というご挨拶を、もっと早くここに書きたかったのですが、どうも、12月30日の夜から1月4日の午後まで、ここのサーバがトラブルでダウンしていたようです。その間、何度かアクセスを試みられた方がおられましたら、お詫び申し上げます。幸いなことに、ハードディスクの方には被害がなかったようで、私もほっとしておりますが。
ジルヴェスター、私の拙い感想は掲示板に書きましたが、まあ、曲目の予想が外れたり、当たったり、そちらの面でも楽しませてもらいました。 Tagesspiegel に早速記事が出ていましたが、「乾杯の歌」での客席からの合唱というのが、結構、話題になったようですね。アバド/BPOに合わせて歌うということで。
さて、1999年ということで、ますます世紀末色が濃厚になってきましたが、今年最大の楽しみは、当然(^_^;)、春のイースター音楽祭の「トリスタンとイゾルデ」ではあります。これについては、無事に現地で聞くことができましたら、今年は、帰国後、なるべく早めにご報告したいとは思っています。
そして、ここ数年、春のイースターと並んで楽しみにしているのが、9月に開催される武久源造さんの演奏によるフランス料理店でのサロン・コンサート。これまた、イースターと並んで愉悦の極み(^_^)。武久さんには、1月3日にお会いし、この秋の抱負をうかがうことができました。詳細は、武久源造:世紀末への挑戦と題してアップしておきましたので、ご覧いただけますと幸いです。 県外の方も、この贅沢なサロンコンサートにお越しいただけますと、さらに嬉しいのですが(^_^)。
演奏日は、1957年11月3日、その後、11月22日まで全国各地をまわった演奏旅行の初日。曲目は、「マイスタージンガー」「ドン・ファン」「運命」の3曲だったようです。「ドン・ファン」の一部は、何かのLDにも収録されていたはずで(確か、ティンパニのテーリヒェンが派手に写っていたと思う ^_^)、この日は、全曲録画されたのでしょうか。もう全部の映像は残ってはいないのかもしれませんが、可能な限り、商品化して欲しいものと願っています。
演奏しているオケのメンバーについてですが、まずコンサートマスターは、入団直後のまだ若々しいシュヴァルベなのでしょうか。この時期の第1コンマスは、ジークフリート・ボリスとミシェル・シュヴァルベの2人だと思うので、ボリスでなければ、シュヴァルベかなという感じなのですが。彼だとすると、1919年生まれですから、まだ38歳という訳です。ちなみに、カラヤンの黄金時代のコンマスの三本柱となった、他の2人のブランディスとシュピーラーは、ボリスの退団した後、それぞれ 1962年と1963年の入団です。
あとよく写っていたのが木管楽器のトップ奏者。フルートは、ニコレではないようなので、フリッツ・デムラーでしょう。この人は、60年代後半、クーベリックの「英雄」の映像でも、トップを演奏していたはずです。オーボエは、ちょっと自信がないのですが、シュタインスではなさそうなので、シュヴァルベ同様、1957年入団直後の、これまた若々しいローター・コッホなのでしょうか。コッホは1935年生まれなので、まだ22歳という訳です。そう思ってみると、そう思えなくもないのですが、皆さんは、如何でしょう(^_^)。クラリネットは、あまり自信がないのですが、たぶん、アルフレート・ビュルクナー。ファゴットはローテンシュタイナーという、1901年ウィーン生まれの人。何故か、1962年秋、まだ退団前の61歳の時に、フランスで亡くなっています。
あと、コントラバスが後半で出てきましたが、あのコントラバスは、1951年に入団したツェペリッツに間違いないと思うのですが。 1930年生まれですから、コッホより5歳年長とはいえ、まだ27歳。以上の私の判断に、そう間違いがないとすると、この映像は、個人的には、後年のカラヤン/BPOの黄金時代を支えてきた名奏者たちの若き日の姿(特に20代のコッホとツェペリッツ)も見れて、その意味でも、非常に興味深い内容だったと思いました。あと、演奏は、EMIのこの時期の録音に非常に近いものといえるでしょうか。
何か、ご意見、ご異論などありましたら、掲示板の方にでも、よろしくお願いします。
