Einladung zum Abonnement 2002. 2003 にみる団員の異動
1.Violine
ヴォルフガング・ヘルツフェルト (Wolfgang Herzfeld: 1937- ) が,定年で退団した。 ヘルツフェルトは,1963年,新しいフィルハーモニーのオープンする6週間前に入団したという。 なお,彼の父,フリードリヒ・ヘルツフェルトは,1940年から1943年まで,ベルリン・フィルの広報部長を務めた人で, 音楽書も数多く出版している。 日本で翻訳出版されたものでは,『ヘルベルト・フォン・カラヤン』(朝日出版社 1971年)などがある。 退団後は,父の出版した音楽書の改訂などを手がけるのではなかろうか。
Kontrabaß
1960年入団のロルフ・ランケ (Rolf Ranke: 1937- ) も定年で退団した。 1994年,大阪でのマーラー9番では,終楽章の後半,ランケがコントラバスを大きく揺さぶり始めたところから, クライマックスが見事な高揚を見せ始めたので,この白髪の紳士を尊敬していたのだが, ベルリン・フィルの黄金時代を支えた奏者が,また一人去ることになる。
管楽器
この項については,私よりも詳しい方がたくさんいるので,簡単に触れることにする。
フルートのエマニュエル・パユ (Emmanuel Pahud: 1970- ) が,2002年4月に復帰。
ホルンのラデク・バボラク (Radek Baborak:1976- ) が,ソロで加入。
一方,トランペットで,インディアナ生まれ 1982年入団のロバート・プラット (Robert Platt: 1937- ) が,定年で退団。
2002年3月までの情報 (イースター音楽祭プログラムによる)
Bratsche
前年の春より,ヴィオラの第1ソロに昇格していた ダヌータ・ヴァスキーヴィツ (Danuta Waskiewicz: 1973- ) が、 またトゥッティに戻っている。 私としては,彼女がトップに座って懸命に弾いている姿に好印象を受けていたので,少々残念ではある。
Flöte
どうしたわけか,ピッコロ兼務の名手 ハンス・ヴォルフガング・デュンシェーデ (Hans Wolfgang Dünschede: 1949- ) の名前がなくなっている。 どこかの音大の教授にでもなったのであろうか。
Posaune
オラフ・オットのソロ昇格で空席になっていたトロンボーンに,シュテファン・シュルツ (Stefan Schulz) が加わっている。 ただし,残念ながら,翌シーズンから彼の名前が消えて,また空席になっている。
Vorschau 2001/02 にみる団員の異動
2.Violinen
女性が2名入団している。 ベッティーナ・サルトリウス(Bettina Sartorius: 1970- )と ラヘル・シェトマン(Rachel Schettmann: 1975- )である。 スイス人のベッティーナ女史は、2001年2月に入団するまでは、 カメラータ・ベルンなどで活躍していた。 ラヘル女史は、2001年3月に入団するまでは、ソリストや室内楽で 活躍していたようで、ハイドンとショスタコーヴィチのピアノ・トリオの レコーディングもあるとのこと。
Bratschen
1999年11月に入団していたダヌータ・ヴァスキーヴィツ(Danuta Waskiewicz: 1973- )が、 今年の春より第1ソロに昇格している。 また、以前から入団が決まっていた清水直子さん(1968- )が、2001年2月より、ソロ・ヴィオラ奏者として活躍を始めており、今後の活躍が期待される。 ヴィオラは、最前列の1プルトにこの女性2名が座って演奏する機会も目にするようになった。
その一方で、土屋邦夫氏(1933- )が、1959年以来42年間の活動を終え、 昨シーズンで退団とのこと。 これまでの長年のご活躍に敬意を表するとともに、今後は著作・写真集出版などにも、 精力的に取り組んでいただくよう、期待したい。
Kontrabass
1967年に入団したマンフレート・デュパク(Manfred Dupak: 1936-)が、停年のため、昨シーズンを最後に退団した。 今秋より後任として、ポーランド人のヤヌス・ヴィジク(Janusz Widzyk: 1973-)が 入団している。 最近まで、北ドイツ放送響のソロ奏者を務めていたようである。
Oboe
1980年以来、ソロ・オーボエ奏者として活躍していたシェレンベルガー(Hansjörg Schellenberger: 1948- )が、昨シーズンで退団している。 ソリストや指揮者としての活動を広げることや、マドリッドで教授職を務めることなどが、 退団理由の一つとのことだが、BPO関連のいくつかのアンサンブルでは、 今後も活動を続けるようである。
Horn
マンフレート・クリーア(Manfred Klier: 1935- )も、昨シーズンで退団した。 8本のホルンのための《ラインの黄金幻想曲》などのアレンジも残し、演奏・録音もしている。 バイロイト音楽祭では、《ニーベルングの指環》冒頭の《ラインの黄金》、出だしの低音の長い持続音のあと、最初に出てくるホルンのテーマ(8番ホルン)を、50回以上も吹いたとか。 最後のシーズンでも、マゼールの指揮と編曲による《指環》の抜粋で、 このパートを担当していることが、映像で確認できる。
なお、前回ご紹介したアメリカ人サラ女史の正式入団が、2001年9月とのことなので、 彼女がクリーアの後任なのだろうか。
オスヴァルト・フォーグラー(Oswald Vogler 1930〜)