雑  感
1998年7月


7月に入り、10日前後で授業も終わり、例年ならそろそろ夏休みなのですが、今年から学年暦が変更になり、今まで9月にやっていた前期の期末試験が、今年は7月16日から月末まで。 この酷暑の中、エアコンもない教室で。 うーむ、ちゃんと乗り切れるかどうか。 どうも、ある役職についた人間って、自分の在任期間中に何か足跡を残したくなるのか、強引に新しいことを導入しようとする傾向があるようですね。 まあ、今日の選挙の時間延長などに関することは、よくわかりませんが。 オーケストラのインテンダントが変わって、意欲的に新趣向を凝らしてくれることは、なかなか評価できる場合もありますね。 ベルリン・フィルもヴァインガルテンがインテンダントになってから、ホームページを立ち上げたり、それにあわせてプログラムやブレッターの表紙の色も濃紺系に変更したり(ブレッターは内容的にも充実してきている感じ)。 ミュンヘン・フィルのプログラムも、チェリビダッケ時代のものからデザインが変わったようです。
(7月12日)

久々の更新(_ _)(^_^;)
更新しないといけないなとは思いながら、7月21日締切(本来はもっと前だったのですが^_^;)の原稿をまとめるの四苦八苦でした。やれやれといったところです。 もっとも、校正でまだいろいろ直さないといけないのですが(結局、また時間切れで提出したから)。 内容については、印刷ができた時点でご紹介して、希望者がもしおられましたら、差し上げたいと思っています。 今回は4月にパリで入手した資料も使ったのですが、読めないフランス語を理解するのが大変だったです。

さてとりあえず、最近の雑誌から、ベルリン・フィルに関するものを3つご紹介しておきます。

  1. 「ウィーン・フィル&ベルリン・フィル、いま一番知りたい"秘"情報!」『音楽の友1998/8』
  2. 「interview シュテファン・ドール」『パイパーズ1998/8』
  3. 大町陽一郎「思い出の名指揮者−−カラヤンとチェリビダーケ」『別冊レコード芸術1998』
これら以外にも、何か目にした方がおられましたら、ご教示願います。

1.は特集II.として大仰しい見出しの割には、分量は6頁。最近、ウィーンとベルリンの両方に復帰したマゼールのインタビュー、ウィーン・フィルのプログラム速報、安永徹のインタビューの3つ。 安永さんのインタビューは、やはり現場の人からの報告だけあって、読み応えがありますね。 指揮者については、カラヤンのオペラについては、前にも似たような話を読んだことがありますが、ヴァント、アーノンクール、クライバーの話なんかは特に面白かったです。 アーノンクールについては、私もザルツブルクでの報告(特にゲネプロ)をしたいと思っています。 マゼールのベルリン・フィル復帰については、他にもフリーペーパー"Mostly Classic 98/7 (Vol.16)"でも手短かに紹介されていて、「マゼールもベルリン・フィルの会員誌の最新号で、若い音楽家たちはとてもプロフェッショナルと語っているとか」と書かれています。 この会員誌というのは、このホームページでも紹介している「ブレッター」のことで、これも近々更新したいと思っています。 それにしても、この音友の特集、"秘"情報と言えるものなのかどうか(^_^)

2.はお馴染みホルン奏者ドールのインタビュー。これも面白い内容が満載。 フランクフルトを19才で受けた時、現在ウィーン・フィルのストランスキーとともに、「経験不足」で落とされたという話の他、ドールが入団した時のオーディションの最終選考には、昨年入団したマスクニティもいたという話も興味深かったですね。執念が実って、やっと入団できたというか。 さて、ドールの方は長らくフランクフルト市立歌劇場(国立というのは誤りでしょう)で活動しながら、バイロイトにも出演していたようです。 私の手許の1989年のバイロイト音楽祭の出演者全員の写真が載っているプログラムにも、ちゃんと名前と写真があります。 ザイフェルトが "Siegfried-Ruf" としてホルン奏者の中では、特別に最上段に名前が書かれていて、ドールはフランクフルト市立歌劇場管弦楽団の所属になっています。 それにしても、ザイフェルトの引退後は、誰がジークフリート=ルーフを吹くのでしょうね。

