作品完成と姉ロザーリエへの思慕
『妖精』はワーグナーが完成させた最初のオペラである。ワーグナーは兄や姉が歌手や女優として活躍する劇場一家の家庭に育ったが、1833年1月、兄アルベルトが歌手及び演出家として活躍していたヴュルツブルクを訪れ、合唱指揮者として契約し、ほぼ一年間、劇場での実践的な演奏活動の第一歩を踏み出す。こうして劇場での実践経験を積むと同時に、すでに書き上げていた『妖精』の台本も持参し、作曲に取りかかる。ワーグナーの自伝によれば、作曲にあたっては、10歳年長で女優の姉ロザーリエの影響も大きい。「私のことを見捨てたかと思っていたこの姉が、やっと私の仕事に注目し、大きな期待を示すようになったことは、私の功名心を強く刺激した。こうして、ロザーリエへの甘く熱狂的なまでの愛情が私の心に広がっていった。その清純さと純粋な情熱は、男女間のもっとも高貴な関係にも比較しうるものだった」(『わが生涯』)。凄絶な結末で終わる『婚礼』を破棄し、ハッピーエンドで終わる『妖精』に着手することにしたのも、ロザーリエの意向に沿うためであった。1833年12月11日のロザーリエ宛ての手紙は『妖精』作曲時の様子を伝える貴重な資料だが、「私は音符を書くたびに、あなたのことを考えていました。この思いが、私を駆り立ててくれたのです」とまで書いている。『妖精』は1834年1月に作曲が完了し、ロザーリエも女優としての人脈を活用して、初演のためにあれこれ手を尽くしてくれたが、結局、日の目を見ずに終わってしまう。その後、ワーグナーはこのオペラを上演する意欲を失っていき、初演されたのは没後5年目の1888年、作曲家生誕75周年を記念してミュンヘンで彼の舞台作品がまとめて上演されたときだった。
ロザーリエは1836年に結婚するが、1837年10月、出産の数日後に34歳の若さで死去する(なお、この年の12月25日にコジマが誕生)。ワーグナーはリガで姉の死の報を受け取ったときのことを、次のように回想している。「親密に感じていた人物の死を実感として体験したのは、私の人生において初めてのことだった。この姉の死は、まさに意味深長な運命の打撃として、私に衝撃を与えた。彼女への愛と尊敬ゆえに、私はかつて青春時代の自堕落な生活にきっぱりと背を向けたのだ。彼女の関心を得るために、私は初期の大作に一生懸命に取り組んだのだ」(『わが生涯』)。『妖精』の作曲における姉ロザーリエの重要性が、作曲家自身の記録から十分に察することができるが、こうした異性の兄弟姉妹間の愛情は、ワーグナーの作品の中にも投影されている。『ワルキューレ』におけるジークムントとジークリンデの近親相姦はもっとも有名だが、初期のオペラにおいても、『妖精』におけるアリンダルとローラ、『恋はご法度』におけるクラウディオとイザベラ、そして『リエンツィ』におけるリエンツィとイレーネのように、兄と妹の強い絆が見受けられる。『妖精』の妹ローラは戦乙女としてワルキューレたちの先駆をなす点でも興味深い。『妖精』での兄妹の関係はその後の作品ほど特に深いわけではないが、最初期の三作すべてに兄妹の設定が見られることは、注目に値しよう。
示導動機(ライトモチーフ)の萌芽
『妖精』にはワーグナーの円熟期の作品に通じる要素が数多く見出せるが、その中でも、もっとも注目されるのが、第1幕でのゲルノートのロマンツェの〈魔女の動機〉の扱いである。その後の重要な場面でこの動機が何度か登場し、示導動機の先駆として、高く評価されている。トラモント国のアリンダル王子は妖精のアーダに夢中になり、自分の国に戻ることさえ拒むので、家臣のゲルノートが、王子に帰国を促すためにロマンツェを歌う。内容は,魔女ディルノヴァツが指環の魔力で老婆から若く美しい女性に変身し、ある王の王妃となるが、不倫現場を目撃した王の剣が彼女の指環に当たると、またもとの醜い姿に戻るという話。アーダもこのような魔女に違いないのだから、諦めるようにと説得するのである。このロマンツェの冒頭の二小節が〈魔女の動機〉と呼ばれ、後年の示導動機のようにオペラ全体の中で重要な役割を担っている。「アリンダル王子に、アーダは王子を駄目にする悪い魔女だから諦めるよう家臣が説得を試みる。アリンダルはアーダによって恐ろしい試練にさらされ、ついに悪い魔女だと彼女を呪ってしまい、誓いを破る」というこのオペラの骨子からも、〈魔女〉がモチーフとして重要であることは明瞭である。
第2幕の試練は、アリンダルが二度の恐ろしい心の衝撃に耐えて、アーダを呪わずに済ませられるかどうかにかかっている。この試練に耐えることができないと、妖精のアーダは石に姿を変えられ、人間としてアリンダルと一緒に暮らすことができなくなる。最初の試練では、アーダはアリンダルとの間にできたかわいい二人の子供を火の中に投げ入れる。アリンダルはもちろん強いショックを受けるが、アーダに「誓いを忘れるな」と諭されて自制する。二度目は、自国の軍が壊滅的な打撃を受け、その敵の軍の先頭に立っていたのはアーダだったという報を受ける。アリンダルもさすがに自制心を失い、アーダへの疑いを抱き始める。アリンダルは「本当に彼女だったのか」と聞き返すと、オーケストラだけで〈魔女の動機〉がフルートの弱音で奏でられる。