雑  感
2002年11月


3週間ほど前,指揮者のサイン入りプログラム(ベルリン・フィル)の画像をアップしました。   http://raum-musik.net/signaturen.html

その節は,hirobou さんにご鑑定いただき,ありがとうございました。 今日,もう一つカラヤンのサイン入りプログラムを入手しましたので, 早速,アップしてみました(^_^)。 これが売りに出ていることは,1年以上前から知ってはいたのですが, 130ユーロもするので,購入を断念していたのでした。 しかし,いつの間にか売却済みになってしまっていたら,あとから後悔するかなと思い, 今回,思い切って,購入することにしたわけです。   http://raum-musik.net/19771026.html

ブリュッセルでの演奏会のものなので,フランス語とフラマン語と,両方で書かれています (1977年10月26日,ベートーヴェンの4番と7番)。 なお,サインのないプログラムも,いくつか入手していますので, Concolor さんのためにも,徐々にアップしていきたいと思っています。

(11月22日)

博識の方から指摘される前に,ちょっと書いておきます。
エーテボリ交響楽団のアンコール曲の作曲家シュテンハンマーは,日本ではもうステンハンマルで定着しているようですね。 で,曲名の《メランシュピール》,メリーゴーランドでもあるまいし,いったいどんな意味なのだろうかと思い, 「斉諧生音盤志」にあるステンハンマルの作品表を調べたのですが,そんな名前の曲はなし。 そこで web検索していろいろ調べてみると,どうやら,メランシュピールは Mellanspiel というスペルで, 「間奏曲」という意味のようです(スウェーデン語?)。 作品44の交響カンタータ「歌」の間奏曲なのでしょう (斉諧生氏によると「〈間奏曲〉が単独で出版されており、よく演奏される」とのことなので)。 たぶん,ドイツ語のできるスタッフの人が,アンコール曲の譜面を見て, シュテンハンマー《メランシュピール》と書いたのでしょうか。 このオーケストラのコンサート,このあと11月28日まで何回か予定されていますが, アンコール曲のお知らせ,これからもずっと 《メランシュピール》でいくのでしょうかね。 もし聞きに行かれる方がおられましたら,どうか教えてください。
(11月21日)

昨日,11月19日は,エーテボリ交響楽団日本公演の初日(高松)。 職場の厚生関係の経費で配布されたチケットなので,会場には,同僚が大勢。 スウェーデンの作曲家マルティンソンの《A.S.の追憶〜シェーンベルクの「浄夜」に寄せて》は, 「浄夜」に似た雰囲気の弦楽器だけの曲。続いて,グリーグのピアノ協奏曲(独奏は中村紘子)。 まあ,これはムード音楽みたいな曲なので,可もなく不可もなくか。

後半はマーラーの《巨人》。 とにかく,田舎でコントラバスが9本もある大編成のオーケストラが演奏してくれるだけでもありがたい(^_^)。 最後しか出番のない,5番トランペットと4番トロンボーンはさすがにカットかと思ったら, 最後の方で,ちゃんとステージの下手に登場して演奏に参加してくれるし。 というわけで,オケの性能も悪くないし,予定調和的な満足は,十分に得られた演奏会でした。 しかしまあ,それ以上の演奏会ではなかったのは,やはり指揮者のせいでしょうかね。 先日の岡山で聞いたフランクフルト放送響の指揮者ヒュー・ウォルフで感じた,ぞくぞくするような新鮮な驚きと感動は なかったですね。 ヤルヴィはどちらかというと,珍しいレパートリーの紹介で名をあげた指揮者ということもあるのか, スタンダードな曲では,あまり面白くないのかもしれませんね。 その証拠に、アンコールは大変に素晴らしかったのでした(^_^)。 終演後,出口に張り出された紙によると,1曲目はシュテンハンマーの《メランシュピール》。 2曲目はチャイコフスキーのバレエ《雪娘》より〈ダンス・オブ・ザ・バフンズ〉。 シュテンハンマーの曲は,おごそかな弦の合奏で始まり,ラッパのコラールへと引き継がれる崇高な感じの作品。 そして,チャイコフスキーの珍しいダンスでは,指揮台のヤルヴィはマーラー以上に生き生きと動き回っていて,この日最高の演奏。 どうせなら,最初から,こういう珍しい曲ばかりのプログラムにして欲しかったなぁと思ったのでした(^_^)。

