T はじめに
ヨーロッパの神話や民話の歴史において、謎解きを重要な題材とするものが数多く見られる。 その中でもっとも有名なものは、スフィンクスの謎であろう。 ギリシアのテーバイの近くに住み、女性の顔と獅子の姿を持つ怪物スフィンクスは、通りかかる旅人に謎をかけ、謎が解けないと命を奪っていた。 ある日、オイディプスが謎を簡単に解いてしまうと、スフィンクスは恥じて断崖に身を投げて死んだという。 その有名な謎は「朝は四つ足、昼は二本足、夕べは三本足」で、答は「人間」とされている。 謎解きに成功しスフィンクスを退治したオイディプスは、テーバイの王として迎えられる。 その後、テーバイが疫病に襲われ、先王ライオスの殺害者を探し追放せよとの神託が下り、殺害者を見つけるという新たに謎に直面する。 そして実はオイディプスが自分の父ライオスを殺害し、実の母と結婚したという事実が判明し、眼をえぐって放浪する。 この謎解きを主要なモチーフとしてを根幹に内包するオイディプス王の物語は、ギリシア悲劇などでよく知られている。
スフィンクスの謎は、解けなければ命を失う点で、Halsrätsel(首を賭けた謎)と言えるが(注1)、この種の謎としては、トゥーランドットの謎もスフィンクスの謎と並び有名である。 中国の王女トゥーランドットは、結婚の条件として3つの謎を解くことを求婚者に出し、それに正しく答えられなければ首をはねるという内容である。 このトゥーランドットの物語は、古来、多くの劇作家や作曲家の興味を喚起し続けてきた。 もっとも有名なプッチーニのオペラ以外にも、様々に扱われている。 また昔話の研究家リュティは、このタイプの昔話を Rätselprinzessin(謎かけ姫)の昔話と分類し、謎かけを題材とする昔話にも多様な形態のものが存在することを示している(注2)。
この研究ノートでは、謎かけ姫トゥーランドットの物語を、これまであまり詳しく追求されては来なかったこの物語の起源を探り、その後の謎の内容などの変遷にも考察を加えながら、今後のさらなる研究への糸口を探りたいと思う。
U ゴッツィ以前のトゥーランドット物語の原型
「トゥーランドット」は今世紀に入って、ブゾーニとプッチーニの二人の作曲家によってそれぞれ別個にオペラ化されている。特にプッチーニの遺作となったオペラがこの物語の知名度を高めているとは言えよう。 このどちらのオペラの台本も、18世紀のイタリアのコメディア・デ・ラルテの劇作家ゴッツィ(1720〜1806)の「トゥーランドット」(1762)が原作となっていることもよく知られている。 しかしながら、ゴッツィが「トゥーランドット」を書くにあたって何を典拠としたかについては、これまでにいろいろ詮索されてきてはいるものの、あまり明快に論じられているとは言えないようである。 プッチーニ研究の基本的文献を執筆しているカーナは、以下の2つの物語から題材を得たのだろうと推測している(注3)。 どちらもペルシアのアラビア文学で、1つは17世紀末にフランス語に翻訳され『仙女の箱 Le Cabinet des Fées』の題で出版された物語集。 もう1つは18世紀初めにアントワーヌ・ガランのフランス語訳でヨーロッパに紹介された有名な『千一夜物語』だという。 しかし、前者の物語集に関しては、具体的にどの物語でどんな内容を持っているかには触れられていない。 また後者の『千一夜物語』にしても、カーナが指摘し実際に分析しているのは、マルドリュス版にのみ収録されている「九十九の晒首の下での問答」であるが、このマルドリュス版が出版されたのは、1904年から1917年にかけてであり、これをゴッツィが参照したとは考えられない。 ガラン版にトゥーランドットの原型となる物語が収録されていたのかどうか不明である。 いずれにせよ、このカーナの説による解説が、現在の日本で広く流布しているようである(注4)。