間違いなくアーダだったとの返答を受けると、アリンダルはアーダへの疑いを深めていき、アーダの「私のアリンダル!」の言葉とともに〈魔女の動機〉が今度はト短調のフォルテッシモの強奏で響き渡る。アリンダルの怒りはますます高まり、アーダの「やめて!」と制する叫びとともに、今度は〈魔女の動機〉が一音高いイ短調のフォルテッシモで鳴らされる。アーダの必死の嘆願のような叫びと重なる〈魔女の動機〉は、切々と心に染み入る音楽として聞き手には響くが、アリンダルにとっては、アーダが魔女としか思えなくなってしまったという心の動きを暗示しているのであろう。〈魔女の動機〉はたった2小節に過ぎないが、その効果は絶大である。ワーグナー自身も「悪い魔女に誘惑されたのだという妄想に陥る」と述べている(『わが生涯』)。このあと、アーダの制止にも耳を貸さず、アリンダルは誓いを忘れてアーダを呪ってしまい、アーダは石に変わる。『妖精』の第2幕フィナーレには、ワーグナー自身、かなりの自信をもっていたようで、作曲から10年後の1843年に書かれた『自伝的素描』の中で「とくに第2幕のフィナーレは大きな効果が期待された」と書いている。合唱や重唱を含む大規模なアンサンブルの巧みな作曲法とともに、魔女の動機の使用も、作曲者自身の狙った効果の一つではなかろうか。
最終幕と原作からの改変
第2幕のフィナーレが、オペラ全体のクライマックスともみなせるが、もちろん最後の第3幕も聞きどころは多い。第3幕では、援助者グロマの助力を得て改めて試練に挑んだアリンダルが、石になったアーダをもとの姿に戻し、妖精の国に迎えられる。『妖精』の原作はイタリアのコメディア・デ・ラルテの劇作家カルロ・ゴッツィの寓話劇『蛇女』(1772)であるが(「『三つのオレンジへの恋』や『トゥーランドット』もゴッツィの寓話劇であることは有名)、第3幕でワーグナーは原作に大きな改変を加えている。蛇女という名前の由来は、ゴッツィの原作では、王子ファルスカドが試練に失敗したあと、妖精ケレスタニが蛇の姿に変えられることによる。原作ではこの蛇に王子が接吻すると、蛇からもとの姿に戻るが、蛇に接吻する試練への勇気を得るために、グロマの援助を仰ぐという点だけは、『妖精』と同様である。蛇から石への改変について、ワーグナー自身も「私はこの結末を変更し、石に化した妖精が恋人の恋慕の歌によって魔法を解かれ、妖精の王によって彼女とともに、妖精界の不死の喜びの中に迎え入れられるようにした」(『友人たちへの告知』)と書いている。竪琴を使って歌を歌うことによって、もとの生命や姿を取り戻すというのは、ルネサンス期のオペラ誕生の契機ともなった『オルフェオ』の伝統につながるものである。またグロマの声の場面でのトロンボーンの効果的な使用も興味深い。チューバが使用されていないので、後年の楽劇のような深みはまだないとはいえ、モンテヴェルディの『オルフェオ』での冥界を思わせるような魅力がある。そして最後の妖精の国の場面では、序曲の冒頭での妖精を暗示するようなホ長調の三和音(これはメンデルスゾーンの『夏の夜の夢』序曲の冒頭の和音と同じ)を4度ずつ順次下降させてできたユニークな五つの和音も回帰し、大団円で終わる。
ワーグナーは、後年の楽劇の創作にあたっては、それぞれの神話や伝説の背景まで深く研究してから台本の作成に取り組むようになるが、処女作『妖精』の段階では、まだ深く素材を追求することもなく、ゴッツィの原作をそのまま台本に利用した。ゴッツィはこの寓話劇『蛇女』を作劇するにあたって、『トゥーランドット』と同様、ペティ・ド・ラ・クロワの『千一日物語』(1710〜12)の中の物語を利用している。『蛇女』で利用したのは16日〜30日の「ルスヴァンシャド王とシェーリスタニ王女の物語」である。中国の王ルスヴァンシャドは妖精の王女シェーリスタニと結婚するが、困難な試練に耐え切れず(試練の内容は『妖精』第2幕のものとほとんど同じ)、離れ離れになる。しかし最後に王の王女を思う心が勝り、再び幸福な生活を取り戻すという内容である。ゴッツィが参照したこの物語では、王が10年間、離別した家族のことを思い、隠遁して病床に臥せるだけだが、心変わりすることなく妖精の王女のことだけを思い続けたことで、ちょうど10年後に再会を許され、幸福な生活を送るようになる(妖精の王女が蛇や石になったりはしない)。 また原作の物語で興味深いのは、ゲルノートの魔女のロマンツェの話が、別の物語として途中に挿入されていることである。妖精の国から一旦、中国に戻ったルスヴァンシャド王が旅の途中で見聞した出来事として、「若いチベットの王とナイマンの王女の物語」という物語が19日〜26日に挿入されている。この独立した物語をゴッツィは魔女ディルノヴァツのエピソードとして巧みに利用した。この物語では、ディルヌアザという女性が指環の魔力でチベット王妃となったナイマンの王女の姿に変身し、本物の王妃を追い出してしまう。不倫現場を目撃され、剣で手を切り落とされると、もとの老婆の姿となり、首も切り落とされる。指環の魔力というモチーフがロマンツェの中でのエピソードとはいえ、ワーグナーの処女作にすでに登場しているのは、後年、大作『ニーベルングの指環』を作曲することを考えると、単なる偶然以上の意味合いを感じてしまうのも、人情といえようか。