と密通して我々を裏切ろうとしていたのだ」とアーダが述べる。 そして、「モーラルトはまだ生きていて、敵に勝利して帰ってくる」と語る。 Rでは、「モンゴルの王がシナを壊滅させるために、ワーリと手を結び、食料には毒が盛られていたのだ」とシェーリスタニが言う。 大臣ワーリは、残った毒入りの食物を食べさせられ、倒れて死ぬ。 毒の盛られた食物というモティーフを、Dは原作からそのまま受け継いでいることがわかる。
さて、先の子供の試練であるが、Dでは、人間と妖精との間に生まれた子供を浄めて、不死の存在から死すべき存在に変えるために、子供たちを火に投げ入れたのだと語る。 Fでは、ただ「誕生を浄める」という簡単な説明があるだけである。 そして、二人の子供を王のもとに呼び出し、王女は王が誓いを守れなかったことを嘆き悲しむ。 そして、Dでは、二百年間、蛇の姿に変えられること、Fでは、百年間、石に変えられること、こうした罰が妖精の国の大王から王女に課せられることになる。
Rでは、王女は「息子を火の中に入れたのは、サラマンダーに教育を授けてもらうため。 娘を雌犬に与えたのは、妖精にふさわしい教育を受けさせるためだったのだ」と語り、子供たちを呼び出す。 その晩、王女は妖精たちと一緒にシナの軍勢の先頭に立ち、モンゴル軍を全滅させ、戦いに勝利して、食料の心配も解消させる。 そのあと、王女は「妖精の国の掟にしたがって、あなたと別れなければならない」と言い残し、子供たちを連れて姿を消してしまう。
3. 第3幕
R、D、Fの三つそれぞれにおいて、内容がまったく異なるのが、次の第3幕である。 第2幕の最後で、妖精の王女が蛇に変身するのがD、石に姿を変えるのがFであり、Rでは、ただ王女が子供とともに王のもとから去ってしまうだけである。 DとFでは、第3幕で、蛇や石になった王女がまたもとの姿に戻ることになる最後の試練の前に、別の二つの試練がある。 まずDでは、火を吐く強暴な雄牛を退治し、それから不気味な巨人を倒さなくてはならない。 これらは、いずれも魔術師グローマからの助言(「右の角を取れ」「左の耳を切り落とせ」)によって、無事に切り抜ける。 Fでは、試練の前にグローマから楯と剣と竪琴を渡され、地霊たちとの戦いと青銅の男たちとの戦いを、それぞれグローマの助言(「楯を使え」「剣を使え」)により勝ち抜く。 そのあとが、蛇または石の試練となる。
(1) ワーグナーによる蛇から石への改変
DとFとの最大の違いは、王女が変身するのが、蛇なのか石なのかという点である。 最後の試練でのこの変身の改変について、ワーグナー自身は、次のように述べている。
ゴッツィのメルヒェンがオペラ台本に適切であることを発見したばかりでなく、素材そのものが私を非常に魅惑した。 一人の妖精が、彼女の愛する男を所有する代償として、自己の不死性を失う。 ただ過酷な試練を克服することができれば、不死性を取り戻せる。 そのためには、彼女の恋人である人間の男もつらい試練をうけねばならない。 すなわち、妖精が男にどんなに冷酷に当たろうと、彼女への信頼を失ってはならないのである。 男はこの試練に打ち勝たなかった。 ゴッツィのメルヒェンでは、そのため妖精は蛇となってしまう。 しかし後悔した恋人がその蛇に接吻をあたえることにより、彼女にかけられた魔法をとき、結婚する。 私はこの結末を変え、石に化した妖精が恋人の恋慕の歌によって魔法をとかれることにし、妖精王によって彼女とともに、妖精国の不死の喜びの中に迎え入れられるようにようにした。 (13)
Dでは、王が蛇に接吻を与えることで、もとの妖精に戻るが、あっさりと接吻するわけではない。 おぞましい姿であるから、本当に王女が変身した蛇なのかどうかの確信が持てず、グローマの助言で、何とか勇気を振りしぼるという状況である。 Fの方は、竪琴の演奏で、石になった妖精がもとの姿に戻る。これもグロマの助言である。音楽の力により、もとの生命を取り戻すという点では、ルネサンス期のオペラ誕生の契機ともなった「オルフェオ」の伝統ともつながるとも言える(14)。 オペラとしては、音楽の演奏により試練を乗り越えるという手法は、非常に効果的である。
また、人間が石に変えられるというモティーフは、ゴッツィの「カラス」で登場している。 この「カラス」は、冒頭でも触れたように、ワーグナーの叔父アードルフが独訳して出版した作品でもある。 そのため、ワーグナーによる蛇から石への改変は、叔父への敬意の意味があるとも解される(15)。
劇の最後は、Dでは、王と王女は子供たちと妖精の国エルドラドを支配することになる。 テフリスの国はトグルールとカンツァーデに委ねられる。 最後に妖精の王が登場するFでは、王女と同様に王も不死の生命を与えられ、妖精の国に迎え入れられる。 トラモントの国は、モーラルトとローラに任される。 Fでは、この不死性という側面が非常に重要視されている。 Dでは、妖精の王女はむしろ不死性を失う(=人間になる)ことに憧れており、子供を火に入れたのも、不死性を失わせるためだったという説明まで与えられている。この点に、ゴッツィとワーグナーの考えが違いも感じられる。