さて海外の資料に目を移すと、それ以外の説についても紹介されている。 例えば、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場での上演プログラムに掲載されている論文では、クリステンもゲルトナーもペルシアのロマンス叙事詩人ニザーミー(1141〜1209)の名を挙げている。 彼らによると、ペルシアに昔からあった謎かけ姫の伝承を初めて後世に伝えたのがこのニザーミーの『七人像』(翻訳では『七王妃物語』)であるという。 「五部作」で後世に名を残したニザーミーの1197年に完成された4作目の『七人像』は彼の最大傑作とされているが、全体は枠物語で構成され、皇帝バフラームが7人の王妃を迎え、それぞれ別々の宮殿に住まわせ、曜日毎にそれぞれの宮殿を訪れ、それぞれの王妃が自分の出身地にまつわる様々な話を皇帝に語るという構成になっている。 謎かけ姫に関する話も、その中の一部で、物語の中心4番目のロシア王妃が語る物語に含まれる。黒柳恒男氏の翻訳により話の概要をまとめると次のようである(注5)。
ロシアの広大な領土に住む王に、美貌と知性に恵まれた娘がいた。彼女は始終求婚者に悩まされていた。そこで高い山を探し、堅固な砦を築き、「砦の婦人」としてそこに住むことにした。 その高い砦に通じる道に魔像を配置し、砦の門も空高くそびえ立ち、容易に見いだせないようにした。自分に求婚するために4つの条件を課した。 第1が名声高く美男子であること、第2が砦に到る道の魔力を取りのぞくこと、第3が砦の門を探し出すこと、第4が父の宮殿で謎解きに成功すること。数多くの者(何万とも何千とも何百とも書かれている)が失敗して命を失った後、ある美青年が、ある賢者に教えを請うた後に挑戦する。赤い服を着ることで、魔像の魔力を解くのにまず成功し、太鼓の音で砦の門も発見。あとは4つの謎を解くだけとなった。 その謎のやりとりは以下の通りである。
王女の行為 求婚者の対応 1 耳たぶから2つ真珠を外して渡す その2つに別の3つを加えて返す 2 砂糖を加え一緒に磨りつぶす 乳をかけて返す 3 指輪を送る 光輝く真珠を渡す 4 彼の真珠に自分の真珠結びつける 青い玻璃の玉を間に通し返す こうしたやりとりによって、最終的に王女とこの求婚者は結ばれることになる。
この物語で興味深いのは、謎といっても「なぞなぞ」のような謎ではなく、質問者も解答者も秘儀的な行為によってやりとりする点である。 それぞれの行為の意味は、以下のように解釈されるという。
王女の行為 求婚者の対応 1 あなたの命はあと2日だけ たとえ5日でもすぐ過ぎる 2 一緒に磨りつぶされた真珠と砂糖は分離できるか 一滴の乳で見分けられる 3 結婚への同意を示す この真珠のように私に匹敵する者は得られない 4 私こそ相応しい伴侶 邪視を防ぐ
このように謎の内容はかなり秘儀的な要素が濃厚で、謎かけ姫の物語がペルシア起源だとしても、当初はこうした要素がかなり強かったのだろうと推測される。 まだ登場人物に名前はつけられていない。以上がニザーミーの物語の中での謎かけ姫の話の概要である。
カーナは、ゴッツィが「トゥーランドット」の典拠としたのは『千一夜物語』の中の「九十九の晒首の下での問答」であるとして詳しく分析している。 この物語は先にも触れた通り、マルドリュスによるフランス語訳に収録されているもので、佐藤正彰氏による邦訳の第844〜847夜の物語で読むことができる。 99人もの若者が姫の出す謎解きに挑戦して失敗し晒首になり、100人目の挑戦者の王子が成功するという話である。 問の数は特に決まっておらず、長時間に渡って延々と謎解きが行なわれる。 この物語では、12個の謎を解答し終えたところで、姫の声が疲れることを気遣った挑戦者が、逆に姫に謎をかける。 この謎を姫は解くことができず、この王子の青年と結婚するという結末である。 この12個の謎の内容は、次の表にまとめた通りであるが、ここでは錬金術的な問も存在する一方で、その後のトゥーランドット物語でも使われる「一年」が答となる問も既に存在するなど、やや過渡的な内容を持っているといえそうである。 王子が逆に質問をするというのも、ゴッツィ以降の物語と類似している。
「九十九の晒首の下での問答」
問 | 答 | |
---|---|---|
1 | 自分(姫)とその周囲の女性たちとが似ているもの | 偶像と侍く女、太陽と陽光、月と周りの星々 |
