翌9日(日)は、まず田原町のJPC(ジャパン・パーカッション・センター)で秋の第9で使用する新しいマレット(ばち)を購入。 それと、ついでにベルリン・フィルのゼーガースやN響の久保さんなどが使用しているドイツのコルベルク社製のマレットスタンド(ばちを縦に並べておくやつ)を注文。 価格を聞いてみると、5万円もするそうで、少々迷ったのですが、以前から欲しかったので、思い切って購入を決意しました(^_^;)。 秋までには届くことでしょう。 その後は、銀座でヤマハと山野楽器に寄っただけで、中野での東京フルトヴェングラー研究会管弦楽団の演奏会に足を運びました(午後2時開演)。 中野駅でカレーと一緒に、生ビールまで飲んだせいか、第1楽章途中から第3楽章が始まる頃まで、かなり睡魔に襲われてしまいましたが、周囲を見回すと、結構、そういう方も目立ちましたね(^_^;)。 ティンパニを演奏されていた方が、アマオケでは珍しく(?)、かなりご年輩の方だったのですが、プログラムを見ると、この方がこのオケの団長さんのようで、気合いも入っていて、なかなか感心しました。 どういう方なのかなと、ちょっと興味を覚えました(^_^)。
ブルックナー8番は、オケ全体での強奏が厚みのある充実した響きを出していたのには感心しました。 これは、管楽器に上手い人が揃っていたからでしょうか(高名なフォルカーさんの勇姿も確認できました)。 弦を中心とする弱音部については、触れないでおきましょう(^_^)。 指揮者自身による改訂版での演奏ということで、第3楽章のシンバル2発が2発目の1回だけに減らされたりしていました(ちなみにこのシンバル、チェリビダッケの演奏では、1発目と2発目とで楽器を変えていて、私としては、この時のインパクトの方が未だに大きいのですが)。 第4楽章も、いろいろ改変はあったようで、シンバルが通常の改訂版とは違う個所で、しかも2個所鳴らされるとか、トランペットのパートなんかが目立っていたでしょうか。 まあ、あとは、改訂というより、一つの演奏解釈と考えていいのではという感じもしました。 スコアが手許にないので、詳細に書けないのが残念ですが、第4楽章冒頭部で、ティンパニのかっこいいフレーズを間に挟んで、金管が勇壮なテーマを2回吹き鳴らし、その直後のティンパニのトレモロのディミヌエンド、これを逆にクレッシェンドにして次のフォルテッシモに持っていくやり方、 これはベイヌムとハイティンクのコンセルトヘボウでの演奏のやり方の踏襲といった感じでしたし (ちなみに、ハイティンクもウィーン・フィルとの最新録音では、これはやっていないそうです)。 その少しあと、ダン・ダン・ダン・ダンと繰り返し叩かれるティンパニにのってオケ全体が強奏するようなところなど、最初から強い音を出さずに、徐々に音量のレベルを上げていくというやり方で、後半も同様な個所がありましたが、こういう解釈があっても悪くないなという印象を受けました。 終演後は、新宿に戻り、前日に引き続いてK氏にご足労願い、この日の朝にザルツブルクから戻ってきたばかりという tujimoto さん(私は初対面)を迎えて、音楽祭のプログラムなど見せていただきながら、最新の音楽祭の情報などを伺って、これまたあっという間に時間が過ぎてしましました。ということで、充実した2日間の東京滞在でした(^_^)。 まあ、ゆっくりCD屋巡りをする時間がなかったのが心残りですが、仙台にもタワーレコードなどはあるので、こちらで物色することにしたいと思っています。
春の旅行では、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を、初演された劇場であるオペラ・コミックで見るためにまずパリに滞在し(4月6〜8日)、それからウィーンへ飛びました(4月9日)。 ウィーンでは、1000シリングと500シリングが新札に変わっていて、4月20日からは前年の紙幣は街中では使えなくなるということで、少々焦りました(もちろん中央銀行の本支店では、何十年間だったかは両替できるので、旧札をお持ちの方はご安心を)。 晩は、話題の「リエンツィ」を観劇しました。 指揮はメータがキャンセルし、年末年始の上演では合唱指揮者として名前の挙がっていた Dunschirn という人が振りましたが(急遽、代役で振れる人が他に見つからなかったのでしょうか)、これがなかなかの大当たりでした。 