3.は往年の話ですが、実に要領よくまとめられていて、感心しました。 こういう実体験に基づく内容豊富な文章を読むと、フルトヴェングラーでも、チェリビダッケでも、カラヤンでも、下手な評論家の文章は読む気がしなくなります。 大町さん、ちゃんとチェリビダッケの墓がパリ南方のヌヴィーユ・シュール・エソンヌにあることまで押さえているんですね。 実はこのお墓、私も昨年春に見に行ったことがあるのですが、墓石にチェリビダッケでなく、チェレビダッキと書かれてあって、不思議に思っていたのです。この文章でやっと初めて理由がわかりました。 1957年、ベルリン・フィル初来日の広島でのカラヤンの記者会見というのも、凄かったようですね。 原爆都市云々という大上段からの質問、日本人は相変わらず、そんなことにばかりこだわっていたようで。 しかし、ナチ党番号は?と食ってかかった記者もいたとか。 こういう記者根性、もっと政治家とか官僚に向けてもらいたかったのですが。 (確か、曖昧になった疑獄事件とか、結構あったのだろうと思うし。まあ、今もまだそうですね。)

何はともあれ、ここをご覧になって下さる方なら、もうご存知のことばかりかと思いますが、ちょっとまとめてみました。

(7月23日)

今朝BSで放送された、ケンペ/ロイヤル・フィルの「英雄の生涯」、なかなか味のある演奏でよかったですね。 オケの響きは脂肪分が少ないというか、まあ、独墺圏のオケとは違う英国風なのでしょうけど、それも一つの演奏スタイルで、別に不満は感じませんでした。 とにかく、指揮者のシュトラウスの曲に対する慈愛に満ちた指揮ぶりを堪能しました。 この曲では、ベーム/ウィーン・フィルのLDと並んで、貴重な記録といえるでしょう。 (カラヤン/ベルリン・フィルも、あんな編集映像でない、きちんとしたライブ録画があれば最高だったのですがね。) ただ、残念だったのは、カメラ・アングル。ほとんど指揮者と個々の奏者のアップが中心。 まあ、集団では、弦センクション、管セクション、打楽器もちょこっと写ったぐらい。 とにかく、オケの全景がまったく写らないのですね。 オーケストラというのは、弦と管と打が一体となった素晴らしい芸術なのに、どうして まとめて写すことをためらうのか(たまにN響なんか見ても思いますが)。 まあ、最大の理由としては、一つのカメラアングルに別のカメラが写らないようにする、というのがあるのでしょうが、普通の映画じゃあるまいし、こんな制約によって失われものも多いと思います。 この演奏は、コントラバスを客席から見て左後方に配置するスタイルでしたから、正面からオケをきちんと写してくれる映像も見たかったのですが、そういうアングルは皆無でした。 とにかく、懲り過ぎないで、普通にやって欲しいのですがね。 チェリビダッケの苦言は、すっかり忘れられてしまったのでしょうか。
(7月24日)

原稿提出も一段落し、やっとじっくり更新できるかと思ったのもつかの間、月末のオペラ講座の準備、それと今週で終わる期末試験の採点(特に、今年から新しく担当することになった「文化記号論」という科目の答案が300枚以上。毎回の授業の出席者は、だいたいその3分の1程度だったのですが)、本格的な更新は8月以降になりそうです(_ _)。

昨日は、この秋の第九の練習に初めて行ってきました。 第4楽章だけは、以前叩いたことがあるので(カーネギーホールで ^_^;)、第1楽章と第2楽章を叩いてみたかったのですが、昨日は第3楽章と第4楽章だけしかやらず、少々残念でした。とはいえ、第4楽章の出だしは、やはりまだまだ難しいですね。 あと次回の練習は8月下旬のようです。 今回は、ソプラノで小濱妙美さん(この欄でも前に触れたことがある方ですが、香川出身で、昨年秋の新国立劇場の「ローエングリン」でエルザを歌った。私はドイツのブラウンシュバイクで「タンホイザー」のエリーザベトを聞いたこともある)が出演するので、やりがいもあります。 指揮者は田中一嘉氏。この指揮者が来ての初練習が10月17日にあり、これは休めないとすると、ベルリン・フィルの来日公演を聞ける日程も限られてきますね。 何となく、今年は聞きに行けなくてもいいかな、などと少々弱気になっています(^_^)

(7月27日)

昨日、帰宅したら届いていた郵便物から(^_^)

日本打楽器協会のページを見ていたら、 最新の機関紙に、東京都交響楽団の安藤芳広さんの海外便りが載っていて、内容は「98年度アフィニス海外研修員に選ばれ、昨年12月より1年間の海外生活をすることになった安藤芳広。 ベルリンで家族と迎えたはじめてのクリスマスやライナー・ゼーガース氏のレッスン等の中で感じた驚きや感動を伝える」とのこと。 そこで、これを読むために(^_^;)、オンラインで入会申込みをしていたのですが、この機関紙が規約などと一緒に届いていました。 で、この文章の内容は、ベルリンでの最初の頃の苦労話が多いのですが、ベルリン・フィルやゼーガースについては、次のように書かれています。 「Berliner Philharmonisches Orchester の Pauker であるライナー・ゼーガース氏のレッスン及びオーケストラの練習の見学が主な研修となっていますが、本当に皆が自然に雄大に、しかも楽しんで音楽に接している姿が強く印象に残ります。 しかしレッスンでは、楽譜の分析は細部にわたり、テクニックへの指摘と共に、うなずかされる事ばかり。」  あと、これ以上は特にレッスンの細かい内容なども載っていないのが残念ですが、まあ、「自然で雄大で楽しく」というのは、やはり”言い得て妙”といったところでしょうか。