2 | 西方の花嫁と東方の王子から一人の子が生まれ、輝かしい帝王となるとは | 西方の湿気で東方の土を腐触すれば、全能の水銀を生む |
3 | 護符に霊験を与えるもの | それを構成する文字 |
4 | 2つの永遠の仇敵 | 死と生 |
5 | 12の枝を持ち、各々2つの房をつけ、一方は30の白い果実、他方は30の黒い果実をつけている木 | 一年 |
6 | 太陽を見たことのない地 | 紅海の海底 |
7 | 銅鑼を発明した者 | ノア |
8 | なすもなさざるも法に違う行為 | 酒に酔った者の祈祷 |
9 | 地上で天に一番近い場所 | メッカの聖殿カアバ |
10 | 人の秘めておくべき苦々しき事 | 貧窮 |
11 | 健康に次いで最も貴いもの | 濃やかな友情 |
12 | 矯め直すのに一番難しい木 | 悪しき品性 |
ところで、この「九十九の晒首の下での問答」の筑摩書房版での邦訳で、佐藤正彰氏は、次のような注を付している(注6)。
これは『千一夜物語』には元来なく、前出の類書『千一日物語』に含まれる「カラフ王子とシナの王女」Le Prince Calaf et la Princesse de la China とかなり似た物語という。 「カラフ」のアラビア語テキストは知られてないらしい。また、その『千一日物語』については、次のように記載されている。(ショーヴァン『書誌』による)
『千一日物語』全5巻は、 Pétis de la Croix の訳編により、 1710〜1712年にガラン訳の刊行中公刊され、非常に読まれた。 しかしそのペルシア語その他の原典があるかどうか疑わしい模様である。(ショーヴァン『書誌』による)
この注釈は大変に注目すべきものである。謎かけ姫の物語は『千一夜物語』ではなく『千一日物語』に存在するらしいこと、しかも王女の居住地が中国、王子の名前がカラフ、このその後のトゥーランドット物語の骨子となる原型が、既にこの物語に端を発することが了解されるからである。 この『千一日物語』の中のトゥーランドットの物語の謎かけの部分は、リュティの『昔話の本質』の「謎かけ姫」の章に引用されている(注7)。
このように謎の数が3つであるのも、その後のトゥーランドット物語と同じである。 シナの王女の名前がトゥーランドットという名前かどうかはこの資料だけでは断言できないが、クロイバーによると「シナの王女トゥーランドットは『千一日物語(1001 Tag)』のペルシアの物語のヒロインである」とのこと、 またブロックハウスの百科事典でも、トゥーランドットの項で『千一日物語』のヒロインとの記述があり、おそらくこの物語で、謎かけ姫の名前がトゥーランドットとされた可能性が極めて高いように思われる。 クリステンも、トゥーランドットの題材はニザーミーの叙事詩に登場したあと、『千一日物語』に盛り込まれ、これが1710年に François Pétis de la Croix のフランス語訳でヨーロッパに初めて知られるようになり、ゴッツィはこの Pétisからこの題材を知ったと述べている(注8)。 トゥーランドットの典拠探しの今後の研究は、『千一日物語』に焦点が絞られてきそうである。「あらゆる国に住んでいて、あらゆる人の友達で、自分と同等の者を我慢できないものは何ですか?」カーラフが答えた。 「ご主人様、それは太陽です。」 学者がみんな叫んだ。「その通り。太陽です。」 姫は言葉を続けた。「子どもたちを生んで、その子が大きくなると、飲み込んでしまうものは何ですか?」 ノガイ族の王子が答えた。「海です。なぜなら川は海へ流れ込みますが、もとは海から生じたものだからです。」
トーランドット姫は最後の質問のとき、謎を解く人をどぎまぎさせようとして、ヴェールを上げ、輝くばかりに美しい顔を見せる。 けれどもカーラフは三度目も勝つ。(この2文はリュティによる説明)
「全部の葉が一方は白くて、もう一方は黒い木は何ですか?」カーラフが言った。 「その木は年です。一年は昼と夜から成り立っています。」