(2) 劇的要素の乏しい原作
最後の試練の場面は、DもFも劇場的な視点からあれこれと工夫をこらしたが、原作のRではいささか異なっている。 ほとんど動きらしい動きはなく、王女と子供を失ったルズヴァンシャド王が、十年間、家族のことだけを思いわずらいながら、ただ隠遁生活を病床で送るだけである。 原作の最後の部分を引用してみる。
「大臣よ、仕事はお前に任せよう。私の帝国を統治してくれ。お前がよいと思うことは何でもやってよい。私は余生を泣いて過ごそうと思う。 自分の愚かさのせいで失った妻と子供たちのことを想いながら。 お前以外の誰にも会わない。 国のことは絶対に口にしないなら、お前とは話することにしよう。 お前は、シェーリスタニと子供たちのことだけ話せばよい。 私は悲嘆にくれることだけが唯一の仕事なのだ。」このように、最後は幸福な結末で終わるとはいえ、王は十年間、ただ自室に閉じこもって、家族のことを想っているだけである。 物語のストーリーとして、特に問題があるわけではないが、舞台で演じられる劇としては、極めて単調なものになってしまうであろう。 ゴッツィによって、最後の試練がスペクタクルな要素を強める形に改変されたのも、当然といえようか。 また、妖精の世界と人間の世界、死と不死とは、それほどきちんと区別して考えられているわけでもなさそうである。 子供の成長後の後日談にまで話が及ぶのも、物語ならではといえよう。ルズヴァンシャドは、大臣以外は誰も入れない自分の部屋に本当にこもった。 大臣は毎日、王を訪ね、王の気に入るよう、苦悩に同情し続けた。 時がたてば王の苦悩が和らぐと思ったからである。 しかし反対に、苦悩は日に日に強まるばかりだった。 王は深い憂鬱におちいり、ほとんど十年間、重い病状で寝込んでいた。 死への心構えもできた頃、突然、王の部屋に王女が現れた。 「王よ、私です。あなたの苦悩に終わらせるためにやってきました。 私たちの国の掟では、あなたが誓いを破った罰として、十年間別れなければならなかったのです。 この十年間、あなたが私に忠実でなかったら、あなたと再会することは許されなかったでしょう。 私がここを去るとき、私は永遠にあなたのもとから離れねばならないと思ったのです。 <アダムの息子が、そんな長い間、忠誠を守れるはずがない。私のことは、いずれ記憶から消え 失せるだろう>と私は思ったのです。 アラーに栄光を。私が思い違いしたことに。 人間でも人を愛し続けられることが、やっとわかりました。 それで、あなたのところにも戻ってこれたのです。 王よ、幸運の締めくくりに、子供たちとも会ってください。」 王女が話を終えるやいなや、シェーリスタンの王子とバルキス王女が姿を見せた。王は天にも昇る心地だった。 王の健康は見る見るうちに回復し、四人はその後しばらく、幸福に暮らした。 王と王女が亡くなると、シェーリスタンの王子はシナの国を譲り受け、バルキス王女はシェーリスタン島を支配した。 そして、彼女は、偉大な予言者ソロモンの妻となったのである。
V. まとめ
この小論では、これまでのワーグナー研究では、ほとんど紹介されたことのなかったR(ゴッツィが典拠とした作品)をもとに、DやFの内容を比較考察してきた。 ゴッツィが物語を巧みにDとして劇作化したこと、Dをさらにワーグナーが緊張感を高める構成に仕立て上げて、Fを作曲したこともわかった。同時に、Fではわかりにくくなった筋の背景についても、Rの内容を知ることにより、理解を深めることができるのではなかろうか。
ワーグナーは、その後、ゲルマンや北欧の神話・伝説に基づくオペラで本領を発揮していくが、彼の創作の原点において、このような東洋を起源とする物語を題材にしていたことは、禁問のような「ローエングリン」にもつながる要素を含んではいるにせよ、極めて興味深い。 もちろん、ワーグナー自身、ゴッツィにまだ残っていた東洋的要素を薄める方向で、Fの台本をまとめ上げた。作曲直後、まだ上演への望みを抱いていた頃、劇場から衣装についての問い合わせを受けたワーグナーは、次のように語っている。 「私が驚いたのは、この作品が "東洋的" だという指示である。私自身は北方的な性格をねらってそれぞれの名前を選んだつもりだったのだ。 だが確かにこれらの名前は適当ではなかった。 妖精のテーマは北国ではなく、東方にしかないではないか。ゴッツィの原作にしても明らかに東洋的性格を帯びている。 トルコ人や東欧のユダヤ人が着る長い上衣やターバンといった衣装には我慢ができず、私は烈火のごとく怒り狂った。」(16) 作曲家の意志に反し、北方的な性格をもった作品とはなかなか認められなかったことも、この作品を生前に上演しようという意欲を失った原因の一つであろうか。