というか、もちろん丁寧で手堅い指揮に終始してましたが、オケがこの窮地にちゃんと本領を発揮してくれた感じでした。あるいは演奏しやすかったのか (これに比べると、15日の「サロメ」は、木管にはシュルツ、シュミードル、ヴェルバも揃っていたのに、何という低調な演奏だったことか)。 金管は後期のワーグナーのような深みのある響きではないにせよ、序曲から最後まで立派な演奏で十分に堪能させてくれました(4Hr, 4Trp. 3Trb. 1Tub.)。 ホルンはワーグナーには欠かせない?眼鏡のホルヴァート(89年のミュンヘンでの「神々の黄昏」にまで遠征していた)が4番で、残り3人の若手と好対照でした。 弦楽器は序曲の冒頭部の有名なテーマから、ウルウルさせてくれるような音楽を聞かせてくれて大満足。 小太鼓はメインが薄いシルバー(ティンパニの横)、もう1台はその背後で、胴の長い青っぽい色のまるで子供の鼓笛隊用みたいな感じの楽器で、なかなか味のある音でした。 もちろんどちらもスタンドではなく、椅子の上に置かれているのは相変わらず(^_^)。 演出は、日本では不評ばかりが伝えられていますが、前年に見た「神々の黄昏」より100倍以上は面白く、大いに楽しませてもらいました。 Rマークの入ったシャツを着た若者たちの戦勝記念パーティーなど、楽しいではありませんか(^_^)。
さて翌日10日からはザルツブルクです。 まだホテルも決まっていないという状態(^_^;)。 実は直前にいろいろファックスなどで問い合わせたのですが、音楽祭期間中だけあって、便利で手頃なところは、どこも満室。 それはさておき、この日は午前11時から、モーツァルテウムでBPOの室内楽シリーズのコントラプンクテがあり、しかもその中には、ティンパニのゼーガースも出演するバルトーク「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」も含まれているのです。 これを逃す手はない!ということで、朝は午前5時前には起床し、ウィーン西駅5時50分発の列車でザルツブルクに向かい、8時55分に到着しました。 まだ返答がなかった旧市街のホテル・エレファントに駅からダメモトで電話してみると、4泊は無理だが、2泊ならOKとのこと。 やれやれということで、タクシーでホテルに直行。 荷物をフロントに預けてから、開演まで街中をブラブラ。 会場のモーツァルテムで当日券を購入。 100シリングと申し訳ないような入場料の上、相変わらずの楽勝(そう超満員ではないということ)。 全部のプログラムはあとでまとめる時に書くことにして、休憩前ではグヴァイドリーナの曲が印象に残っています。 3本のトロンボーン、3人の打楽器奏者、あとハープと鍵盤楽器のための20分くらいの曲。 前半はトロンボーン奏者が指揮をして、ゼーガースがスタンド・シンバルをトライアングルの撥でこすったりしながら曲が進んでいくのですが、後半に入って、トロンボーンがコラールを吹き始めると、指揮がゼーガースに変わり、右手で指揮をしながら、左手でトライアングルの撥でシンバルをこするという、なかなかの妙技で魅せてくれました(^_^)。 一番最後のバルトークは、ティンパニを中心に演奏するゼーガースも、スネアや鍵盤打楽器を中心に演奏するシンドルベックも唖然とする上手さ。 客席も大いに沸いて、拍手もなかなか止まず、終楽章の後半をアンコールして終わりました。 もちろんこれら以外にも何曲か演奏されました。
この日はあと夕方まで一眠りして、18時30分からアバド指揮のマーラー交響曲第3番。 今回は2階のど真ん中の席(Reihe 5, Sitz 17)で、眺めは抜群なのですが、少々落ち着かないような?贅沢な気分(^_^;) この日はステージ上に吊るされたマイクが、他の日よりも目立っていたようで、2階席からだと、ちょっと邪魔な感じ(もっとも、CSでの放送は残念ながら聞いていないのですが)。 弦楽器の編成は 18-16-14-12-10 という大き目ながら、出てくる音が薄味というのは相変わらず。 トップの布陣は 安永/スタブラヴァ(1.Vn.)、タウビッツ(2.Vn.)、レーザ(Vla.)、ファウスト/クヴァント(Vc.)、シュトル/ヴァッツェル(Kb.)。 木管は、パユ(Fl.)、シェレンベルガー(Ob.)