以上のことから、ゴッツィ以前のペルシア起源とされる「謎かけ姫」物語について次のようにまとめられる。 もっとも初期のものと考えられるニザーミーの『七王妃物語』では、謎の内容がかなり秘儀的なもので、一般的な「なぞなぞ」の内容とはかなりかけ離れたものとなっている。 「九十九の晒首の下での問答」では、問の数が12と多く、錬金術的(神秘主義的)な問も存在する一方で、その後のゴッツィ以降でも使われる「一年」が答となる問も存在するなど、『七王妃物語』とその後のトゥーランドットの直接の源泉になったと考えられる『千一日物語』の間に位置するような内容となっている。
V ゴッツィ以降のトゥーランドット
ゴッツィの「トゥーランドット」の典拠が、アラビア語テキストの存在が未確認だったりと、いささか正当性が判然とはしない『千一日物語』の可能性が高いことを、前章では確認してきた。 カルロ・ゴッツィ(1720〜1806)は、18世紀後半のイタリアの喜劇の領域で、ゴルドーニ(1707〜93)と相争った劇作家である。 ゴルドーニはヴェネチアで、従来の伝統的な即興喜劇であるコメディア・デ・ラルテに対し、新しい写実的風俗劇で、市民・庶民性を取り入れた新しい喜劇を確立しようとしたが、ゴッツィは日常世界からかけ離れたお伽話の世界を題材にして、伝統的なコメディア・デ・ラルテの手法を再度復興させた(注9)。 「トゥーランドット」以外にも、プロコフィエフがオペラ化した「三つのオレンジの恋」、ワーグナーが処女作「妖精」の題材とした「蛇女」などもゴッツィのものであり、後世のメルヘン的な色彩を持つ作品の成立に関しても、かなりの影響を与えている(注10)。
このゴッツィが「トゥーランドット」を1762年にコメディア・デ・ラルテとして劇作化したことは、その後の物語の受容史に多大の貢献を果たしている。 ドイツの文豪シラー(1759〜1805)にも強い興味をいだかせ、シラー自身が1801年にドイツ語に翻訳することにより、ドイツ語圏にもこの物語を広めたからである。 劇の中にコメディア・デ・ラルテではお馴染みの4人の仮面道化を登場させたのはゴッツィの発案であることは容易に想像できるが、中国の王女トゥーランドット、謎解きに挑戦する王子カラフ、この2人の主要登場人物の名前、それから謎の数が3つであるという枠組みは、既に触れてきたように『千一日物語』に基づくものと思われる。 ただし、3つの謎の内容については、ゴッツィもシラーも自分なりに翻案するにあたっては、いろいろと考えたようである。謎の内容がそれぞれ異なることも興味深いので、次にまとめてみる。
千一日物語
(1710)ゴッツィ
(1762)シラー
(1801)1 太陽 太陽 年 2 海 年 目 3 年 アドリアの獅子 鋤
「年(一年)」を答とする謎は、『千一夜物語』の中の物語でも用いられていたが、これら3つのいずれにも使用されている。 ゴッツィでは、第3の謎の答だけが『千一日物語』とは違って独自にヴェネチアの都市の紋章である「アドリアの獅子」になっている。 これは「海洋を陸地を支配する強大な動物」を問う謎への解答であり、ゴッツィにとっては世界最強のシンボルであった「アドリアの獅子」を第3の謎の答とすることで、自分の故郷への栄誉を讃えたものと理解される。 またシラーが第3の謎の答に「鋤」を選んだのは、この農耕具を国家形成の基礎と考えていたことによるという(注11)。 この「鋤 der Pflug」に対する問は「傷はつけるが、血は流さない。誰も奪おうとはしないが、豊かにする。 最大の帝国も最古の都市も築いたが、戦争を引き起こすことはない」といった内容である。
シラーによる翻案は、その後、作曲家のウェーバー (1786〜1826) によって付随音楽も作曲され、1809年にシュトゥットガルトでの上演の際に演奏された。 今日では滅多に演奏されない音楽ではあるが、ウェーバーは東洋的な雰囲気を出すために、ルソーの『音楽辞典』(1768)の巻末の譜例の中から「中国の歌 Air Chinois」という旋律を引用しているのが面白い。 この旋律は次のものである(注12)。
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(Rousseau,J.J. Dictionnaire de Musique. Tone II. Paris,1826.)
