この時期のザルツブルクはまだまだ寒く、4月11日は、朝起きたら、風邪をひいたような感じ。 それでも頑張って、まず午前9時半からのモーツァルテウムでの「ボリス」の解説を聞きに行く(講師は昨年までと同じパーレン爺さん)。
そして、11時半からは祝祭大劇場で、復活祭音楽祭恒例の後援者向け公開プローベ。 これは、音楽祭の入場料が高額なので(年会費も含めると、4日間で10万円以上する)、それへの謝意の意味で、カラヤン時代から伝統的に開催されている。 これは、その時の芸術監督が登場し、観客(後援者)に簡単な挨拶をしてから始めるものと思っていたのだが、何とこの日は、驚いたことに、アーノンクールが登場。 前半チクルスの公開プローベでは、アバドが登場して、その日の晩のマーラー3番を演奏したようだが、後半チクルスでは、もうマーラー3番は演奏済み。 アバドは最終日の「ボリス」を残すのみ。 昨年の場合は、その後ウィーンで演奏するブラームス(4番)を取り上げるという、超ウルトラCがあったが、今年はそういう予定もないので、どうなるのだろうと思っていた矢先、結局、アーノンクールに任されたようである。 任せられたアーノンクールはというと、それはそれは大張り切りで、晩に演奏する「英雄」の大講釈となった。
しかし、それにしても、この日のオケの弦楽器はツヤのある、まさにBPOサウンド。 前日より少ない編成(12-10-8-6-5)なのに、あらあら不思議!という印象(ちなみに、午後のコントラプンクテに出演するカルテットのメンバーが抜けていたので、プローベ時の実際は10-10-7-6-5)。 できるなら、この響きにずっと浸っていたかったものの(もっとも、晩の本番はそれほどでもなかった。昼はリラックスしていたから?)、通して演奏するアバドとは違って、アーノンクールは、話をすることに生きがいを見出しているようで、BPOには学生オケのように分奏させたりもしながらの熱弁。 もったいないなと思いながら拝聴。 なお、オケの配置はヴァイオリンを両翼に配する配置。 第1ヴァイオリンの先頭はスタブラヴァとブラッハー、管楽器のトップは、ブラウ(Fl.)、マイアー(Ob.)、トーマス(Cl.)、ダミアーノ(Fg.)、ドール(Hr.)、グロート(Trp.)。 ティンパニの新人のヴェルツェルは初見聞。
アーノンクールの話は、マイクを持ったり、持たなかったり、2階席からだと聞き取りにくい部分も多かったが、理解した範囲での(誤解も含めて)話の内容は次のようなもの。 「音楽に関しては、古くからの論争がある。それは、音楽には内容(Inhalt)があるかどうかという問題である。例えば、シュトラウスの交響詩とブラームスの交響曲の対立を思い起こしていただきたい」というのが話の出発点。 ハイドンも内容を認めていた形跡があり、ベートーヴェンでもそれを認めるとのことのよう。 英雄交響曲では、トランペットで朗々と鳴らされる堂々とした英雄のテーマは、変ホ長調であるのも興味深い。 提示部は戦いに出ようとする英雄と、それを押しとどめようとする妻との対立。 妻との別れ(Abschied)を表わす。 木管楽器の受け渡しによる部分などは、妻の悲しみの反応(この話は、確か、アーノンクールのLDにもあったような)。 展開部は、英雄の戦い(Kampf)。その後の再現部は、4小節前の有名な突然のホルン・ソロについて、あれこれ言及(再現部は4小節早い?)。 コーダは英雄の勝利の帰郷。最後の有名なトランペットの個所(655小節〜)は、オリジナルと修正した演奏と両方演奏させたものの、アーノンクールは当然、オリジナル主義。 ここは、楽器ではなく、内容・内実(Inhalt)が問題。オリジナルは霧に包まれている感じでいい。こうした話の合間に、提示部、展開部、再現部、コーダなどが、細切れで実際に演奏されたが、第1楽章だけで大半の時間が過ぎ、第2楽章はちょっとだけ。 冒頭のメトロノーム云々の話は、よく理解できなかったが、中間部の69小節からの部分、葬列を立って見ている3人の人間の嘆きであると、かなり力説していた。 3人の人間は、オーボエ、フルート、ファゴットで示されるテーマのよう。 こうして、第2楽章までの解説と実演を終えたところで、1時間以上が過ぎ、お開き。 晩の前半に演奏される「プロメテウス」との関係なども聞きたかったが、残念ながら終楽章までは行かずじまい。
