第2回

ベルリンフィル歴代打楽器奏者一覧

打楽器奏者に関しては、創立当初から現在のようにティンパニ(Pauken)と打楽器(Schlagzeug)とが区別して表記されていた訳ではない。1882年の創立時には、打楽器(Schlagzeug)の項に奏者の名前が記載されているが、1890年前後からは、ティンパニ(Pauken)の項に奏者の名前が記載されるようになる。これがしばらく続くが、1940年頃に再び創立当初のように、打楽器(Schlagzeug)の項に奏者全員の名前が記載されるようになる。その後1960年代になって、現在のようにティンパニ(Pauken)の奏者とその他の打楽器(Schlagzeug)の奏者とが区別して表記されるようになる。

なお、赤で表記した年号がそれそれの奏者の在籍期間、括弧内のスペルの横の年号が生没年である。


創立時(1882年5月1日)

打楽器(Schlagzeug)として

1882〜1925   フーゴー・ブルーメ (Hugo Blume : 1855〜1925)

1882〜1884   フランツ・ヤーン (Franz Jahn : ? 〜1895)


1891/92シーズン(創立10年目)のメンバー

ティンパニ(Pauken)として

1882〜1925   フーゴー・ブルーメ (Hugo Blume : 1855〜1925)

ヤーンが1884年に退団したため、正規の団員は当面一人になる。


ニキシュ時代(1895〜1922)

ティンパニ(Pauken)

1882〜1925   フーゴー・ブルーメ (Hugo Blume : 1855〜1925)

1896〜1936   パウル・クレッチュマー (Paul Kretschmer : 1868〜1936)

1911〜1947   アウグスト・ローゼ (August Lohse : 1887〜1965)

メンバーも3名に増員する。ニキシュの指揮による有名な「運命」の録音(1913年11月)も、このうちの誰かが叩いていると思われる。


フルトヴェングラー時代(1922〜1954)

1926/27シーズンのメンバー

ティンパニ(Pauken)

1896〜1936   パウル・クレッチュマー (Paul Kretschmer : 1868〜1936)

1911〜1947   アウグスト・ローゼ (August Lohse : 1887〜1965)

1926〜1962   ヴィルヘルム・シメル (Wilhelm Schimmel : 1898〜)

創立以来のメンバーだったブルーメ(1925年6月17日死去)の後任として、シメルが入団する。


1942/43シーズンのメンバー

打楽器(Schlagzeug)

1911〜1947   アウグスト・ローゼ (August Lohse : 1887〜1965)

1937〜1944   クルト・ウルリッヒ (Kurt Ulrich : 1910〜44)

1926〜1962   ヴィルヘルム・シメル (Wilhelm Schimmel : 1898〜)

1936〜1970   ゲラッシモス・アヴゲリノス (Gerassimos Avgerinos : 1907〜)

戦時中の迫力あるティンパニ演奏が録音で残されている時代の奏者である。ニキシュ時代の初期から活躍したクレッチュマー(1936年2月10日死去)の後任として、1936年にエジプトのルクソール生まれのアヴゲリノスが入団する。彼は1970年まで在籍し、1967年3月13日にスタジオ収録されたクーベリック指揮の「英雄」で、彼の端正な演奏の貴重な映像が残っている(WOWOWによる放送あり)。翌1937年にウルリッヒが入団し4人体制となるが、戦争末期の混乱の中、1944年3月24日に33歳で死去している。
カラヤン時代(1956〜1989)

1956/57シーズンのメンバー

打楽器(Schlagzeug)

1936〜1970   ゲラッシモス・アヴゲリノス (Gerassimos Avgerinos : 1907〜)

1949〜1984   ヴェルナー・テーリヒェン (Werner Thärichen : 1921〜)

1926〜1962   ヴィルヘルム・シメル (Wilhelm Schimmel : 1898〜)

1946〜1960   クルト・ラーデンティン (Curt Ladentin : 1905〜60)

戦後になって、ラーデンティンと著書や作曲でも有名なテーリヒェンが入団する。

1963年のメンバー

Pauken

1936〜1970   ゲラッシモス・アヴゲリノス (Gerassimos Avgerinos : 1907〜)

1949〜1984   ヴェルナー・テーリヒェン (Werner Thärichen : 1921〜)

Schlagzeug

1962〜1872   ハンス・ハンゼン (Hans Hansen : 1907〜)

1962〜1998   ハンス=デォーター・レムベンス (Hans-Dieter Lembens : 1933〜)

この頃からティンパニ(Pauken)と打楽器(Schlagzeug)とに表記が区分されるようになる。なお、この時期の打楽器奏者の写真が、小澤征爾『ボクの音楽武者修業』(音楽之友社 1962年、新潮文庫 1980年)に掲載されている。「ベルリン・フィルの打楽器メンバーと打ち合わせ」と題された写真(新潮文庫版148頁)に、3名の打楽器奏者と小澤が写っている。手前の年輩の奏者がシメルかアヴゲリノス、後方左がまだ20代後半の若いレムベンス、後方右がハンゼンかと思われる。


