まずツィクルス・テーマですが、あなたにとって、フィルハーモニーの演奏会で文学的な側面を強調することは、どういう意味があるのですか?
「まず最初は、私の個人的な文学への関心がありました。より厳密に言えば、文学と音楽との間の関係に対してです。1993年の最初のヘルダーリン=ツィクルスは上首尾に終わりました。その後、ファウスト、古代ギリシア、シェークスピア、ビュヒナー/ベルクと取り組みました。それぞれの関連するコンサートは、聴衆から多大な共感を得ることができました。しかし、さらに私にとって重要なことがもう一つあります。それは、現在、ヨーロッパでベルリンほど多彩な文化都市は、他にはないということです。我々は、劇場、オペラ、バレエ、美術館、映画、文学などの個別のジャンルを、共通のプロジェクトで互いに連携させることができるのです。」今シーズンは「さすらい人」ですが、このアイディアはどうして生まれたのですか?
「1997年は、シューベルトの生誕100周年を祝いましたが、彼ほど《さすらい(Wanderschaft)》を音楽的に扱った作曲家は他にはいません。ただし、我々が注目したのは、このテーマがロマン派の文学や音楽によく見られるとはいえ、ロマン派だけにとどまらないということです。ドイツ文化史においても、極めて重要な役割を果たしています。さらに、私にとって重要な作曲家たちは、「さすらい」を人生の符丁と捉えていました。シューベルト、マーラー、ノーノ。私と親しかったノーノは、スペインのある修道院の壁に次のような碑文を見つけました。「さすらい人:道は存在しない。それを探さねばならない」 そして彼はこれを様々な作曲のモティーフにしました。この観念には私にも大いに心を動かされます。というのも、音楽家の存在とも直接結びつくからです。1998/99シーズンは、「愛の死」がテーマです。「トリスタンとイゾルデ」の演奏会形式上演が中心になります。このテーマに関連のある作品を、あまり有名でないものも含めて、数多く取り上げたいと思っています。」今シーズンのプログラムは、現代曲も目立ってますが、あなたの理想のプログラムとは?
「今シーズンの我々のプログラムと似たようなものです。私は古典派・ロマン派のレパートリーも指揮したいです。しかし、ヘンツェの交響曲第9番の初演のような同時代の作品も、プログラムの中で重要な地位を占めています。私が高く評価するヴォルフガング・リームは、今シーズンの我々の compeser in residence です。シューベルトとリームが一つのプログラムに含まれているような演奏会を、私は個人的には大変魅力的に感じます。」ベルリン以前に、ミラノ、ロンドン、ウィーンと住んでましたが、ベルリンでは何が気に入りましたか?
「注目すべきことは、文化活動がウィーンなどと比べ、かなり進歩的・前衛的であることです。ウィーンでは、もちろん文化のために、たくさんのことがなされていますが、新しいものを受け入れる点では、劇場であれ、音楽であれ、ここよりわずかです。それから、3つのオペラハウス、数多くのオーケストラを持った都市を、ベルリン以外にご存知ですか?」あなた個人の仕事の可能性については?
「オーケストラはその都市の鏡です。ベルリンの近代性と単刀直入さが、フィルハーモニカーの個性にも表われています。ここでは、新しいアイデアに対して、とても柔軟で開放的です。これまで我々が市政府に対し何かを提案すると、いつも耳を傾けてくれました。ウィーンではすべてが問題でした。最初は、いつも「不可能」と言われました。《ウィーン・モデルン》の企画もマーラー・ユーゲントオーケストラの結成も、膨大な戦いの末にやっと価値を認められるようになりました。」ダニエル・バレンボイムとは親密に交際していて、リンデン・オーパーとも共同作業をしています。この提携はさらに強化されますか?
「そうなるでしょう。1998年2月に「ファルスタッフ」を指揮しました。同様の企画を将来考えることもできます。バレンボイムも逆にもう長い間、定期的に我々の客演に来てくれています。」1966年から1989年までこのオーケストラには何度も客演していますが、現在の7年以上に及ぶ共同作業は、以前とは何が違いますか?
「私はこのオーケストラとの密接で協調的な仕事を大変喜んでいます。雰囲気は今日の方が親密で、集中力も高いです。我々は共同で一連の変革を決定しました。50人以上の若い優れた音楽家たちが、ここ数年で我々のオーケストラに入団したのです。伝統的で経験豊かな年長の音楽家たちとの交代は、響きばかりではなく、内部の共同作業の上でも新鮮なものへと改善をもたらしました。」伝説的なサウンドが、若返りで損なわれませんでしたか?
「そうは思いません。むしろその反対です。その豊かで美しい音は、オーケストラは今でも出せるのです。例えば、ブラームス、ブルックナーのようなロマン派の作曲家の演奏などで。しかし、今はそれ以外に、より直接的で多様なニュアンスのある響きも出せるのです。新しい音楽、またバロックの作曲家にも適しています。このオーケストラは、バロック、古典派、ロマン派、近・現代の間の響きを区別するようになったという点では、ここ数年で好ましい発展をとげたと、私は思います。」客演指揮者に、ホグウッド、アーノンクール、ノーリントン、ガーディナーのようなオリジナル主義の指揮者が増えています。これはオーケストラの希望ですか? またこうした仕事の痕跡に気づくことはありますか?
「オーケストラの希望と私の希望は、たいていの場合、一致します。インテンダントとも一緒に考えます。私自身は、オリジナル演奏のあらゆる面に精通している訳ではありませんが、多くのことは学びました。バロック音楽の解釈ばかりではなく、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの解釈でも、フレージング技法や響きのスリム化といった点で、成果をもたらしました。とはいえ、アーノンクールがブラームスを演奏したあとでも、オーケストラはまだ私の解釈にちゃんとついてきてくれます。」ミラノとウィーンでは、あなたはオペラ指揮者でした。ロンドンと今のベルリンではコンサート指揮者です。ベルリン・フィルとはザルツブルクでだけオペラを舞台上演しています。劇場音楽家としてのアバドを寂しくは思いませんか?
「いいえ、全然思いません。私はいつも音楽に愛情を感じており、室内楽であるか、交響楽作品であるか、オペラであるか、といったことは重要ではありません。もちろん、オペラは新たな視点を与えてくれます。いい演出家と仕事することは大好きです。1999年のザルツブルクで、ベルリン・フィル、演出家クラウス・ミヒャエル・グリューバーと「トリスタン」を上演するのを、大変楽しみにしています。しかし、フィルハーモニカーと1年に1つ以上のオペラをやるつもりはありません。先に触れたように、1998年にリンデン・オーパーで「ファルスタッフ」を指揮しました。エクサンプロヴァンスでは、来年の夏に、グスタフ・マーラー・ユーゲント室内オーケストラ、ペーター・ブルックの演出で「ドン・ジョバンニ」を上演します。私が決してオペラを抑制している訳ではないことは、おわかりいただけるでしょう。」絶対に指揮したくない作品はありますか?
「私のコンサートのプログラムで、一度でもレスピーギの作品を見つけたことがありますか?」あなたのようなスター指揮者にとって、「自由」とはどんな意味を持ちますか?
「私の自由とは、まず、自分の愛する音楽と携われるということです。しかし、私にとって、いわば別の世界もあります。私にはコンサート活動から離れることも必要です。都会から離れることです。一年に何週間かは、田舎で過ごします。スコアを勉強したり、庭や自然の中で仕事したりします。長時間の山の中での散策で憩いを見出し、自分自身に戻れるのです。こうした時間がなければ、私の仕事は不可能でしょう。」