、フックス(Cl.)、ダミアーノ(Fg.)、金管は、マスクニティ(Hr.)、クレッツァー(Trp.)、アルント(Trb.)。 演奏は、第1楽章から淡々と進んでいったように思います。 シンバルは冒頭部は2人、再現部は3人で叩いていましたが、左の人から右の人にかけて、楽器のサイズが段々と大きくなっているのも見物でした。 40分にも及ぶ長い第1楽章の演奏、アバド/BPOの演奏を楽しんだという記憶はあるのですが、あまり強い印象が残っていないというのも事実です(_ _)。 同時にまた、「自然」を謳歌するこの曲の自然の流れに乗った演奏に、不満を覚えることがなかったのも事実です(^_^;)。 第2楽章と第3楽章は続けて演奏されましたが、第3楽章のポストホルン(たぶんエキストラ)もなかなか見事。 ちなみに、この曲はザルツブルク郊外の湖のほとりで作曲されたせいか、ザルツブルクでこのポストホルンを聞くと、なかなか気分が出ます(^_^)。 この日の演奏、やはり圧巻は終楽章でした。 何といっても、このオケの弦楽器は素晴らしいです。 特に最後の方では、コントラバスが楽器を大きくゆらしながらの熱演で(指揮者にお構いなしに?)オケ全体を主導し、日本公演でのマーラー9番の終楽章を彷彿させるような迫真の演奏となりました。 終演後もすぐには拍手が起きず、10秒後くらいに起きた拍手もすぐ止み、しばらくしてからやっと盛大な拍手となったのでした。 いずれにせよ、重厚で厚みのある演奏ではないのですが、それが不満となるような曲ではなかったのが、このコンビにはよかったのでしょうか。 最後は、自然への畏敬を感じさせる演奏になっていたと思います。
それにしても、この時期のザルツブルクは寒く、翌4月11日は、朝起きたら、風邪をひいていたようです。 それでも頑張って、まず午前9時半からのモーツァルテウムでの「ボリス」の解説を聞きに行きました(講師は昨年までと同じパーレン爺さん)。 そして、11時半からは祝祭大劇場で、復活祭音楽祭恒例の後援者向け公開プローベ。 これは、音楽祭の入場料が高額なので(年会費も含めると、4日間で10万円以上)、それへの謝意の意味で、カラヤン時代から伝統的に開催されているもの。 これは、普通はその時の芸術監督が登場し、観客(後援者)に簡単な挨拶をしてから始めるものと思っていたのですが、何とこの日は、驚いたことに、アーノンクールが登場。 もちろん、前半チクルスの公開プローベでは、アバドが登場してその日の晩のマーラー3番を演奏したようですが、後半チクルスではもうマーラー3番は演奏済み。 アバドは最終日の「ボリス」の指揮を残すのみ。 昨年の場合は、その後ウィーンで演奏するブラームス(4番)を取り上げるという、超ウルトラCがあったのですが、今年はそういう予定もないので、どうなるのだろうと思っていた訳ですが、結局、アーノンクールに任されたようです。 任せられたアーノンクールはというと、それはそれは大張り切りで、晩に演奏する「英雄」の大講釈となったのでした(^_^)。
しかし、それにしても、この日のオケの弦楽器はツヤのある、まさにBPOサウンド。 前日より少ない編成(12-10-8-6-5)なのに、あらあら不思議!という印象でした (ちなみに、午後のコントラプンクテに出演するカルテットのメンバーが抜けていたので、プローベ時の実際は10-10-7-6-5)。 できるなら、この響きにずっと浸っていたかったものの(もっとも、晩の本番はそれほどでもなかった。昼はリラックスしていたからか?)、通して演奏するアバドとは違って、アーノンクールは、話をすることに生きがいを見出しているようで、BPOには学生オケのように分奏もさせたりもしながらの熱弁。 もったいないなと思いながら聞きました。 なお、オケの配置はヴァイオリンを両翼に配する配置。 第1ヴァイオリンの先頭はスタブラヴァとブラッハー、管楽器のトップは、ブラウ(Fl.)、マイアー(Ob.)、トーマス(Cl.)、ダミアーノ(Fg.)、ドール(Hr.)、グロート(Trp.)。 ティンパニの新人のヴェルツェルは、初見聞でした。