このあとは、15時からモーツァルテウムでのコントラプンクテ。
Kontrapunkte VIBartok: Streichquartett Nr.4
Lutoslawski: Streichquartett
Prokofieff: Streichquartett Nr.2
Schostakowitsch: Streichquartett Nr.3
ブランディス四重奏団が最初と最後のバルトークとショスタコーヴィチを演奏。 2曲目と3曲目のルトスラフスキとプロコフィエフをアテネウム四重奏団が演奏した。 ブランディスはかつてベルリン・フィルのコンマスを務めていた人だが、その時の風貌とは変わって、だいぶ老けた印象。 白髪で貫禄十分といったところ。 で、演奏はというと、もう冒頭のバルトークの4番から圧巻。 バルトークの四重奏曲の中でももっとも先鋭的な作品ということもあるが、これがベルリン・フィル系の室内楽団?と思わせられるような激しい演奏。 気合も十分で、客席は唖然とし、ため息あるのみ。 そのあと演奏したアテネウム四重奏団は、頭がツルツルして眼鏡をかけた、あの愛嬌のありそうな人が第1ヴァイオリンを務める団体。 いつもは後ろの方で弾いている人が、こうした見事なカルテットを主宰しているとは、本当に素晴らしいオケだとつくづく実感。 プロコフィエフの2番はCDで予習もしていたので、結構、楽しめた。 最後のブランディス四重奏団によるショスタコーヴィチの3番も、バルトークに劣らぬ名演。 パッサカリアのテーマの繰り返しも、なかなか心に染み入った。
このようないい演奏会の余韻に浸っている間もなく、もう18時30分から、祝祭大劇場でアーノンクールのコンサート。
Nikolaus Harnoncourt/Berliner Philharmonisches Orchester
Beethoven: "Die Geschöpfe des Prometheus" Ballettmusik in der gekürzten Fassung von N. Harnoncourt (Nr. 1, 3, 5, 8, 10, 15, 16) Christoph Bantzer, Sprecher Symphonie Nr.3 Es-Dur "Eroica"
「プロメテウス」は語りつきでの演奏。 後半の「英雄」ともども、編成は上に書いた通りで、弦楽器は、12-10-8-6-5 という編成。 アバドがベートンヴェン(第9以外)を指揮するときの編成の 14-12-10-8-6 でも少ないと思っていた私としては、さらにそれを下回る編成。 まるで室内管弦楽団の演奏を聞いているような感じ。 何も、ベルリン・フィルでやらなくても、と思いながら、最後まで違和感を感じながら鑑賞。 もっとも、演奏は、第4楽章のフーガの中間部でテンポがアップするところなど、指揮者もオケものってきて、なかなか白熱していた。 葬送行進曲などもほれぼれする上手さで、後半のフガートでは、ティンパニ奏者の新人ヴェルツェルも演奏に聞き惚れていたのか、2小節ほど出を忘れたような(^_^)。 演奏直後、指揮者へのブーも出たが、その後は概ね、好意的な拍手が続いて終了。
なお、「音楽の友」98年8月号に、安永さんがアーノンクールについて、次のように語っている。 「いいですねえ、僕は個人的には好きです。非常におもしろい。 リハーサルの3分の1は何か喋ってまして、それが音楽的、音楽学的、音楽史的に実に興味深いんです。 彼と一度でも仕事をしてみると、そのあと自分にとってすごく勉強になりますね。 ただ、彼は根っからの指揮者じゃない。 リハーサルでは克明に説明をしてくれるんですが、夜にどう振るか、ってことになると、オケは彼を研究者や教授でなく、指揮者としての芸術性で見るわけですから、そうなると、ああもうちょっと上のものを期待してたのになあ、って瞬間がある。 するとオケは自分たちの音を創っちゃうんです。 それを抑えて、無理矢理自分の方へ引っ張っていくタイプじゃない人ですね、彼は。」 これを読んで、なるほど、うまく言い得ているなぁ、とこの日の午前中からアーノンクールに接することのできた私は思ったのだった。