「香川日独協会会報」第4号掲載(1995年10月)

春のザルツブルク


ドイツといったら、オペラとコンサート。それから、スタンドでビールを飲みながら、 あの美味しいHalbes Haehnchen(チキンの半身)を食べることを絶対に忘れては ならない,というのが、私のドイツ旅行の基本である。

前回 1993年9月にドイツを旅行した際は、香川県出身のソプラノ歌手 小濱妙美さんのブラウンシュヴァイク歌劇場でのドイツデビュー公演 (「タンホイザー」のエリーザベト)を2回、ベルリン・フィルを シーズン開幕演奏会を含め3回、 ミュンヘン・フィルを創立150周年記念演奏会を含め2回(チェリビダッケ指揮で、 得意の「展覧会の絵」やブルックナー第8交響曲)、 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の定期演奏会(ヴォーン=ウィリアムズの第6交響曲 という優れた作品を知った貴重な機会)、 あとワーグナーでは、ウィーンで「ワルキューレ」、ベルリンで「神々の黄昏」、 デュッセルドルフで「マイスタージンガー」、シュトゥットガルトで「パルジファル」 などを鑑賞。 2週間の滞在でコンサートやオペラを14〜5回鑑賞するという、 まさに体力の限界に 挑むような旅行を敢行。大半は夜行列車内での車中泊。チケットもほとんど当日券で、 開演数分前に運よく何とか入手出来たというものもあって相当苦労もしたのだが、 こういうことしか人生の楽しみがない私としては、また同じような旅行は何度でも したいものである。

今年1995年の春は、私としては画期的なことなのだが、初めてアメリカの地へ。 4月1日に開催されたニューヨークのカーネギーホール での日本フェスティヴァルの催しの一つとして、ベートーヴェンの第9交響曲の 第4楽章を演奏してくることになったのだった。オケは臨時編成の四国第九交響楽団で、 私のパートはティンパニ。 まぁ、お祭りとはいえ、こういう機会がなかったなら、たぶん一生アメリカへ行くことは なかったかもしれないので、その意味でも貴重な経験だったかもしれない (近代美術館でカンディンスキーのコンポジションの現存する全作品を世界で初めて一同 に集めた展覧会が見れたのも大収穫だった)。

さてこの春は、ニューヨークで一行と別れたあと、私一人ミュンヘン行きの飛行機に 乗り、またドイツへ行くことができた。今回のメインは、オーストリアのザルツブルク 復活祭音楽祭。カラヤンが創始したこの音楽祭は、ベルリン・フィルが一年のうち、 この時だけオケ・ピットに入ってオペラを演奏するという贅沢なもの。 オペラの他に 3回のコンサートがあり、 4日間続けてベルリン・フィルが聞けるという豪華版。 カラヤンの死後も何とか軌道に乗って続けられており、そのうち一度行ってみたいと 思っていた音楽祭だったが、パソコン通信で知り合った知人から、チケットを譲って もらうことができ、長年の夢を実現することが出来たのだった。

4月8日 R.シュトラウス:「エレクトラ」

開演前から幕は開いていて、ステージ上にギリシア風円形劇場の舞台装置が置いて ある。母に父を殺された娘が、弟と協力し母とその愛人を殺すという復讐劇は、全1幕 100分程の長さで、一気に進む。 鳴りまくるベルリン・フィル相手に歌手も健闘。しかし演出はいささか不可解。 エレクトラと弟オレストの再会の場面で、客席全体が一時的に明るくなるのだが、 全曲の中心だからといって、そこまでする必要があるのかどうか。その後また暗くなって 復讐の殺害が始まるが、だんだん曲の終わりに近付くにつれ、 たくさんの人間が舞台装置の円形舞台の上に屍となって倒れていて、何かよくわからない 幕切れ。