ここの大学は、昨年末にドイツのヴィースバーデン大学と学術交流協定を結び、この春から学生交換も始りました。 向こうに行った学生からの絵葉書が届いていて、どうやら、ベルリンのヴァルトビューネの野外演奏会(本人の表現では、ピクニックコンサート)にも行ったようで、チケットも簡単に手に入り、だいぶ満足してきた様子。今年は2日間開催されたから、入手しやすかったのでしょうか。 ちなみに、ヴィースバーデンは、私も一度だけ、89年6月にウルフ・シルマー指揮の「サムソンとデリラ」を聞きに行ったことがあるのですが、バッカナーレの白熱した演奏や踊りは、未だに記憶に残っています。 そして、あと特に素晴らしかったのが、ロビーでのワイン(^_^;)。この辺りのラインガウ地方の名産の美味しいワインだけを飲ませるテーブルが出ていて、なかなかの雰囲気でした。 たぶん、ヨーロッパのオペラハウスの中で、一番ワインが美味しい劇場ではないかと思うのですが。 もし、これから大学に入学して、ドイツに行きたいと思っている方がいましたら、ここに来るのも一つの手です(^_^)。また周囲におられましたら、お勧め下さい(^_^)

(7月28日)

読売日本交響楽団は、7月22日に東京芸術劇場でラザレフ指揮でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(独奏:迫昭嘉)とラフマニノフの交響曲第2番を演奏したあと、7月23日から29日までの一週間に、同じ曲目による6回もの地方公演(静岡、甲府、名古屋、大阪、高松、松山)。 本当にご苦労様でした。 私は28日の高松公演を聞いたのですが、指揮者がよかったせいか、予想以上に充実した演奏で、大いに楽しませてもらいました。 厚みという点ではイギリス風な薄味な感じながらも、ロシア風な馬力を感じさせてくれるところもあり、なかなかの力演でした。 プログラムとして、月刊オーケストラという冊子が無料で配られ、上旬にインバル指揮で演奏したブルックナー第8交響曲(第1稿)の解説などが一緒に載っていたのも(特に金子健志氏のものなど)、有り難かったです。 私は一番安い3階の最後部の席(\2,000)で聞いていたのですが、集客には苦労したのではないかと思います。 そこそこ埋まってはいたようですが、直前にたぶんチケットをばらまいたりしたのではないでしょうか。 ところで、今回、読売新聞以外のマスコミは、どこの新聞もこの演奏会の案内は載せていなかったようです。 せっかく東京からオケが来てくれて、手抜きでない演奏を繰り広げてくれたのに、こうしたマスコミの縄張り意識というのか、敵対意識というのか、地方での数少ないプロオケの演奏会が紹介されないのは、アンチ読売(^_^;)の私としても、実に残念に思います。 なお、ラザレフは72年のカラヤン・コンクールで優勝した人だとか。 前年の71年に優勝したヤンソンスといい、なかなかいい調子で活躍してくれるのは、頼もしいことです(^_^)
(7月30日)

やれやれ、今月もやっと終了です。私としては、ずいぶん長い一ヶ月だったような。

さて、来週はFMでベルリン・フィルの特集がありますね。 私はいつもながら、全部をじっくり聞く訳ではないと思いますが、8月7日(金)のヤンソンスの「アルペン」だけは、このあとのザルツブルクでの演奏を聞いたこともあり、しっかり録音するつもりです。 と思ったら、この日の午後は、仙台の実家に行くので、携帯用のDATを持っていって、これで録音するしかなさそう。 ちなみに、翌日8日(土)は上京して、日中は Niftyserve の演奏オフに参加し、夜は3月にベルリンでマーラー3番を聞いた PC-VAN の方々と飲むことになっています(^_^)。 その翌日9日(日)は、まだ未定なのですが、ブルックナー8番の演奏会を聞くというのもいいかなと思っています。 もし、会場で見かけたら、声をかけて下さい、と言っても、わかりませんよね(^_^;)。

その後、上京するとしたら、10月18日(ブルックナー5番)、19日(マーラー3番)に行けるといいのですが、こればかりは、どうなるかわかりませんね(^_^;)。 どうか愛の手を!!!。

(7月31日)

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