「パイパーズ」に、BPOアカデミーで打楽器の勉強をされた宮崎泰二郎さんの連載が載っていますが、99年1月号には、1979年の日本公演にエキストラで出演された話が載っています。非常に面白いので、ぜひお読みいただければと思うのですが、後半はマーラーの第6交響曲の演奏の話が中心です。当時の普門館でのステージ写真も懐かしいものです。実は、この会場には、私も聞きに行ったのですが、私の席まで聞こえてくる音量が、家のステレオで聞いている音量と変わらないか、それ以下かという感じで、演奏は凄かったのですが、会場への不満の方が、未だに強く印象に残っています。
それはさておき、この時の演奏について、柴田南雄 『マーラー』(岩波新書)で次のように触れられています。
ところで、1979年の秋にカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の日本公演があった。その時、カラヤンとしては初来日から25年目、ベルリン・フィルとのコンビによる来日だけでも6回目で、もうマンネリ気味ではあったが、ようやく始めてマーラーが曲目に加えられ、それがこの「第6交響曲」だった。当然、期待して聴きに行ったのだが、その公演では肝心のカウベルの音は実物でなく、テープに録音され、天井のスピーカーから流れてくる平べったい音で代用されていた。何個かのカウベルの運搬の手間と費用、打楽器奏者2,3人分のギャラを節約したかったのだろうが、おかげで、マーラーの意図は完全に葬られてしまった。まあ、実際、カウベルの音はテープが使用され、私も、アレッとは思いましたが、これはカラヤンの演奏解釈上のことで、運搬や費用を省くためでは絶対にないし、そんなことはあり得ないことでしょう。例えば、この曲のティンパニの有名なリズムは、2人の奏者で叩くように指定されている訳ですが、この時は、フォーグラーが1人で両手で2つの釜を一緒に叩き(これだけでも、圧巻 ^_^)、おそらく2人の奏者で叩くことによる僅かのズレすら、カラヤンは許容したくなかったのでしょう。もちろん、第2ティンパニ奏者(何と、テーリヒェン!)も座っており、終楽章の後半で少しだけ叩くという贅沢ぶりでした。
この柴田南雄さん、毒にも薬にもならない評論家が多い中では、なかなか知見のある人だと評価はしているのですが、その影響力の大きさもあって、時々、誤解が広まる原因になっているような気もしています。同じ『マーラー』の本、第5交響曲のところでは、冒頭のトランペットについて次のように書かれています。
ヘルベルト・フォン・カラヤンはマーラーの交響曲のレコード録音をこの「第5」から始めたが、このソロ・トランペットにはベルリン・フィルのメンバーではなく、17歳の少年を起用しているという。その柔らかい唇からしか得られない音色を、どうしても使いたくて、その少年を特訓したのだろう。いかにも晩年のカラヤンらしい趣味を感じる。この話は、確か、発売当時の『音楽現代』あたりから、柴田さんが書かれている話だと思うのですが、『音楽の手帖 マーラー』(青土社)でも「あの冒頭のトランペットに紅顔17歳の天才少年が起用された (はじめ演奏会に、そしてこの録音にも) という噂とともに、とにかく人目をひきつけたレコードだった」と書いています。ということで、確かに、そういう噂はあったとは思うのですが、岩波新書にまで書かれると、噂が事実のように認識されかねないので、ちょっと、と思ってしまいます。
私見では、これはBPOに入団直後のクレッツァーのことではないかと思っています。私も1973年の日本公演のブルックナーの放送を見たとき、トランペットを金髪の若い奏者が吹いていて、大層驚いたものです。1973年に入団し、彼の入団直後にマーラー5番が取り上げられた訳ですから、そうした誤解が生じたのではないでしょうか。クレッツァー自身、「入団直後、カラヤンの指揮で演奏したマーラー5番の演奏が、バーンスタインのマーラー9番とともに忘れられない」と言っているのですから。(それに、いくらカラヤンでも、外部の人間を勝手に呼んで吹かせる訳にもいかないでしょう。)ちなみに、クレッツァーは1950年生まれですから、1973年には23歳。ステージ上では、17歳と勘違いされたのかも。何はともあれ、マスコミその他によって、いろいろな誤解が生じていくものだと痛感させられます。