「香川大学経済論叢」第81巻第2号(2008年9月発行)掲載

ペティ・ド・ラ・クロワ   『ルスヴァンシャド王とシェーリスタニ王女の物語』


【訳者付記】

「ルスヴァンシャド王とシェーリスタニ王女の物語」(Histoire du roi Ruzvanschad et de la princesse Scheheristany) は、ペティ・ド・ラ・クロワの『千一日物語』(注1)の16日から30日までの物語である。カルロ・ゴッツィが寓話劇『蛇女』の原作としてこの物語を利用している。このゴッツィの寓話劇をもとに、ワーグナーが二十歳の頃に処女作『妖精』を作曲した。ワーグナーの没後125周年にあたる今年2008年、このオペラ『妖精』が東京オペラプロデュースにより新国立劇場中劇場で日本初演された(2月16〜17日)。ワーグナー自身がこの『千一日物語』の原作を知っていた可能性は極めて低いが、ワーグナーのオペラの錯綜して、理解しにくいストーリーへの理解を深めるためにも、この原作を知っておくことは無意味ではないと考え、今回、訳出してみることにした。

シナの王のルスヴァンシャドという名前は、中国風とはとても思えないが、『千一日物語』がもともと中近東に伝わったいくつかの話をまとめた物語集であることを考えれば、当然なのかもしれない。『千一日物語』の中でもっとも有名な「カラフ王子とシナの王女の物語」でも、シナの王女はトゥーランドット、すなわち「トゥーランの娘」という意味をもつ名前なのである。結局、どちらも単に架空の物語の舞台としてシナという国名が使われているだけなのであろう。

物語の発端は、原作では泉のほとりで睡眠中に宮殿が出現するという設定である。寓話劇とオペラでは、第一幕で登場人物によって語られるが(ゴッツィではトルファルディーノ、ワーグナーではゲールノート)、『妖精』のあらすじにあるように、川に飛び込むと宮殿の中にいるという設定に変更されている。リヒャルト・シュトラウスの『影のない女』はこのオペラにも影響を受けて作られているが、『影のない女』では皇帝が狩りで見つけたカモシカを矢で撃つと、女性の姿に変わるという設定になっている。ドイツでは、『妖精』と『影のない女』の関連性を指摘する研究者が多いが、『妖精』のあらすじで「アリンダルは、狩りに出かけて、牝鹿を追いつめる。矢に射抜かれた牝鹿は、本来の姿である美しい妖精アーダに変身」(ボルヒマイアーによる作品紹介、『ワーグナー事典』東京書籍)と書かれていることもあるので、注意が必要である。

今回訳出した16日から30日までの物語は、途中の19日から26日に「チベットの若き王とナイマンの王女の物語」が挿入されるという形になっている(さらに21日の後半には「大臣カヴェルシャの物語」が挿入)。しかもこの挿入された物語の方が、全体として見ると、かなりの分量を占め、物語の描写も詳細だったりする。ゴッツィの寓話劇では、この挿入された物語が、家臣のパンタローネが王子に進言する魔女ディルノヴァツのエピソードとして巧みに利用されているが、ワーグナーのオペラでも、ゲールノートが歌う魔女ディルノヴァツのロマンツェとして作曲されている。ここで用いられている魔女のモチーフが、第二幕で誓いを破って妖精の女王アーダを魔女と呪う場面でも効果的に用いられており、ライトモチーフ(示導動機)の先駆として、音楽的にも高い評価を受けている。

また変身するための魔法の術具はベドラからもらった指環であるが、ワーグナーの『ニーベルングの指環』では、アルベリヒが作らせたニーベルングの財宝のうち、指環ではなく、隠れ頭巾の方と機能が共通しているのも興味深い。

試練については、寓話劇でもオペラでも、劇の中で展開されると、やや唐突な印象を受け、理解しにくい印象もあるが、物語として読むと、多少は説得力を持って理解できるのではなかろうか。また原作では、その後、妖精の女王は二人の子どもと一緒に妖精の国に戻り、十年後に再び夫と会うという設定だが、彼女は寓話劇では蛇に、オペラでは石に、それぞれ姿を変えられ、夫が善良な魔術師の援助により試練をクリアし、再会を許され、大団円を迎えるように改変されている。やはり舞台上で繰り広げるには、ただ十年間、病床に伏せるだけというのでは、変化に乏しく、面白みに欠けるからであろう。

なお、訳出にあたっては、下記のドイツ語訳を主に参考にし、章分けは訳者の判断により行った。

Tausendundein Tag. Orientalische Erzählungen niedergeschrieben von dem Derwisch Mokles. Ins Deutsche übertragen von Konrad Haemmerling. München (Wilhelm Heyne) 1962.

Erzählungen aus Tausendundein Tag. Vermehrt um andere morgenländische Geschichten hrg. in zwei Bänden von Paul Ernst. Übers. von Felic Paul Greve. Frankfurt a. M. (Insel) 1963 (Revidierter Neudruck der Ausgabe von 1909).

Pétis de la Croix, François: Tausendundein Tag. Persische Märchen. Übers. von Marie- Henriette Müller. Zürich (Manesse) 1993.

また、フランス語原文も、適宜参照した。

Pétis de la Croix, François: Les Mille et un Jours, Contes Persans. Nouvelle Édition. Paris (Société du Panthéon Littéraire) 1843.


(1) 『千一日物語』については、拙稿「『千一日物語』の枠物語」『香川大学経済論叢』 第75巻第3号 2002年、205〜214頁を参照。


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