1999年4月5日(月)
いよいよ、待ちに待った「トリスタン」の当日。 まず、前日からの懸案であった、カラヤンのアニフ邸の4年振りの再訪である。 バスで簡単に行けることがわかったので、アニフまで直行。 アニフのバス停で降りると、すぐ近くにカラヤンのお墓のある教会があり、まずはお墓参りから。 イースター音楽祭やベルリン・フィルと書かれた大きいリボンのついた花束があるのも確認。 そのあとは、カラヤン通りの細い小道をたどって、カラヤンの家の見学である(^_^;)。 この辺りは、ウンタースベルクを望む、本当に素晴らしい場所だと思う。 カラヤンの家は、緑の草地の中にぽつんと建っていて、門には別に表札がついているわけではない。 写真でお馴染みの建物から、ああ、これだな、とわかるといった感じ。 写真を勝手に何枚か撮らせてもらったあと(^_^;)、来た道を戻る。 途中で、年輩の女性の方とすれ違ったので、一応、簡単にご挨拶。 話をしてみると、ウィーンから来た人で、長年イースター音楽祭の会員であるとのこと。 今日は、カラヤンの誕生日なので、お墓参りをして、家の前まで散歩しに来たのだとか。 まあ、日本人の私もウィーンのおばさん(若い頃からカラヤンのファンだったのでしょう)も、考えることはそんなに違わないのだなと安心しながら(^_^;)、バスでザルツブルク市内に戻る。 それにしても、「トリスタン」にばかり気をとられていて、この日がカラヤンの誕生日だということを、すっかり失念していた私は、なるほど、カラヤンの誕生日に「トリスタン」かと、この運命のめぐり合わせを、感慨深く思ったのだった。 これまでのイースター音楽祭で上演された オペラのリストを見てもわかるように、 この音楽祭は、そもそもカラヤンがワーグナーを上演するために創設したものである。 ワーグナーが上演されるのは、84年の「ローエングリン」から15年ぶり。 「トリスタン」は73年に上演されて以来、26年ぶりのBPOによる演奏となる。
この日は、午前11時から、祝祭大劇場のロビーで、イースター音楽祭の記者会見。 音楽祭の会員にも、その案内が届いていたので、興味をそそられて、行ってみることにした。 少々遅れて会場に入ったが、すでに日本人が「日本語で」話をしている最中であった (もちろん、途中でドイツ語の通訳が入るのだが)。 イースター音楽祭のスポンサーである清水建設の方のご挨拶のあと、日本テレビの方もご挨拶。 1998年のBPOの日本公演を後援し、各地で好評を博したこと、2000年の「トリスタン」日本公演も成功させたいという内容ではなかったかと思う。 カラヤン夫人も列席していたが、ほとんど、スポンサーである日本企業のための時間という感じであった。 そのあと、シャンパンなどもふるまわれたので、私も頂戴したあと、会場にいたインテンダントのヴァインガルテンに、2000年の日本公演について、いくつか質問をしたのだった。 帰国直後に掲示板でご紹介したヤンソンスのプログラム内容などは、ここで聞いた話である。
さて、あとは、ホテルに戻って、夕方4時の開演まで、ゆっくり体調を整えるだけ。 毎晩、黒のスーツで出かけてはいたが、この日だけは、普通のネクタイではなく、黒の蝶ネクタイ。 余裕を持って、会場には早めに行くことにした。
Musikalische Leitung: Claudio Abbado Inszenierung: Klaus Michael Grüber Bühnenbild: Eduardo Arroyo Kostüme: Modele Bickel Choreographie: Giuseppe Frigeni Light Design: Vinicio Cheli Choreinstudierung: Winfriede Maczewski Tristan: Ben Heppner König Marke: Matti Salminen Isolde: Deborah Polaski Kurwenal: Falk Struckmann Melot: Ralf Lukas Brangäne: Marjana Lipovsek Ein Hirte: Charles Workman Ein Steuermann: Gudjon Oskarsson Ein junger Seemann: Rainer Trost Berliner Philharmoniker European Festival Chorus
オケの表記だが、オペラのときだけは、このように、Berliner Philharmoniker となる。 会場前には、「チケット求む」の人がたくさんいた (昨日は、「チケット売ります」の日本人の方まで見かけたのだが)。 客席では、さっそく、ピット内の観察。 秋のベルリンでの 演奏会形式上演の批評 では、弦楽器の配置が通常とは異なり、普段の第1ヴァイオリンの席にヴィオラが座ったと書かれていたが、ザルツブルクでも次のような配置だった。