ホーフマンスタールの台本にシュトラウスが作曲したオペラ「影のない女」でも、霊界の王の娘がカモシカに変身した姿で皇帝と出会ったり、石になった皇帝がまたもとの姿に戻るというモティーフを含んでいるが、ワーグナーの「妖精」に影響を受けていることは明らかである。
(1) 作曲家の生誕75周年を記念して、ワーグナーの全舞台作品が上演された機会に、「妖精」も同時に初演された。この作品の練習指揮を担当したのが、R.シュトラウスだったことでも知られている。
(2) 深田甫訳: ホフマン全集 第4巻T (創土社) 1982, 177頁。
(3) Wagner, Cosima: Die Tagebücher. Bd.4. 1881-1883. München (Piper) 21982, S.932.
(4) ゴッツィの「蛇女」を題材として、ヒンメル(1765〜1814)が1806年に「空気の精」(Die Sylphen)を作曲している。このオペラをウェーバーの「魔弾の射手」の先駆とみなす研究者もいるという。また、カゼッラ(1883〜1947)が1932年に「蛇女」という同じタイトルでオペラ化している。J.ウォラック/E.ウェスト編(大崎滋生/西原稔監訳):オックスフォードオペラ大事典(平凡社) 1996 参照。
(5) 原作については、Enzyklopädie des Märchens の Gozzi の項に詳しい。
(6) Soden, Michael von/Loesch, Andreas (Hrsg.): Wagner Die Feen. Frankfurt a. M. (Insel) 1983.
(7) ワーグナーは後年の楽劇では、伝承の古い典拠にまでさかのぼり、素材全体に精通してから台本を作成するようになったが、「妖精」のオペラ化の段階では、ゴッツィの劇だけに依拠しているとの指摘もある。 Krienitz, Willy: Richard Wagners "Die Feen" München u. Leipzig (Georg Müller) 1910, S.52.
(8) ゴッツィとワーグナーの台本は、Soden/Loesch 編の前掲書所収のものを主に参照した。『千一日物語』は、Petis de la Croix, Francois: Les Mille et un jours. Nouvelle Edition. Paris (Societe du Pantheon Litteraire) 1843, S.30-48. の他、Erzahlungen aus Tausendundein Tag. Hrsg. von Paul Ernst. Frankfurt a.M. (Insel) 1963, Bd.1, S.72-123. の独訳を主に利用した。
(9) Voss, Egon: "Die Feen" im Kontext der Biographie ihres Verfassers. In: Programmheft des Bayerischen Staatstheaters am Gärtnerplatz, Wagner: Die Feen. 1989, S.19-25, hier S.20.
(10) ここでの音楽が、この後、王が王女へ疑惑を抱く際に用いられているという。 Reimann, Heinrich: Die Feen. In: Soden/Loesch: a.a.O., S.220-253, hier S.242f.
(11) Reimann: a.a.O., S.237f.
(12) ワーグナーが参照したゴッツィの独訳では、この魔術師の名前は既にグローマとなっている。
(13) Wagner, Richard: Eine Mitteilung an meine Freunde(1851). In: Gesammelte Schriften und Dichtungen von Richard Wagner. Hildesheim (Olms) 1976, Bd.7, S.252f. ここでは、渡辺護 : リヒャルト・ワーグナーの芸術 (音楽之友社) 1965, 151〜152頁での引用を利用した。
(14) Schreiber, Ulrich: Die Kunst der Oper. Frankfurt a.M. (Büchergilde Gutenberg) 1991, Bd.2, S.463f.
(15) Schreiber: a.a.O., S.464.
(16) R. ヴァーグナー (山田ゆり訳) : わが生涯(勁草書房) 1986, 96頁。