(11月20日)

11月17日の日曜日は, 住宅地の中に忽然とそびえ立つ,大阪のカレッジ・オペラハウスに初見参。 日本のオペラハウスで,専属のオーケストラと合唱を持っているのはここだけらしいが, 地域に根付いた庶民的なオペラハウスという感じで,好印象を受けた。 演目は,ブゾーニの《トゥーランドット》。 プッチーニと違い,リュウが登場しない《トゥーランドット》ということで話題になるが, ゴッツィの原作ではもともとリュウは登場しないので, 今回の上演で,原作に近い雰囲気が味わえたのは収穫であった。 この珍しい作品を上演してくれたことに,心から感謝したい。

指揮の阪哲郎氏,本来なら2001年春に,ベルリンのコーミッシェ・オーパーでのヘンツェ《鹿の王》でお目にかかるはずだったのに,その時は歌手の都合で上演がキャンセルされたので,実演に接するのは今回が初めて。 ここのカレッジ・オペラハウスの水準が高く,オペラ慣れした感じの専属オケを, 巧みにリードして,なかなかの好演だったのではなかろうか。 (なお,「Ban友の会」による 阪哲郎ホームページには,阪さん自身が撮影した国内外の鉄道写真も 掲載されているのが,非常にうれしい ^_^)

冒頭の皇帝アルトゥムの前口上は,予習していたケント盤にはなかったので,意表をつかれたが,バルトークの《青ひげ公》の前口上のようなものなのだろう(レコーディングでは,よくカットされるという点でも)。 息子が処刑されることになったサマルカンドの皇后は,最初の方しか出番がないので, なかなか気合いが入っていたようだ。 この辺りの女声合唱は,演技(これまでに処刑された王子の首を吊るしたり)も含めて,非常に効果的で楽しめた。 (ちなみに,プログラムの解説で, 「カラフはティムールの子となっているが,史実のティムールは他ならぬサマルカンドに 都を置いていた。とすると皇后とカラフはどんな関係になるのか? このように理屈をこねてゆくとあちこちで疑問符が出てしまう」と書かれているが,ティムールというのは カラフの父の名前。 彼らの国は,原作によればノガイ族タタールで,アストラカンが都だから,別にそう問題ではないと思うのだが)

3つの謎の答えは,字幕では,〈知性〉〈道徳〉〈芸術〉だったと思うが, 2つめの謎は,ケント盤の英訳では fashion となっていたこともあり, 個人的には,少々違和感が残った。 ドイツ語の Sitte には,道徳という意味もあるようなので,間違いでは ないのだろうけど。 もっとも,この字幕は,なかなかありがたかったので,関係者のご努力には 敬意を表したいと思う。 第2場のトルファルディーノの長いアリエッタの歌詞までは, じっくり予習してなかったし。 (この歌での「去勢」の Kastrat とか,第3場のトゥーランドットのアリアでの 「純潔のままで死にたい」の unberührt とか,なるほどと勉強になった)

最後の第4場は, 葬送行進曲で始まるが(舞台裏のバンダも楽しめた), このオペラとしては,トゥーランドットのカラフへの最後の抵抗のための 演出ということなのであろう。 悲しい顔をしながら,突然,勝ち誇ったように「お前の名前を言おう」と 言い出すのだから。 しかし,この音楽を聞いてカラフは 「私はまだ生きている! この葬送曲は私のためのものではないのか?」 という台詞は,やはり原作に由来するのであろう。 原作では,アデルマがカラフから名前を聞き出そうと画策するとき, 「トゥーランドットはあなたを殺そうとしている」と嘘を言って, カラフを動揺させて,名前を聞き出すことになっているので。 (ちなみに,ブゾーニではこの部分はカットされ,アデルマは最初から カラフの名前を知っていることになっている) というようなことも,今回の上演のお陰で実感できたのであった。

なお,演出もよくやっていたとは思うが, 人形を使った意味がよくわからなかったのが残念。 私の理解力不足なのだろう。

(11月19日)

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