1970年のメンバー

Pauken

1949〜1984   ヴェルナー・テーリヒェン (Werner Thärichen : 1921〜)

1970〜1997   オスヴァルト・フォーグラー (Oswald Vogler : 1930〜)

Schlagzeug

1962〜1872   ハンス・ハンゼン (Hans Hansen : 1907〜)

1962〜1998   ハンス=デォーター・レムベンス (Hans-Dieter Lembens : 1933〜)

アヴゲリノスの後任としてフォーグラーが入団し、ベルリンフィルの響きもますます機能的かつ洗練されるようになる。特に1973年に録音された「ツァラトゥストラ」は、まさに新時代を象徴するような演奏で、冒頭のフォーグラーのティンパニは圧巻である。

1982年(創立100周年)のメンバー

Pauken

1949〜1984   ヴェルナー・テーリヒェン (Werner Thärichen : 1921〜)

1970〜1997   オスヴァルト・フォーグラー (Oswald Vogler : 1930〜)

Schlagzeug

1962〜1998   ハンス=デォーター・レムベンス (Hans-Dieter Lembens : 1933〜)

1971〜      フレディ・ミュラー (Fredi Müller : 1942〜)

1975〜      ゲルノート・シュルツ (Gernot Schulz : 1952〜)

ミュラー、シュルツといった名手が入団し、カラヤン体制の黄金時代もこの頃に頂点を迎える。カラヤン時代の末期に、テーリヒェンの後任としてゼーガースが入団する。


アバド時代(1990〜)

1992年(創立110年)のメンバー

Pauken

1985〜      ライナー・ゼーガース (Rainer Seegers : 1952〜)

1970〜1997   オスヴァルト・フォーグラー (Oswald Vogler : 1930〜)

Schlagzeug

1962〜1998   ハンス=デォーター・レムベンス (Hans-Dieter Lembens : 1933〜)

1971〜      フレディ・ミュラー (Fredi Müller : 1942〜)

1992〜      フランツ・シンドルベック (Franz Schindlbeck : 1967〜)

1975〜      ゲルノート・シュルツ (Gernot Schulz : 1952〜)

この年より打楽器が4人になり、セクション全体としては6人体制となる。25歳で入団したシンドルベックは、入団直前の92年6月のヴァルトビューネでのボレロ(プレートル指揮)でスネアを演奏している。それまで、ボレロのスネアは、シュルツが叩いていたようで(カラヤンのジルヴァスターの録画)、世代交代といえるかもしれない。


1997年以降の状況

さらに時代は変遷し、フォーグラーの後任にヴェルツェルが入団。レムベンスの後任が、98年1月のオーディションで決定したりしている。

1997〜       ヴィーラント・ヴェルツェル (Wieland Welzel)

1998〜       ヤン・シュリヒテ (Jan Schlichte)


ベルリンフィルの全打楽器奏者を入団順にまとめると下記の通りである。

1882〜1925   フーゴー・ブルーメ (Hugo Blume : 1855〜1925)
1882〜1884   フランツ・ヤーン (Franz Jahn : ? 〜1895)
1896〜1936   パウル・クレッチュマー (Paul Kretschmer : 1868〜1936)
1911〜1947   アウグスト・ローゼ (August Lohse : 1887〜1965)
1926〜1962   ヴィルヘルム・シメル (Wilhelm Schimmel : 1898〜)
1936〜1970   ゲラッシモス・アヴゲリノス (Gerassimos Avgerinos : 1907〜)
1937〜1944   クルト・ウルリッヒ (Kurt Ulrich : 1910〜44)
1946〜1960   クルト・ラーデンティン (Curt Ladentin : 1905〜60)
1949〜1984   ヴェルナー・テーリヒェン (Werner Thärichen : 1921〜)
1962〜1998   ハンス=デォーター・レムベンス (Hans-Dieter Lembens : 1933〜)
1962〜1972   ハンス・ハンゼン (Hans Hansen : 1907〜)
1970〜1997   オスヴァルト・フォーグラー (Oswald Vogler : 1930〜)
1971〜      フレディ・ミュラー (Fredi Müller : 1942〜)
1975〜      ゲルノート・シュルツ (Gernot Schulz : 1952〜)
1985〜      ライナー・ゼーガース (Rainer Seegers : 1952〜)
1992〜      フランツ・シンドルベック (Franz Schindlbeck : 1967〜)
1997〜      ヴィーラント・ヴェルツェル (Wieland Welzel)
1998〜      ヤン・シュリヒテ (Jan Schlichte)

(1998年2月18日作成、5月15日補筆)

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