1943年にヒンデミット(1895〜1963)が「ウェーバーの主題による交響的変容」という曲を作曲しているが、この作品の第2楽章の「トゥーランドット・スケルツォ」で、この旋律が一層効果的に使用されている(注13)。
W 20世紀のトゥーランドット
ブゾーニ(1866〜1924)は1905年からゴッツィの「トゥーランドット」のための組曲を作曲し、この音楽を1911年にベルリンでのゴッツィの戯曲のラインハルト演出による上演で使用した。 その後、自作の台本を作成してオペラ化し、1917年にチューリヒで初演した。 一方、プッチーニ(1858〜1924)は、たまたまベルリンでのゴッツィの上演を見てはいたが、実際に作曲に取りかかるのは、1920年、台本作者シモーニの提案を受けてからである。 しかし1924年死去し、最後の未完の部分を弟子のアルファーノが補筆した後、1926年にミラノで初演された。
今世紀初頭のオペラともなると、謎の内容は、ゴッツィからかなりかけ離れ、独自の個性が発揮されるようになる。まずブゾーニに関しては、以下の通りである。
人心(der menschliche Verstand)
這ったり飛んだり、暗中模索したり明かりをつけたり、過去を探ったり未来を考えたり、惰性に流されたり意欲旺盛だったり、慎重で従順だったり反抗的で思い上がったりするもの。習慣(die Sitte)
絶えず変わるがいつも存在し、今日与えられても明日は禁じられ、初めは皆が従うがすぐに嘲笑されるもの。芸術(die Kunst)
人類の歴史の大昔から長年かけて成長した樹の枝の先に高貴な花を咲かせるもので、皆が魅惑されるが本当の価値を評価する者は少なく、選ばれた者だけがつかさどる。 人間に喜びをもたらすために、天から与えられた贈物。
ブゾーニでは、第3の謎の答が「芸術」ということで、芸術を称揚する意図も感じられるが、全体としてやや硬い感じがする。 これに比べると次のプッチーニのオペラでの謎は、かなり情熱的な印象を受けるものとなっている。
希望(Speranza)
深い夜に虹色に輝く幻が舞う。高く昇り翼をひろげる黒い無数の人々の上に人々はそれを呼び、人々はそれを求める。しかし、明け方に幻は消える。心の中によみがえるために、夜毎に生まれ、そして夜明けに死んでゆく。血潮(Sangue)
炎のように燃え上がるが、炎ではない。時には熱にうかされ、激しく燃えるような激情の熱となる。 無気力はそれを沈滞に変えてしまう。お前が敗れるか死ねば、冷たくなる。 お前が勝利を夢見るならば、燃え上がる。それには、お前が心をときめかし耳を傾ける声があり、夕暮れの太陽に似た輝きがある。トゥーランドット(Turandot)
お前に火を与える氷で、お前の火からより冷たいものを取り出す。白くて黒いもの。 もしお前を自由にしたければ、お前をもっと隷属させ、もしお前を奴隷として受け入れるならば、お前を王とする!