コ ン チェロ 第1ヴァイオリン バ ス ヴィオラ ○ 第2ヴァイオリン (指揮者)
指揮者のすぐ目の前が、コンマスのブラッハー(第2幕のソロは絶品だった)、その右横が安永さん。 第2Vn.の方を客席寄りに置くという配置は、ウィーン国立歌劇場でもそうしているように、第1Vn.の音がピットの壁に邪魔されることなく客席に届くというメリットがあると考えられる(もちろん、ウィーンは左右逆でVn.が下手側ではあるが)。 その意味でも、この配置は優れているのではと感じた。 私の聞いていた2階席では、第1Vn.の音とともに、チェロの音もよく聞こえてきたが、前奏曲から活躍し、うっとりするような旋律が随所に出てくるチェロがよく聞こえるというのも、なかなか好ましく思った。 ただ、そう考えると、ピットの壁のないフィルハーモニーで、敢えてこういう配置にした意味は、何だったのだろう。 こういう配置に慣れさせるためだったのか。 第1Vn.の後に位置する木管楽器の音が、第1Vn.の音と一緒に聞こえてくるというメリットは、 ベルリンでの批評でも指摘されていたが、ザルツブルクでも同じ印象を受けた (なお、99年2月、シェーンベルク「ペレアスとメリザンド」のベルリンでの演奏会でも、こういう配置だったようである)。 前年の「ボリス」を、アバドは暗譜で振っていたが、今回は譜面台があり、大型スコアが置かれていた。 その横に、デュナミークの変更がたくさん書かれた紙が置いてあった。 ああ、これが新聞批評でも話題になっていた作曲者自身の演奏譜に基づく変更の資料かと納得。
さて、この日の「トリスタン」の上演時間は、次の通り。
第1幕 16:05〜17:25実質の休憩時間は、20分程度。 前の幕が終わってちょうど30分後には、次の幕が始まるという感じだった。 18時に始まって21時半過ぎに終わった前年の「ボリス」は、だいぶ長さを感じたが、 今回の「トリスタン」、まったく長さも疲れも感じさせなかった。 以下は、幕ごとの簡単な感想である。
第2幕 17:55〜19:15
第3幕 19:45〜21:00
指揮者もオケも気合い十分で、前奏曲からすでに密度と水準の高い、驚異的な名演だった。 このあとの舞台は、既に写真でご覧になった方も多いと思うが、鉄骨の骨組だけの巨大な船で演じられる。 ザルツブルクの横に長い舞台を、たっぷりと利用している。 縦横のバランスは、まるでパノラマ写真風。 映画で言うと、シネスコサイズ?とでもいうのか、そんな感じであった (日本公演では、この船は、そのままでは再現できないのではなかろうか)。 右側の船の先端の方にいるのが、イゾルデとブランゲーネ。ブランゲーネは、ここからトリスタンのいる左側の階段の上に行ったり、戻ったりする。 トリスタンは、第1幕の最後の方で、このイゾルデのいる右側に移動。 この骨組でも、照明が光ると、きれいではある。 しかしまあ、登場人物の動きはあまりないので、舞台を見るよりも、オケピット内を観察しながら、BPOの演奏を聞いている方が、楽しめるのではなかろうか。 オケの演奏に集中できる演出といえるのかも。
コントラバスが8本あり、普通のオペラハウスのオケでは、これだけ厚みのある弦の音は聞けないだろうと思う(バイロイトの「トリスタン」は未経験なので、比較はできないが)。 同じアバドの指揮によるブルックナーやマーラーのときとは違って、BPOもワーグナーとなると血が騒ぐのか、弦にも厚みが十分に感じられたのは幸いだった (もちろん、重厚な演奏というわけではないが)。 媚薬を飲んでから以降も、舞台上の動きはたいしたことがなかったと思うが、 音楽だけの表現力で、もう何もいうことはないほどの満足感である。 第1幕の最後の方の打楽器、アバドの指示でシンバルがカットされ、ティンパニ以外はトライアングルだけだったが(この話は、前々日のマーラーの終演後、楽屋出口で打楽器奏者のシンドルベックから聞いていた)、そんなことは全然気にならない、まさに圧巻の幕切れだった。 第1幕が終了しただけで、盛大な拍手。 第1幕だけでも、私がこれまで聞いた「トリスタン」では、最高の演奏だったといえよう。 私の隣の席の30年もイースターの会員をしているというハイデルベルクのドイツ人夫妻も、「もう、これ以上の上演は不可能でしょう」と感嘆と絶賛。 まったく同感であった。
第2幕も舞台上の無策ぶりに対し、オケは驚異の演奏を展開。 舞台には枯れた2本の木が置かれているだけ。 そして、ほとんど真っ暗である。 松明がオケの大音響とともに消されるシーンでも、何の変化もなかった。 愛の二重唱も暗い中で歌われ、2人の服の色も黒なので、多くの新聞では、蛍が光る中での手しか見えない愛の二重唱などと書かれていたようである。 もっとも、夜の愛の密会などは、明るい場所ではなく、実際には暗い中でなされるのであろうから、これはこれで筋が通っていると言えるのかもしれない (実は、翌日4月6日は、ミュンヘンで「ラ・ボエーム」を見たのだが、第1幕でミミが蝋燭を消して鍵を探す場面、舞台が明るいのはおかしいのではと、この「トリスタン」を見た直後だと思ったりした)。