アーノンクールの話は、マイクを持ったり、持たなかったり、2階席からだと聞き取りにくい部分も多かったのですが(いずれにせよ、どの程度内容を理解できたか自信がありませんが^_^;)、 理解した範囲で(誤解も含めて)勝手にまとめておきます。 「音楽に関しては、古くからの論争がある。 それは、音楽には内容(Inhalt)があるかどうかという問題である。 例えば、シュトラウスの交響詩とブラームスの交響曲の対立を思い起こしていただきたい」 というのが話の出発点。 ハイドンも内容を認めていた形跡があるようで、ベートーヴェンでもそれを認めるとのことのよう。 英雄交響曲では、トランペットで朗々と鳴らされる堂々とした英雄のテーマは、変ホ長調であるのも興味深い。 提示部は戦いに出ようとする英雄と、それを押しとどめようとする妻との対立。 妻との別れ(Abschied)を表わす。 木管楽器の受け渡しによる部分などは、妻の悲しみの反応とか (この話は、確か、アーノンクールのLDにもあったような)。 展開部は、英雄の戦い(Kampf)。 その後の再現部は、4小節前の有名な突然のホルン・ソロについて、あれこれ言及(再現部は4小節早い?)。 コーダは英雄の勝利の帰郷。最後の有名なトランペットの個所(655小節〜)は、オリジナルと修正した演奏と両方演奏させたものの、アーノンクールは当然、オリジナル主義。 ここは、楽器ではなく、内容・内実(Inhalt)が問題。 オリジナルは霧に包まれている感じでいい。 こうした話の合間に、提示部、展開部、再現部、コーダなどが、細切れで実際に演奏された訳ですが、第1楽章だけで大半の時間が過ぎ、第2楽章はちょっとだけ。 冒頭のメトロノーム云々の話は、よく理解できませんでしたが、中間部の69小節からの部分、葬列を立って見ている3人の人間の嘆きであると、かなり力説していました。 3人の人間は、オーボエ、フルート、ファゴットで示されるテーマのようです。 こうして、第2楽章までの解説と実演を終えたところで、1時間以上が過ぎ、お開きとなりました。 晩の前半に演奏される「プロメテウス」との関係なども聞きたかったのですが、残念ながら終楽章までは行きませんでした。
岩下眞好さんという方が、よく音楽誌に書かれていますが、高校は私の先輩のようですね。 以前、音楽之友社で出た「カラヤン」という雑誌に、高校入学した年に仙台にカラヤン/BPOが来て、入学祝いに聞きにいかせてもらったと書かれていたので、ひょっとしたらとは思ったのですが。 昨年春だったか、ザルツブルクでお見かけしたことはありますが、面識はないので、お話したことは、もちろんまだありません。
私のオケ活動についてですが、そこに載せたように、継続してずっとやっていた訳ではなく、断続的にぼちぼち続けてきたに過ぎません。 その中で、山形フィルのホームページが充実しているのは、うれしいことでした。 ワイングラス型ティンパニの写真が載っていて、これはもう現在は使われていないようですが、私の在団中は、これをよく使用していたのでした。 いやはや、懐かしい!!!(^_^) 山フィル演奏会の軌跡(1980−1984)の1980年11月1日の第20回定期演奏会、 写真2で渡辺暁雄さんの指揮するチャイコフスキー第5交響曲の演奏風景が写ってますが、 そこの左端でこのワイングラス型ティンパニを叩いているのが私です(姿が半分切れてるのが残念ですが ^_^;)。 本当は、山形大学教育学部の特設音楽科(三宅幸夫などがいる)が所有するラディックのティンパニを使いたかったのですが、陰険なことに、貸してくれなかったのですね。 いやはや、参りました。
ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルというと、1975年5月、まだ高校生だった頃、仙台で実演を聞いたことがあります。 モーツァルトの39番とチャイコフスキーの「悲愴」。 勲章をつけた孤高な感じ指揮者が、演奏後は主に(私も座っていた)3階席の方を見上げて答礼をしていた姿が印象に残っています。 演奏では、左後方に並んだコントラバスの「悲愴」での活躍が目立っていました。 バスクラリネット奏者は、あの一個所だけのために、座っていたように思います。 あと、一番インパクトの強かったのが、ティンパニのイワノフさん。 大オーケストラのティンパニ奏者は、こういう風に演奏するのかと、その後しばらく影響を受けました。 もっとも、その数年後、理想のティンパニ奏者の座は、1979年に普門館で見たフォーグラーが占めることになるのですが(^_^)。