最後に第2次世界大戦後のトゥーランドットに関連した書かれた2つの作品に簡単に触れておきたい。 まずブレヒト(1898〜1956)の『トゥーランドットまたは潔白証明者会議 (Turandot oder Der Kongreß der Weißwäscher)』(1953〜4)であるが、「真理を述べることにより知識人たちの立つ経済的土台が危機に陥る時は、知識人たちは weißwaschen して(黒を白と言いくるめて)嘘をつかざるをえない。(中略) 『トゥーランドット』は「知性の濫用」をテーマとする。(中略) 現実を変革することの出来ない非実践的思考が、インテリ達のトゥーランドット姫を獲得するための滑稽な演説に濫用され、インテリは人々の信頼を失い、ギャングの暴力によって逮捕され、処刑され、また追放される」(注14)といった内容で、従来の気品ある姫のイメージがまったく欠けたトゥーランドットであり、いささか滑稽な感じのする戯曲である。 もう1つ、ヒルデスハイマー(1916〜91)の『龍の玉座(Der Drachenthron)』(1955)でもトゥーランドットが登場するようだが、「『龍の玉座』に登場する王子は、トゥーランドット姫の難問の数々をよどみなく答えて求婚試験に合格しても、国家権力を握ろうとはしない。 やがて、じつは結婚詐欺であることが判明する。詐欺師こそ最高の知識人なのだ。この事実は、権力のみ大上段に振りかぶって演説ひとつできない本物の王子の登場によって、はっきり裏付けられている」(注15)といった内容を持つようで、いずれも、インテリや知識人の問題を扱う方便として、伝統的なトゥーランドットの物語が利用されているようである。 戦後のトゥーランドット物語の扱いについても、今後のトゥーランドット研究の課題になるであろう。
(1) Gaertner, M. Über das Rätsel. In : Programmheft der Bayerischen Staatsoper, Puccini : Turandot. 1987, S.44.
(2) Lüthi, M. Es war einmal. Vom Wesen des Volksmärchens. Göttingen,1962/19775. S.90-102.
(3) カーナ,M 『プッチーニ』下 加納泰訳 音楽之友社, 1968年, 234頁。
(4) 高崎保男「プッチーニ : 歌劇《トゥーランドット》」 ポリグラム【カラヤン盤CD, レヴァイン版LD】など。
(5) ニザーミー『七王妃物語』黒柳恒男訳, 東洋文庫191, 平凡社, 1971年, 157〜174頁。
(6) 『千一夜物語 W』世界古典文学体系第34巻, 筑摩書房, 1970年, 113頁及び47頁。
(7) Lüthi, M. ebd. 102頁の文献表に das persische (Turandot) in Tausendundein Tag. Leipzig, 1925. との表記がある。なお引用は野村滋訳『昔話の本質』による。
(8) Christen, N. Am Epochenende des Belcanto. Giacomo Puccinis Schwanengesang 》Turandot《. In : Programmheft der Bayerischen Staatsoper, Puccini : Turandot. 1987, S.9.
(9) 岩倉具忠他『イタリア文学史』 東京大学出版会, 1985年, 218頁。
(10) R.シュトラウスのオペラ「影のない女」の創作にあたっても、ゴッツィの影響が指摘されている。 カイコバートとバラクという二人の人物の名前が、ゴッツィの「トゥーランドット」に登場していること。 「蛇女」とそれに基づくワーグナーの「妖精」におけるいくつかのモティーフ。例えば、妖精の娘が動物に変身すること、 その動物を将来の夫が狩りで射ること、石に変身させられることなど。 Borchmeyer, E. Romantischer Feenzauber und sizilianischer Karnaval - Wagners Debüt auf dem Musiktheater. In : Programmheft des Bayerischen Staatstheaters am Gärtnerplatz, Wagner : Die Feen. 1989, S.5. 参照。
(11) Rueter, G. "Nachwort" In : Gozzi, C. Turandot. Stuttgart, 1965, S.96.