終演後、現地で合流した千葉県の友人と食事しながらプログラムを読んでいると、 演出家が「現在地球上のあちこちで血で血を洗う殺戮が繰り広げられている。こうした 復讐の終末は必ずこうなるのだ」と書いていたが、そこまで持ち込む必要があるのか どうか。 ベルリン・フィルの演奏は日本の音楽雑誌では、何故かすごい絶賛ぶり。しかし現地の 新聞や雑誌では、ベルリン・フィルの大音響への疑問の声が多く、私も凄い轟音に驚か されたというか、びっくりしたというか。「ウィーン・フィルだったらこんなに鳴らし 過ぎることはないのだが」というようなコメントが多く見受けられた。いずれにせよ、 空前絶後の演奏を成し遂げるすごいオーケストラではある。ただ指揮のアバドのテンポ が速めで、音楽の鳴らし方もあっさりしていて(重厚感がない)、感銘度が今一つ 深まらないのがやや残念。とはいえ、滅多に観れない聞けない貴重な体験に圧倒された とはいえる。

4月9日 ヴェルディ:「レクイエム」

有名な作品だが、実演で聞くのは初めて。「怒りの日」での大太鼓や多数の トランペットの迫力は予想通りで満足。一番感銘深かったのは、最後の「リベラ・メ (我を解き放ち給え)」で、後半のフーガが深まるにつれて、演奏がだんだん深みに はまって行き、カラヤンの亡霊でもステージにでも現われたかのような名演となった。 カラヤンが生前ベルリン・フィルと最後に演奏したのがこの曲で、しかも同じ ザルツブルクが会場。終演後、目頭を拭っているような団員の姿が見えたのも気のせいで はないような気もしたのだが。 独唱はスチューダー、リポヴシェクの女声陣が健闘し、女高男低といった趣き。

4月10日 モーツァルト:交響曲第25番ト短調、 ショスタコーヴィチ:交響曲第13番「バビ・ヤール」

この日だけ指揮者はアバドでなくショルティ。このショスタコーヴィチの交響曲 「バビ・ヤール」というのは、戦時中ドイツ軍によってユダヤ人大虐殺が行なわれた ウクライナ地方の地名。戦後50年にちなんで、今年ショルティが取り上げている曲で、 最近CDも出している。難解な曲ながら、気合いは十分に感じられた演奏。 男声のバスだけの独唱と合唱が加わる変わった編成。カタストロフのような部分の 大音響の響きもよかったが、最後のフルートのソロで始まる静かな楽章が、 これはベルリン・フィルにしか出来ないのではと思わせられるような、 軽みのある宙に浮いたエーテルのような音楽となっていて、すっかり感心させられた。

4月11日 ベートーヴェン:「皇帝」「田園」

最終日はベートーヴェンの名曲プロ。「皇帝」はポリーニのピアノ独奏、アバドの指揮 で、CDも出ている組み合わせ。しかしこういう上手い演奏を聞いても、あまり感銘が 深くないというのも音楽の難しいところか。「田園」もコントラバス6本と、全体に弦楽器 を少なめにした編成で、カラヤン時代には考えられないような響き。昨秋大阪で「運命」を 同じ編成で聞いた時は、軽量級の薄い演奏で、すっかり失望させられたが、「田園」の場合 は、少ない編成でもあまり違和感も不満もなく、管楽器奏者の名人芸とあいまって、 それなりに楽しませてくれる演奏となった(何せ、これまでの3日間が、どれも暗めの曲 ばかりということもあった)。

なお今回、「エレクトラ」に関しては、4月5日にドレスデン、4月7日にミュンヘン でも観ることが出来て、「エレクトラ」ばかり3回も観るという特異な事態となったのだ った。またミュンヘンからドレスデンへ行く途中、ホーフという小都市で下車し、 そこのオケでビオラ奏者をしている国分さんという方のお宅に泊めていただいたり、 あとドレスデンからミュンヘンへ戻る途中、ニュルンベルクに立ち寄り、そこの歌劇場 オケのチューバ奏者である稲田さんという方にも、演奏会のゲネプロを聞かせて いただいたりと、大変に有意義な旅行となったのだった。