何はともあれ、オケは第2幕に入ると、ますます絶好調。 弦の美しさは申し分ないし、木管もため息の連続。 参考までに書いておくと、演奏者は以下のような布陣であった。
フルート: パユ、ハーゼル、イエェルカ嬢パユのフルートのソロもみずみずしくてよかったが、オーボエのシェレンベルガーも気合い十分で、98年秋の日本公演での不調が信じられないほど、立派に演奏していた。 フックスを中心とするクラは、これ以上水準の高い演奏は考えられないようなうまさ。 こうした名手揃いの中でも、第2幕での活躍が光っていたのは、プライスのバスクラ(サルミネンのマルケ王の嘆きを見事にサポート)、そしてドミニクのイングリッシュホルンの絶妙な表現といったところ。 あまり動きのない舞台のおかげで、ピットを見ながらBPOの素晴らしい名演を、またまた満喫することができたのだった。 愛の二重唱にブランゲーネ(リポヴシェク)の見張りの歌の絡むところなど、もうこの世のものとは思えない世界が繰り広げられた。 ここのヴァイオリンのソロがブラッハーで、前述の楽器配置も効果をあげていた。
オーボエ: シェレンベルガー、ヴィットマン、ドミニク
クラリネット: フックス、ザイファルト、プライス
ファゴット: シュヴァイゲルト、トローク、ヴァイトマン(新人)
第3幕の前奏曲のBPOの弦楽器陣の素晴らしさは、これまた筆舌に尽くしがたい。 その後、ピット内の照明が徐々に消されていき、最後に指揮者の譜面台の照明も消えた中、 真っ暗な会場で、ドミニクのイングリッシュホルンのソロだけが、舞台裏から聞こえてくる。 本当に音楽だけに集中させてくれる演出である。 とはいえ、幕が開いて、ピット内も明るくなると、第3幕は陳腐で凡庸な舞台装置。 第1幕、第2幕は、どちらかといえば、抽象的な感じの舞台装置だったが、第3幕は中途半端に具体的で変な舞台装置。 1930年代の工場か発電所のような建物(下手側が塔になっている)の中庭という感じで、背後の壁が半分壊れているというもの。 本当にどうしようもない舞台である。まったく。 そのせいもあるのか、この第3幕が一番感銘の薄いものになってしまったように思う。 もっと演奏にだけ集中して聞くべきだったか。
イゾルデの船の到着を合図する方のイングリッシュホルンのソロは、拡声機を通し、音を大きくして聞かせるという感じだった。 このあとピットに戻ったドミニクは、2番オーボエのヴィットマンから、ガッツポーズの出迎え。 終演後のカーテンコールではドミニクも登場し、盛大なブラボーと歓声。 「トリスタン」の上演で、イングリッシュホルン奏者が、終演後のカーテンコールに出るのは、私の経験では、たぶん初めてだが、それだけの功績は十分にあったといえる。 「トリスタン」は普通、最後の愛の死で深い感銘を受けると思うのだが、この日は、第1幕、第2幕があまりに素晴らしく、ここに至るまでに、ほとんど感動しつくしたというような感じ。 残念ながら、愛の死が始まっても、ぐっとくることはなかったが、まあ、これは舞台や演出が悪いのであろう。 最後の方の変な人の動きも考えて欲しいものである。
ということで、第3幕で若干の不満は残ったものの、全体としては、「トリスタン」の素晴らしさ、BPOの素晴らしさを十分に堪能することのできる公演だった。 「トリスタン」という大作をBPOが演奏するだけで十分なのである。 予想を大幅に上回る演奏をしてくれたBPOには、感謝したい。 アバドに関しては、95年の「エレクトラ」で感じた、せかせかしたようなテンポ設定もなく、抒情的な表現を大事にしながら、細部まで緻密に作品に忠実な指揮をしてくれた点で、高く評価できると思う。
1999年のイースター音楽祭を勝手に総括すると、アバドに関しては、マーラーの3番、「ボリス」と得意の曲を取り上げて、暗譜で指揮した前年に比べて、ロ短調ミサ、「トリスタン」という新たなレパートリーを、いずれも譜面を見ながらのていねいな指揮ぶり。 音楽をじっくり聞かせるという姿勢に徹していた感じだった。 その意味では、真摯な姿勢に好感も持てたし、成功もしていたように思う。 ハイティンクとザンデルリングのコンサートは、BPOのうまさは感じられたが、個人的な満足度は今一つ。 BPOを聞くという観点からは、バッハは室内オケ風だから別として、マーラー、ショスタコーヴィチと聞いてきても、圧倒的な感銘を得るまでには至らず、欲求不満を感じてもいたのだが、最終日の「トリスタン」の名演で、それまでの不満は一気に解消したといったところ。 まあ、終わりよければ、すべてよしである(^_^)。
さて、今回の「トリスタン」で、イースター音楽祭通いも終わりにしよう。 そう前から思っていたのだったが、2002年に再度ワーグナーを取り上げ、しかも私の大好きな「パルジファル」をやるということが発表されたのである。 こうなったら、2002年は、またザルツブルクと思うのが、人情というものではなかろうか(^_^)。 いやはや、本当に病みつきになりそうな音楽祭である。