(12) Kemp, I. "Preface" In : Hindemith, P. Synphonic Metamorphosis of Themes by Carl Maria von Weber for Orchestra. London, 1984. によると、ルソーの譜例の出典は次のものに拠るという。 Jean-Baptiste Du Halde, Description géographique, historique, chronologique, politique et physique de l'empire de la Chine et de la Tartarie Chinoise. Paris, 1735.
(13) ウェーバーとヒンデミットの両曲を1枚に収めたCDに次のものがある。 Weber, Turandot Overture and March. / Hindemith, Synphonic Metamorphosis. The Philharmonia. Neeme Järvi, conductor. Chandos CHAN8766(CD), 1989.
(14) 根本萌騰子「『トゥイ小説』と『トゥランドット』におけるブレヒトの知識人問題」『ドイツ文学』69, 1982, 301〜331頁。
(15) 丸山匠「ヒルデスハイマーについて」。ヒルデスハイマー『モーツァルトは誰だったのか』丸山匠訳【所収】【, 210頁】, 白水社, 1976年。
A. 物語のテクスト
ニザーミー『七王妃物語』 黒柳恒男訳, 東洋文庫191,平凡社, 1971年。
「九十九の晒首の下での問答」 佐藤正彰訳,『千一夜物語 W』世界古典文学体系第34巻, 筑摩書房, 1970年。 『千一夜物語 8』ちくま文庫, 1988年。
Gozzi, C. [Übertragen von P.G.Thun-Hohenstein] Turandot. Stuttgart : Reclam, 1965.
Schiller, F. Turandot. Stuttgart : Reclam, 1959/1987.
Busoni, F. Turandot. [Busoni Arlecchino/Turandot(CD) Vergin Classics, 1993.]
Adami, G./Simoni, R. Turandot. 坂本鉄男対訳, [Puccini Turandot(CD) ポリグラム, 1982.]
B. 研究文献
Borchmeyer, E. Romantischer Feenzauber und sizilianischer Karnaval - Wagners Debüt auf dem Musiktheater. In: Programmheft des Bayerischen Staatstheaters am Gärtnerplatz, Wagner : Die Feen. 1989. 1-9.
カーナ, モスコ 『プッチーニ』上・下 加納泰訳 音楽之友社, 1968年。
長木誠司 『前衛音楽の漂流者たち』 筑摩書房, 1993年。
--------, 『フェッルッチョ・ブゾーニ』 みすず書房, 1995年。
Christen, N. Am Epochenende des Belcanto. Giacomo Puccinis Schwanengesang 》Turandot《. In : Programmheft der Bayerischen Staatsoper, Puccini : Turandot. 1987. 8-18.
Gaertner, M. Über das Rätsel. In : Programmheft der Bayerischen Staatsoper, Puccini : Turandot. 1987. 37-52.
岩倉具忠他 『イタリア文学史』東京大学出版会, 1985年。
Kemp, I. Preface. Synphonic Metamorphosis of Themes by Carl Maria von Weber for Orchestra. London: Ernst Eulenburg, 1984.
Kloiber, R. Handbuch der Oper. Kassel: Bärenreiter, 1973/19855.
黒柳恒男 『ペルシア文芸思潮』 近藤出版社, 1977年。
Lüthi, M. Es war einmal. Vom Wesen des Volksmärchens. Göttingen: Vandenhoeck und Ruprecht, 1962/19775.(邦訳:【リューティ,M.】『昔話の本質』野村滋訳,【福音館書店,1974年】ちくま学芸文庫,1994年。)
Rousseau, J.J. Dictionnaire de Musique. Tone II. OEuvres de J.J.Rousseau. Tone XV. Paris: Werdet et Lequien Fils, 1826.
山室静 『ギリシァ神話』 現代教養文庫, 1981年。